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カテゴリ 読書 購入 所有 お気に入り 1 - 30件目 / 40件
Civilization and Capitalism, 15th-18th Century
Fernand Braudel / Fontana Press (1985-10-28) / 2,311円1 users
タグ 歴史 社会 経済 カテゴリ:洋書 洋書 / Nonfiction 更新日:2012年05月11日 10時21分52秒 2012/05/11
所有 読中: 
・Ch5.《技術の普及:エネルギー源及び冶金学》
・馬の利用及び国際的伝播(344~352)
農山漁村文化協会 (1979-08) / 3,675円1 users
タグ 農業 歴史 社会 農政 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2012年03月24日 22時21分03秒 2012/03/24
所有 読了:  2012年03月24日
・【国史大辞典】11-996.pに江戸時代前期の農書。著者は不明だが三河地方の平坦部に住む武士か、武士の系譜を引く上層農民で、聞き取りと体験を下にした記述で、中国農書や本草学の影響は殆ど見られない。小農自立の進展、金肥導入による商品作物生産に傾斜する三河地方で伝統的な自給農業での生産増強を念頭に小農の技術的体系化を説いた」と紹介。
中世イタリア商人の世界―ルネサンス前夜の年代記 (平凡社ライブラリー)
清水 広一郎 / 平凡社 (1993-06) / 1,404円19 users
タグ 歴史 経済 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 世界史 更新日:2012年03月08日 14時59分38秒 2012/03/08
所有 読了:  2012年03月06日
・【マキャヴェリ全集】第三巻フィレンツェ史の訳者解説の中で、マキャヴェリが「フィレンツェ史」第二巻の執筆に際してジョヴァンニ・ヴィッツラーニの【年代記】を典拠にしたと言及している。ヴィッツラーニは、銀行家あるいは両替商を主要業務として人物で、広くヨーロッパを歩きまわり、フィレンツェ共和国の総代に三度も就任するなど、当時の最も経験豊かな市民の一人であった」云々と紹介されている。本書は、そのヴィッツラーニの【年代記】を中心に据えた中世の商人及び商業世界の研究書。

******************************
・イタリア内部は、都市国家に区々に分裂し、他都市の市民と激しく争っていた。しかし、いったん「外国」に出れば、彼らは「ロンバルディア人」として一括して扱われることが多かった。22.p[ロンバルディア;イタリア北西部、現在もロンバルディア州があり、州都はミラノ、地図及び歴史は参照
・中世商人には「企業家精神」に立脚した合理性が完全に欠如していたとするゾンバルトの主張に耳を傾ける者は、実際に当時の文書に接した者の中には一人もいない。25.p
・商人の子弟は6歳頃から読み書きを習い始め、4~5年間の勉強をする。その後二年ほど算術の学校に通ってから、12~14歳で実業の道に入るのが普通だったらしい。尤も、算術学校まで通えた者の数は極めて限られていた。37.p
・クレトーの闘い(参照)、1302年;ブリュージュ市民とフランス軍との戦い、ベルギーの歴史家ピレンヌと仏人歴史家ブレンターノとの解釈との対立、52~63p
・13世紀後半、遍歴商人から定住商人への移行期、旅の様子、78~86p
・14世紀は中世最大の不況期、先進商業都市で、商人の破産が相次いだ。91.p(百年戦争、黒死病による人口の急減。1315~から凶作、飢饉、疫病、労働人口の減少による生産力低下が相次ぎ、1340年代にはこれらが一挙に深刻化した。145.p)
・14世紀初頭、アヴィニョン、教皇座の存在都市、金融業の中心地、93p
・結婚契約書、118.p(下女を兼ねた現地妻を迎える場合の契約形式)
・中世都市は、自由なる民衆に立脚した共同体であると意識され、その運営は市民が分担して行うものとされていた。127.p
・1339年以降、天変地異が相次ぐ、都市国家は危機に見舞われる、それまでは覆い隠されていた内部矛盾が噴出する。市民は「都市国家の権力を一人の手に集中することによって、この事態を乗り切ろうとした」、アテネ公を推戴し、結果、今まで後と権力を失い、やがて彼に反抗して蜂起する。152~164.p
・「法」に対するゲルマン地域とラテン地域の感覚mentalityの(対照的な)相違、188.p
