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人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)
広瀬 弘忠 / 集英社 (2004-01-01) / 821円167 users
カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会学 登録日:2011年05月20日 22時19分53秒 2011/05/20
購入:  2011年05月20日 735円
読了:  2011年06月20日 星4つ
・いかに激しく自然が猛威をふるったとしても、そこに人間の営みがなければ災害はない。けれども、そこに人間の営みがあれば、とどまることなく不断に自然に働きかけるその営みそのものが、新たな災害の原因になりうるのである。

・私たちの災害観は、かなり古めかしいのである。

・このように見まい、聞くまい、思い出すまいとしても、すでに再三にわたって述べているように、この過剰防衛はむしろ心の傷を癒すのとは逆に、傷をかきむしり、自然治癒力を妨害するように働く。

・PTSDと、脳内の海馬における器質的変形との関連は、精神的な外傷が脳に変化をもたらすという、心と生理との緊密なつながりを実証している。

・防災の第一のジレンマは、災害がいつ、どこに、どのようにしてやって来るのかわからないということ、つまり災害を完全に予知・予測することはできないということから来ている。

・第二のジレンマは第一のそれとも関連するのだが、防災投資の効果が目に見えるかたちでとらえられないことである。

・防災の目的は災害をなくすことではない。

・災害の被害を軽減し、人命の損失を少なくして、災害とうまく折りあっていくというのが、防災の第一義的な目的である。

・災害を正しくイメージできないということは、まことに恐ろしいことである。

・避難行動がスタートするためには、わが身に降りかかる危険が現実にあることを実感しなければならない。
 だが、かりに危険を感じたからといって、直ちに避難行動を始めるわけではない。その次には、危険の大きさを評価する段階がくるのである。なかには危険を過大にとらえる人びともいるが、一般には、危険は、実際よりも過小に評価される傾向にある。

・最後に考慮すべきことがらは、はたして避難するに際して、何か重大な障害があるかどうかということである。

・避難行動を行う人びとの割合が一般に低いのは、避難には大小さまざまなコストがかかるという理由によるものである。

・避難行動は、災害への不安や危機感がないと、起こらない。

・災害に直面した時には、家族が一体となって行動しようとする。

・避難時に、すべての家族が一体となって避難した家族のうち、七〇パーセントの家族では、避難しようとした時に、家族の全員がそろっていなかったため、すべてのメンバーが集まるのを待ってから避難している。

・災害に直面して、その危険を実感する時には、死ぬのも生きのびるのも、家族が一体でありたいという願いが強くなる。

・幼い子供がいる家族では、避難行動は早めに始まる傾向にあり、老人や病人のいる家族では遅れる傾向がある。

・家族の心理的・身体的な相互支援の重要さを考えると、家族とともにあることは、総体的には、サバイバルにとって有利な条件をもたらすものであることは間違いない。

・災害を前にしても、多くの人びとが避難したがらないのは、災害に対する正解な認識がもてないためだ。「身におよぶ危険がある」という実感をもつことが、避難行動を起こすために欠くことのできない条件である。災害の脅威をしっかりとイメージすることが、被害回避の避難行動を起こすために何よりも重要である。

・そのような時に重要なことは、現段階で科学的に何がわかっていて、何がわからないかを明快に述べることである。そして、不確定だが、何もしないでいる危険は、避難などの防災行動をする危険よりも、はるかに大きいことを納得してもらうことである。

・科学的にはここまでしかわからない、という専門家の説明や、危険の可能性があるので、防災行動を始めてくれという、防災行政担当者の説得に対しては、私たちは謙虚に聞く耳をもっている。

・災害警報を伝えられた時も、多くの人びとは、このようなダブルチェック、トリプルチェックを行っている。

・警報は、いくつものルートからマルチ・チャンネルで伝えられないと、ターゲットである人びとのところまで届かない。

・正しく災害リスクを知ることが、正しく災害に立ち向かうための必要条件である。

・リスク・コミュニケーションとは、専門家(および行政)と災害科学の素人である一般市民との間で、災害がもたらすリスクについて、相互にコミュニケーションをくりかえし行い、リスクに対する認識を共有する作業のことである。
 現代科学が知りうるところと、一般の素人の情報ニーズとが重なりあうところで、災害に対する合理的なイメージが形成される。同時に、リスク・コミュニケーションによって、その時どきにおける、ベストの災害対策を実施することができるのである。

・災害や事故を目のあたりにした時、深刻な結果と、軽微な原因とのギャップを何かで埋めたいという誘惑にかられる。

・第一の条件は、緊迫した状況に置かれているという意識が、人びとの間に共有されていて、多くの人びとが、差し迫った脅威を感じている、ということである。

・パニック発生の第二の条件は、危険をのがれる方法がある、と信じられることだ。

・第三の条件は、脱出は可能だという思いはあるが、安全は、保証されていない、という強い不安感があることだ。

・最後の第四の条件は、人びとの間で相互のコミュニケーションが、正常には成り立たなくなってしまうことである。

・災害社会学者のエンリコ・クワランテリは、パニックかそうでないかを判定する鍵は、そこで起こった行動が、事態に対する合理的な行動であったのか、それとも、非合理的な逃走行動であったのかという一点にあると考えている。

・パニックという言葉を用いて被害を説明しようとする時には、災害や事故の原因の究明を放棄して、防災上の失敗をごまかそうとする不純な動機があるのではないかと、まず疑ってみることが必要である。