・記録への執念;記録、契約書、公証人、リコルダンツェorリコルディ、186~206.p
海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生 / 新潮社 (2001-08) / - 53 users
読中: 
・再読
・陸地型・海洋型の国家の違いは自給自足の考えのあるなしにに帰結すると見て良い、陸地型国家が侵略型になるのは当然の帰結、云々、43p
・ヴェネチアとフィレンツェは、性格のまるで違う二人の人間のようだ」とはマキャヴェリの言葉、ヴェネチアはアンチ・ヒーローの国、51p
・モラリストぶるイギリス人ほど、片腹痛いものはない。...ヴェネチア人も、道徳家の殻をかぶったほうが有利と判断した場合以外は、一度もモラリストであろうとしたことのなかった民族である。157p
新版大東京案内〈上〉 (ちくま学芸文庫)
今 和次郎 / 筑摩書房 (2001-10) / 1,188円32 users
タグ 社会 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年01月23日 05時01分19秒 2012/01/23
読了:  2012年01月21日
・昭和四年、中央公論社から出版されたものの復刻版で、1986年に「批評社」から出版された一巻物。図書館から借りる。「登録」検索では、批評社が対象外なのか絶版なのかヒットしないので、「ちくま学芸文庫」版を便宜的に採用しておく。
・12/01/21の作業日誌(参照)でもちょっと触れたが、ともかく楽しい本だ。昭和初年の同時代的「東京」案内として抜群の面白さ、三宅雪嶺の「同時代史」と併せて読むと、硬軟両用というか、同時代の表裏と云うか、公式の顔と裏の顔というか、いずれ「歴史」を立体的に捉える一助になる。
断腸亭日乗 〈第5巻〉 昭和十五年−十九年
永井 荷風 / 岩波書店 (2002-01-07) / 5,670円1 users
タグ 文学 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 文学・評論 更新日:2012年01月16日 12時26分14秒 2012/01/16
所有 読了:  2012年01月16日
◆以下「作業日誌」(12/01/16から転載)
・昭和15年2月20日に「尿中タンパク質顕著。かつまた血圧やや高しとて、院長頻りに菜食の要あるを説く。余窃かに思う所あり。余齡
すでに六十を越えたり。希望ある世の中ならば節制節慾して残生を愉しむもまた悪しきにあらざるべし。されど今日の如き兵乱の世に
ありては長寿を保つほど悲惨あるはなし。平生好むところのものを食して天命を終わるも何の悔いるところかあらん。浅草にいたり松喜
食堂に鶏肉を食し玉の井を歩みて帰る」云々、17p⇒単に高等遊民の繰り言に過ぎず
・8/01、「街頭には贅沢は敵だと書きし立て札を出し、愛国婦人連辻々にたって通行人に触書をわたす噂有りたれば、その有様を見んと
用事を兼ねて家を出しなり」。また欄外に「贅沢は敵なりという語はロシア共産党政府樹立の際用いたる街頭宣伝語の直訳という」、54p
⇒この日、「国民精神総動員本部、東京市内に〈贅沢は敵だ!〉の立て看板1500本配置」(近代日本総合年表から)
・9/27、日独伊三国同盟締結に際し、「自ら辞を低くし腰を屈して侵略不仁の国と盟約をなす国家の恥辱これより大なるはなし其の原因
は....畢竟儒教の衰滅したるに因る云々」74p(下線は引用者)
・10/03、旧約聖書を読む。日本人排外思想の拠って来る所を究めんと欲するのみならず....云々、76p
・11/10、専ら人のうわさする巷説、「新政治家の中の末信中野橋本その他の一味は過激な共産主義者...軍人中この一味に加わるもの
少なからず。而して近衛公は過激な革命運動を防止せんと苦心しつつあり。近衛の運動費は久原小林などより寄付せし...云々」98p
・11/16、花電車、「病院内にて花電車を見たることなしと云うもの三分の二以上にて、これを知るものは四十余りの者ばかりなりとの事より
推測して、現在東京に居住するものの大半は昭和十年以後地方より移り来たりし者なることを知れリ。...今回の新政治も田舎漢のつくり
出せしものと思えばさして驚くにも及ばず。フランス革命又明治維新の変などとは全く性質と品致とを異にするものなり」101p
⇒花電車は紀元2600年祝賀行事の一環か、「新政治」とは言うまでもなく「大政翼賛会」の事。
・12月、贅沢は敵だ」の緊縮世情の中、贅沢三昧の軍人壮士の振る舞い、貧富の懸隔広がる様を風刺する戯れ詩、104、115-118p
・12月末、「今年は思いがけぬことばかり多かりし年なりき。米屋炭屋、菓子など商うもの又金物木綿などの問屋、全て手堅き商人は商売
立ちゆき難く先祖代々の家蔵を売りしものも少なからざるに、雑誌発行人芝居興行師の如き水商売をなす者一人として口腹を肥やさざるは
なし。石が浮かんで木の葉の沈むが如し」125p
・昭和16年正月、「去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変せし今日になりて見れば...不便なる自炊生活その折々
の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地せらるること多くなり行きけり。...斯くの如き心の自由空想の自由のみはいかに
暴悪なる政府の権力とても之を束縛すること能わず」129p
年表上からは日独伊三国同盟締結、大政翼賛会発足及びそれに伴う各種団体政党の「自発的」解散、内務省図書課・警視庁検閲課
などの新聞雑誌の整理統合などの出版統制強化などが伺われるが、「軍人政府の専横」とは具体的に何を指すか。昭和15年1月に成立
した米内内閣は倒閣のため陸軍首脳部が画策した畑陸相の単独辞職に拠って総辞職に追い込まれ、代わって近衛内閣が登場した。明ら
かな陸軍の「専横」だが、このような内部事情は当時一般に知られていたか。

・5/11、市中の風聞、いろいろ;築地辺の待合料理店は引き続き軍人のお客にて繁盛一方ならず。公然輸出入禁止品を使用するのみ
ならず暴利を貪りて...」云々、168p
・6月、時局についての意見、日記のこと等、「日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満州侵略に始まる」云々177p
・昭和17年4月、巷の噂、226事件の反乱の兵卒の戦地にて優遇せられし話、南京占領および中華人のおびただしく殺されしに、戦争の
何たるかにつての無関心等々、267p
・昭和18年1/25、街談録、昭和12年より浪費した戦費の合算は支那人戦死者一人につき二千円...この度の戦争の愚劣なること..云々、
316p
・2/03、町会より本年中隔月に百五六十円債権押売のこと申し来たれリ、318p
・5/04、近県への食料品等買い出しの事、夕刻までに数千人が捉えられるが、その大半は鉄道及び郵便局の役員...云々、344p
・5/17、文学報国会、荷風の名を無断借用、菊池寛が創設し、(余の嫌悪セル)徳富蘇峰が会長、346p
・5/26、近頃物品の闇相場、349p
・9/09、上野動物園の猛獣は毒殺...帝都修羅の巷となるべきを予期..云々、379p
・9/28、10月中には米国飛行機必来襲すべしとの風説...、386p
・10/03、「世の中は星に錨に闇と顔馬鹿な人達立って行列とやら云う落首を口にする者さえなきようになりぬ、388p
・10/09、国民預金の強制勧告...390p
・12/22、世間の噂、いかほど職工を増やしても資材不足でどの軍需工場も夜間業務は中止、この様子では来年6月までには戦争は終局
...416p
・昭和19年4/10、市中至る所疎開空襲必至の貼札を見る。一昨年4月敵機来襲の後市外へ転居するものを見れば卑怯といい非国民など
と罵りしに18年冬頃より俄に疎開の語を作りだし民家離散取り払いを迫る。朝令暮改笑うべき...云々441p
・4/11、食物闇値一覧、442p
・東京の繁華は昭和八九年を以て終局を告げたるものと見るべし...455p
◆「俗と反俗は釘と金槌」
・第23巻「月報」に開高健が書いている。荷風老人は後足で砂をかけ、実人生からオリてしまった。その癖、実人生への興味津々、巷の
風説、街談に耳を済まし、日記に書き留めた。「私に云わせれば、荷風散人は決して実人生からオリ切ることが出来なかった。俗物を離れ
て反俗精神が成り立たないことは、釘を離れて金槌が存在し得ないのと同じである...云々」、この好奇心が最も良く映し出されているのが、
昭和18-19年の日記か。戦時下東京の実相の一面を映し出す良き鏡。
読了:  2011年01月29日
・11/01/25岩槻図書館で借りる。
・インカ王は新たに王国あるいは地方を征服すると、まず太陽崇拝とインカの規律に従って統治の礎を築き、更に住民の生活様式を定めた後、耕地を増やすように命じたが、この耕地とはトウモロコシのなる畑のことであり、この目的のため灌漑技師が派遣された。....技師たちは、利用しうる土地の広さに応じて、それに必要なだけの水路を開いたが、それというのも、元来ペルーの土地はひどく痩せていて穀物の栽培に適さなかったため、それを開墾して、出来る限り耕地を増やそうと努めたからである。380.p