・日本語には、英語のサバイバーに対応する言葉がない、

・その人の母親は、セトモノ屋さんをやっていて、つねづねお茶わんというのは、ヒビが入ってからあとのほうが使われる期間が長いのだ、と言っていたという。災害に遭い、事故に遭っても割れずに、ヒビだけですんだことを喜ぶ心境になれたらよいと思う。そのようなたくましさこそ、サバイバーであることを誇る気持ちに通じるのではないか。

・自分の替わりに誰かが死ななければならなかったという思いや、あるいは、自分が死ねば、その替わりに誰かが助かった、という思いは、世界の災害の被害者に共通に見られる身替わり感情であるが、日本の被災者の場合には、特にそれが強く現れる傾向がある。災害による多くの死のなかで、自分が生き残ったのは不当なことだと感じる必要はないことを意識でき、率直に生きのびたことをよろこべる社会的風土がつくられないと、サバイバーの憂鬱は、トラウマとして長く尾を引くことになる。

・災害のもたらすダメージは、すべての人に平等ではなく、不当にもきわめて偏ったかたちで配分されるのである。

・災害のもたらすダメージは、経済的に貧しい人びとにより重く、豊かな人びとに軽いという現実がある。

・ここで言う軽重には、そもそも損害の量的な大きさが貧しい人びとで大きく、豊かな人びとで小さいという絶対的な意味あいと、量的には同じ損害でも、貧困層には重大で深刻だが、裕福層には軽微だという相対的な意味あいの、両方が含まれている。
・戦略理論家のクラウゼヴィッツは『戦争論』のなかで、戦争は危険そのものであるから、軍人たるものに、まず必要なのは勇気であると述べたうえで、勇気は、知性に導かれて果断な行動にいたらなければならない、と説いている。災害を生きのびるためにも同じことが言えるだろう。

・生きたいと強く希望することは、生き残りのための十分条件ではない。生きたいと強く願えば、必ず生き残れるというものではない。けれども、生きたいと欲し、けっして諦めないことは、生き残りのための必要条件である。そのような強い意志がないと、絶対絶命の状況から生還することは難しいだろう。

・災害には、二重の選抜過程がある

・二重選抜というのは、まず、生き残れるかどうかの選抜があり、次に、よりよく生き残れるかどうかの選抜があるということである。

・被災者が、救護者を指名して救助を依頼する場合には、愛他的な救援行動は、さらに起こりやすくなる。たとえば、「あなた、助けてください!」と直接的に呼びかけられる場合と、ただ「助けてください!」と、漠然としたかたちで叫んだ場合とでは、救援行動の起こりかたがちがう。

・社会の活力がそれほど強壮でもなく、さりとていまだ弱体になったと言うほどでもない状況下で、大災害に見舞われたら、いったいどのようなことが起こるだろうか。社会は、外見上は、災害から回復し、復興したように見えても、多くの場合、以前に担っていた都市機構や社会的機能を、復興に要する時間的損失のなかでうしなってしまう場合が少なくない。

・社会システムの活力が枯渇している状況のもとで、大災害に遭遇すると、社会や国家体制は、それを契機に衰亡への道をたどることになりかねない。

・社会の活力が横溢していれば、災害に見舞われても、損失を乗り越え、「災い転じて福となす」とばかりに、むしろ古いものと新しいものの入れ替わりの新陳代謝を促す好機として利用することもできる。だが、社会システムに、革新的なモティベーションや新しいリーダーシップの力が乏しく、活力にかげりが見えはじめると、災害の被害を受けたあとに、その痕跡を長い間にわたってひきずらなければならない。

・災害が企業の施設や工場を破壊すると、この破壊は、企業にとって新施設をどこにつくるのかが最適かを選択するまたとないチャンスを与える。

・災害からの復興を左右する三つの要因がある。災害の規模、被災社会システムの活力、環境社会システムから投下される人的・物的な援助量である。

・災害社会学者のユージン・ハースたちの述べているように、災害のもたらす社会的な影響の本質は、社会変化の先取りであり、「急速に成長しつつあるコミュニティは、被災しても急速に復興するが、変化せず停滞しているか、下り坂にあるコミュニティは、被災後にきわめてゆっくりと復旧するか、急激に衰えていく」ということになる。

・被災社会システムの活力の大きさが、復興できるか、それとも衰亡への道をたどるかを決める主要因の一つだ、

・被災した社会システムは、災害後の事態に適応するために、機能面での合理化・効率化を進める。その過程で、古くて非効率的な部分は切り捨てられるか、統合して再生させられる。思い切ったスクラップ・アンド・ビルドは、平常時にはさまざまな抵抗にあって徹底を欠くが、緊急の事態のもとでは、断行が容易になる。このような思い切った動きの結果、社会システムの改変が起こるのである。

・災害は、被災社会システムをリスクの大きい、それ自体の浮沈がかかった重要な意思決定の場面に直面させる。被災の程度や被災社会システムの活力、外部環境社会からの援助の質と量が、災害復興の最も重要な要素であることは間違いない。だが、もうひとつ重要な要件がある。それは迅速かつ適切な意思決定を行う、優れたリーダーの存在である。

・新たなる災害は、次の新たなる災害に対処する力を与えてくれる。

・災害の犠牲者一人ひとりの悲劇については、深い哀悼の気持ちを忘れてはならない。被災をバネにした防災への努力と、けっして”忘災”しないという覚悟が必要だ。

・新たな災害に出合い、それを乗り越えたかと思うと次の災害が待っているという世界に、私たちは生きている。

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