・こうして拡大した各地方の全ての耕地を、それぞれ町ごとに測定し、それを三つに分けた。すなわち、その一つを太陽に、また一つをインカ王に、残りの一つを住民に属するものとした。この分配にあたっては、住民が自分たちのタネを播く畑を充分に所有するよう、常に配慮がなされ、大抵の場合、むしろ余分に与えられた。そして、ある町の、あるいはある地方の人口が増えた場合、太陽とインカ王に割り当てられた土地の一部が臣下に回された。従って、王が自分と太陽のために保持していた土地というのは、そうでもしなければ所有主を欠き、荒廃に帰してしまうことになる耕地だったのである。段々畑は大体において、太陽とインカ王に割り当てられたが、それというのも、段々畑の造営を命じたのがインカ王だったからである。灌漑されたトウモロコシ畑の他に、水の引かれていない耕地もまた分配され、そこでは乾地農法によって、別の穀物や野菜、例えばパパ、オカ、アニュスと呼ばれる、非常に重要な作物の種がまかれた。このような耕地の分配もまたきちんと三分割によって行われ、太陽、インカ王と同様、臣下に三分の一が与えられた。しかし、こうした土地は水不足故に生産性が低いので、一、二年耕しただけでこれを休ませ、今度はまた別の土地を分配する、ということが繰り返された。このように彼らは、循環的に使用することによって絶えず豊富な収穫が得られるよう、やせ地を見事に管理運営していたのである。381.p
新しい歴史―歴史人類学への道 (藤原セレクション)
E.ル=ロワ=ラデュリ / 藤原書店 (2002-01) / 2,100円5 users
タグ 歴史 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2011年02月03日 07時22分07秒 2011/02/03
読了:  2011年02月03日
・「農のある風景」11/02/01、11/02/03、11/02/04等を参照
じゃがいもが世界を救った―ポテトの文化史
ラリー ザッカーマン / 青土社 (2003-03) / 2,808円10 users
読了:  2011年01月28日
・11/01/21、岩槻図書館で借りる。
ソヴィエトの悲劇〈下巻〉―ロシアにおける社会主義の歴史 1917~1991
マーティン メイリア / 草思社 (1997-03-11) / 3,780円5 users
読了:  2011年01月15日
・11/01/10、岩槻図書館で借りる。
・すべての人間の行為は、その行為者たちの気付いていない目的のために役立つのは避けられない。スターリンは、レーニンの作った党を道具にして、野蛮な手段でマルクスの言う社会主義を築こうとしてこのような誤ったプロセスをたどらせた媒介者であると考えればよく理解できる。だが、この結果が奇怪で馬鹿げたものであったということは、スターリンがマルクスかレーニンのいぜれかを裏切ったということにはならない。むしろこれは、マルクス=レーニン主義者的な企てが本来、実現不可能で、それ故、これを実現しようとするどの試みも、過剰な権力の行使に頼らざるを得ず、従って、このような権力の行使は、ただ、馬鹿げた非現実的なものを生み出しかねないことを意味している。67.p
人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)
鬼頭 宏 / 講談社 (2000-05-10) / 1,058円92 users
タグ 歴史 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2011年01月09日 15時44分40秒 2011/01/09
読了:  2011年01月09日
・縄文中期、東日本7地域の人口は25.2万人で総人口の96%を占めていた。29.p
・奈良時代初期の人口は血統から見て、北アジア系渡来系が8割あるいはそれ以上、もっと古い時代に列島に来て土着化した縄文系が2割又はそれ以下で混血した可能性が高い。72.p
・11世紀以降の数世紀、全国的人口調査の空白時代。荘園制という経済システムの成立は全国的な人口や生産、土地に関する調査を困難にさせたし、中央政府や荘園領主層の数量的関心が、極めて希薄だった。78.p
・小農自立が進んだ時代、人口一人当たり農耕用役畜の数も減少した。93.p
・江戸時代後半に全国人口は停滞的であったが、地域人口の動きは極めて多彩であった。96.p
・16-17世紀は婚姻革命といって良いほど大きな変動が起きた。(世帯規模の縮小、それとともに誰もが生涯に一度は結婚するのが当たり前という「皆婚社会」が成立した。91.p)それ以前と比べて有配偶率が著しく高まった。その理由は小農民自立の過程で配偶者を持つことの少なかった隷属農民が消えて、家族形成が進んだことにある。119.p
・全国人口は1792年に底を打つと以後増勢に転じ、1822年にそれまでのピーク人口(1732年)の99%まで回復、人口成長の新たな局面が1820年代に始まる。219.p
喪失の国、日本―インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 (文春文庫)
M.K.シャルマ / 文藝春秋 (2004-01) / 710円41 users
タグ 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 政治 更新日:2011年01月09日 11時00分41秒 2011/01/09
読了:  2011年01月09日
・11/01/08、岩槻図書館で借りる。インドのエリート・サラリーマンの日本滞在記。「90年代に日本が何を失ったのか、はっと気付かされる」との解説にひかれる。
・日本のように、あらゆる部分に電子技術の応用がなされ、人々がこのように恩恵を享受し、楽しむことが出来るのは、経済的な豊かさもさることながら、平和が保障されているからだ。つまりこれは「核」の傘によって守られている国の豊かさであり、余裕なのだ。48.p
・「頑張る」ことに対する目的語を問わないことが、日本人のアイデンティティであるらしい。これは結果よりも情念の働きを上とする独特な日本人の国民性で、そのことが多くの美しい文学をうみ、また多くの悲しい歴史を生んでいる。181.p
・数百の異民族・異教徒が混在する我が国には、それと同じ数だけの社会がある。それは、この国に異なった種類の掟や、常識や非常識がひしめいていることを意味しているだけでなく、至る所に予測しがたい文化的陥穽が潜んでいることも意味している。インド社会は、無数の文化的地雷原の上で営まれているのである。185.p
溪内 謙 / 岩波書店 (1970-11-05) / 3円3 users
タグ 歴史 経済 社会 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2010年10月18日 12時24分40秒 2010/10/18
所有 読了:  2010年10月18日
・再読、1926~29年の農村の政治的展開の分析。
・27年末からの穀物調達危機を通して、28年1月以降非常措置が実施された(「非常措置」の具体的分析・実施過程の状況は、391.p以降)。非常措置の実施を通して、党組織及び国家組織の組織原則は抜本的に侵犯され、また党と国家との機能上の区分は事実上消滅する。当初、異例の措置として実施された憲法的組織原則の侵犯は、非常措置そのものが常態化していく過程で、ソヴィエト国家と党との新しい組織原則、スターリン政治体制の構造的原理と化していくのである。361.p
・ソヴィエト史における重要な(政策的)転換は、これまですべて穀物問題と密接に結びついていた(戦時共産主義の食料徴発制、ネップの食糧税、24年秋の新政策etc)。穀物問題は経済政策的問題にとどまらず、優れて政治的な問題であった(都市の党であり、農村に社会的支柱を欠いている。農民を体制側に如何に引き寄せるか)。穀物問題の経済的側面と政治的側面は二律背反的に現れてきた。364.p
・(穀物調達危機の性質めぐる)ブハーリン派とスターリン派の分岐は、28年前半には存在したが、表面化せず、外見的にはブハーリン的観点で統一されていた。7月の党中央委員会総会で、初めてスターリンとブハーリンの先鋭な対立が伝えられ(あるいは表面化し)、11月の党中央委員会総会以降は、危機の原因についてのスターリン的観点(もっぱら政治的に捉える)が支配的になる。368.p...ルイコフが原因を「経済的」側面に限定したのに対して、スターリンは、クラーク、調達機関、党、貧農、農村の階級闘争など政治の次元に焦点を収斂させた。374.p
穀物調達危機の深刻化に伴い、調達の自発的・経済的手段に代わって、強制的・権力的手段が「非常措置」として導入された。最初は、一時的・例外的「措置」とみなされたものが、穀物調達危機の常態化に伴って常態化し、やがて原則として定着した。従って、この時期(27-28年)の穀物調達危機をめぐる「非常措置」は、スターリン政治体制(むき出しの暴力的措置を根幹とする権力支配)への決定的な転機とみなすべきか。
・(28年1月以降)都市と農村の結合の基本形態として、これまで維持されてきた原則、経済的には市場関係を媒介にする原則、政治的には農民の大多数に権力的強制の適用を行わず、説得と合意の調達とに基づいて農民との協力関係を確立しようとする原則の否定、420.p
・農村からの「余剰貨幣」の引き揚げ措置、債権の発行&割当、自己課税、租税その他の農民の支払金の徴収。本来的には、工業化のための資本蓄積の必要という観点から発想されていた(いわゆる「社会主義的原蓄」)が、調達危機が深化するのに伴って、当面の危機打開の方策に結び付けられ、それと共に農民の自発性尊重の原則は軽視され、強制力の行使もやむを得ないという観点が優位を占めるに至った。421.p
・自己課税、伝統的な農民の共同体における自治の物質的基礎を確保する手段として古くから発達していた制度で、各農家が村落の管理のための費用、労役を分担するもので、貨幣、現物及び労働の三種類の分担方式があった。この課税を拘束したのは、国家権力ではなく、共同体の伝統的な力であった。..当初は維持されたが、..1924年になって、国家財政の体系化、統一化の過程が農村まで下降していくのに伴い、国家権力との統一性に矛盾する制度として批判された。428.p..1927年8月「住民の自己課税について」の全連邦的立法、432.p..(28年の自己課税カンパニアと共に、自治的・自己管理的性格は否定され、国家財政の一部に組み入れられ、権力的・命令的・強制的・懲罰的な徴発に変わっていく。443-455.p参照)
・土地政策に関する階級的方針、(穀物)調達カンパニアに関連して提起された土地政策に関する階級的方針とは、具体的には、主にクラークの土地利用の制限の強化とクラークの土地余剰の没収(455.p)、地方の活動家にとってクラークとは誰であるかの基準は明確でない場合が多く、たとえ基準が明確にされたとしても、商品穀物の主要な保有者が中農である以上、調達目標の早急な達成という目的からすれば、適応をクラークに限定することは困難であった(458.p)。
・非常措置の核心は、投機抑圧を規定した刑法107条を、穀物調達のために、穀物を隠匿または投機したとみられる農民に広く適用したこと(457.p)、ウクライナでは穀物摘発のための家宅捜索、農民の逮捕、没収の措置が広く適用された。これに併行して、穀物を隠匿または投機した者に対する効率の自己課税その他の賦課、多額の債権の割当、土地の没収などが行われた。このような措置は27年末までは、スターリンを含めた党主流派によって戦時共産主義政策への復活として、左派に対する攻撃の口実に利用され、非難されていた(458.p)。
・非常措置の性格、「行き過ぎ」「臨時的・一時的」をめぐって、「28年以降の党内闘争の重大な争点」になる。463.p
・4月総会の決定は「穀物調達における困難の解消に比例して」非常措置がなくなる見通しを述べたが、4月以降党の予想に反して穀物調達は一層激化した形で再現し、農民の備荒用の貯蔵穀物までも調達の対象とされるにいたり、そのために非常措置が反覆され、行政上の専断行為が行われ、革命的適法性が侵犯され、農戸の戸別巡視、不法な家宅捜査などが行われ、これが国の政治情勢を悪化させ、労働者と農民の結合が危険にさらされるに至った。466.p
28年1-3月の調達カンパニアの中間的、過渡的性格:4月総会の決定の一節(第15回大会のスローガン「クラーク層に対する攻勢をさらに発展させよ」は、大社会主義工業と小農経営との結合の唯一の正しい形態であるところの「新経済政策」を基礎としてのみ、またプロレタリア国家の革命的適法性の厳格な実行に基づいてのみ、実現される)に表現されている。504.p、◆参考:28年1月の調達実績(491.p)、2月の調達実績(495-496.p)
農村における階級関係の実相:1929年末の集団化の急激な展開とそこに至るまでの発展とを農村における階級分化の自然発生的深化もしくは農業生産力と農業生産関係の矛盾の発現として捉えることは、事実を正しく認識するための接近とはなりえない。政治過程に浮上する農村の政治関係は、貧農間の活動に典型的な例を見るように、農村外からの階級的な組織化あるいは抑圧というすぐれて政治的な働きかけに常に関わっていたのであって、上からの政治的な働きかけを別として独立した階級関係の実在を客観的に確認することはほとんど不可能、539p(やや迂遠な表現を取っているが、要するに、クラーク、中農、貧農という階級的区分は農村の社会関係の実相を反映するものというより、政治的要請(ないし配慮)から生じた恣意的分類だ、ということではないか。恣意的性格については、第四章の2、「クラーク」598-626.pで具体的に分析されている。
農村の社会主義化:第15回党大会は「農村の社会主義化」を基本的任務として掲げた。その実際の過程は、「大局的に見て、貧農、バトラーク間の活動の本来的目的、すなわち、農村内部における農業の社会主義化のための主体的勢力を形成し、これを中核として農民の大多数を結集して、彼らの合意と支持を得て漸進的集団化を実現するという目的は、活動が先鋭な危機を打開するための諸方策に連結されることによって後景に退き、さらにこれらの方策実現のための手段、方法がこの活動に浸透することによって、この活動に本来的に含意されていた下からの自発性の契機は、上からの行政的方法、強制にとって変わられいったのであった。545.p
伝統的な農村共同体と村ソヴィエト、ストルイピン改革後、農村共同体は急速に崩壊し、10月革命までに農民経営の半ばが共同体を離れていた。しかし革命後、急速に復活し、農村における支配的な土地関係、社会関係になった。復活の要因として(取り敢えず)考えられるのは、エス・エルの綱領に基づく土地改革実施、共同体的土地再配分、戦時共産主義下の商品流通の制限、革命前の共同体的関係解体の不完全性、ロシア農民のオプシチナ的集団主義の精神、639.p
・(伝統的な農村共同体が存在する。それに対して、革命は階級的・自治的な農民組織を結成し、取り敢えずは伝統的農村共同体を破壊しようとまでは意図しないまでも、それに代わる階級的自治組織を結成しようとした。実質的に成功しなかったことは)第15回党大会以降村ソヴィエトの指導制の強化のため、その物質的基礎の強化、特に村ソヴィエトの独自予算の確立が叫ばれたが、1926-27年に、ロシア共和国の5.7万余の村ソヴィエトのうち独自予算を持つのは3%に過ぎなかった。647.p


◆年表
1927/08/24、全連邦的立法「住民の自己課税について」、432.p
1927/12/02-12/19、第15回党大会、政治報告(スターリン)、五カ年計画作成のための指令(ルイコフ)、コミンテルンのソ連代表団の報告(ブハーリン)。穀物調達危機に関してはルイコフ&ミコヤンが触れる。356.p
1928.02/13、政治局指令、494.p
1928/03/22、全ウクライナ中央執行委員会「不法に占拠された土地余剰の摘発と没収のための措置について」決議を採択、456.p
1928/03/24&6/21、全露中央執行委員会幹部会付属の土地係争最高統制特別参与会総会の決定、クラークの土地利用の制限強化、455.p
1928/04、党中央委員会・中央統制委員会合同総会、466.p
1928/12/15、土地立法の成立、678.p
清沢 洌 / 評論社 (1985-09) / 6,932円1 users
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読中: 
◆「戦時期」の同時代的精神史の記録として再読する。最初に読んだのがいつか記録にない。
・43/01/13、米国の軍事予算は1050億ドルに達するだろう旨の教書発表。日本の国民収入が450億としても、約十倍の予算だ。
・43/02/22、浪花節文化が果実を与えてきた。大東亜戦争は浪花節文化の仇討ち思想である。新聞は「米利犬」といい、「暗愚魯」といい、また宋美麗のワシントン訪問に、あらゆる罵言的報道をなしている。更に、43/03/22には、わが国において敵を憎むことを教える。たとえば星条旗の上を足で踏む如し。戦争目的は、そうした感情よりも遥かに高からざるべからず。昔の仇討ち思想では世界新秩序の建設は不可能である。高い理想を打ちたて、その理想の実現を米国が阻むというのでなければ駄目である。(秩序の中身に違いがあるにしても、基本的には世界革命思想とも、ファシズム運動とも、石原莞爾の世界終末戦争とも通底する思想だな。時代意識の中に、それを容認する何かがあったのか?
・43/05/02、敵国は日本の事情に通じるものを、それぞれに重要視している。....日本はそうしたものを遠ざけるのである。59.p(随所で「日本国の形式主義」を批判している。思うに、「敵を知る者」を遠ざけるのも形式主義に相通じるところが有らんか
パックス・アメリカーナの形成―アメリカ「戦時経済システム」の分析
河村 哲二 / 東洋経済新報社 (1995-04) / 3,990円2 users
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読了:  2010年10月01日
・GNP及びGNPデフレーターの変化率(四半期別前期比、1875~1983年)、10.p⇒戦時を境に景気循環(のパターン)は変化する。⇒「資本蓄積体制の変容」という認識
・戦時期の連邦政府財政(40~48年度)、60-61.p⇒日本のそれと比較せよ。
・第一章は、軍需生産(自国のみならず、レンド・リース計画による連合国援助、54.p参照)による国民総生産に占める国家の比重の著しい肥大化を金融・財政面から裏付ける。
・軍需生産の拡大と共に、それに対応する社会的な生産管理体制の整備が不可欠の要請となる。資源及び労働力の社会的配分の計画的調整ないしは統制(第三章の分析課題)
1.生産能力に余剰がある場合、「40年5月以降の再軍備プログラムの定式化とそれに伴なう軍需発注の拡大は、供給体制の制約や限界をすぐには顕在化させなかった。30年代以来の過剰生産能力・余剰労働力が存在しており、概ねこうした余剰部分の吸収で対応できた」135.p
2.余剰能力が解消するに伴い、インフレーションの顕在化及び「優先支援」(または個別的「優先統制」方式、134.p参照)の膨大化、事務煩雑化、136.p⇒物資フローの統制面で、41年後半期に、単なる優先統制の手法を超えて、「基礎資材の全般的配分統制が導入され、参戦期の後半にかけて確立されていった」136.p
・戦時生産の拡充に伴う労働力の再配分(1941年末と42年末の比較)、戦時生産の従事者数は480万から1130万に+630万(総労働者数の29%)、軍隊は210万から700万に+490万、合計1120万。これは労働力の新規追加+390万(うち170万は女性)、民生産業からの転換375万、失業者の減少で230万、自営業からの転換で100万などによってまかなわれた。175.p
・第二次大戦期のアメリカ戦時経済の特徴は、次の二点に要約される。1、基幹的な重化学工業で支配的地位を確立していた戦前来の大企業・巨大企業に直接依存するものであった。2、そのような産業体制を前提にして機能する「市場メカニズム」を、かなりの程度利用して「戦時経済システム」は機能した。228.p参照(かなり常識的な指摘、実証分析以前に一般論として予想しうる内容のように思われるが、さて、どうだろう?
戦時期日本の精神史―1931‐1945年 (岩波現代文庫)
鶴見 俊輔 / 岩波書店 (2001-04-16) / 1,274円27 users
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読了:  2010年09月20日
◆10/09/17から再読(精読する価値のあるもの、ないものを分けて、不要な本は処分するため読み始める。この日以降(10/09/18)、原則として、手持ちの全部の本に目を通す。拾読、斜読、通読、精読、熟読の如何にかかわらず。その最初の一冊として、偶然、手にした。)。
戦時下の日本人(特に知的エリート)の精神的有り様を外側から(「戦時下」は米国の捕虜収容所で過ごし、戦後帰国して後、高度成長下という条件の下で描いたという二重の意味での「外側」)描いたものとして制約と非制約性を併せ持っている可能性。その意味で、同時代的記録とあわせ読む必要がある。
本書扉裏の紹介に「ファシズム支配下の日本の知識人の軌跡を通して”転向”の事実と意味を問い直し、それがわが国の精神史を貫く”文化の鎖国性”という特質と通底することを明らかにした」云々とある。この”文化の鎖国性”を、もっとも深いところで認めるべきかどうか、ある特殊な時代の時代精神としてのみ認めるべきか、日本文化の一般的特質として認めるべきかどうか、今の僕には判断できかねる。
・国家宗教の密教と顕教、56-59.p
・明治以後の政府には、民主政治としての性格があるとともに、神政政治としての性格があり、いかに両者が組み合わさっていたか、織り交ぜられていたか、62.p
・日本人の政治活動の三つの役割分担(丸山真男の見解)おみこし、役人、無法者、62.p
・国民を欺瞞し続けた結果、国家指導者自身がその欺瞞に絡めとられ、自己欺瞞に陥った例、あるいは国家宗教の顕教の部分がその密教部分を飲み込んでしまった例⇒太平洋戦争へと踏み切らせた決断の背後にあったもの、66-67.p
・15年戦争、満州事変以降の一連の戦争はそれぞれ別個のものではなく、ひと繫がりの連続的な戦争であったと捉えるべきだが、それにもかかわらず、この長い戦争の背後には戦争指導の設計者というものはいなかった。「この長い戦争が続いたのは、それを止める力を政府が持っていなかったという理由に基づく。...
日本文化の鎖国性という条件がなければ、このような戦争は続けられなかったに相違ない。」82.p
・「非転向の形」の中で、日本人の宗教心を扱っている。一般人の常識的な宗教心とともに明治初期の隠れキリシタンおよび戦時中の隠れ仏教徒(国家至上主義に対する異議申し立て)。
・朝鮮と朝鮮人に対する日本人の態度を見ることを通して、日本人の思想を一種の分光器による分析にかけることが出来ます。118.p
・(ある年代以上の日本人にとって)戦争中の記憶は(特に中国での記憶)、嫌な記憶です。....戦争中に起こった出来事をどのように覚えているか、どのようにそれを心の中ですり替えて別のものにしているか、それを表現しているか、それを調べてみることは、日本文化を理解するひとつの手がかりを与えます。171.p
◆読んで見たい、あるいは読み直してみたい本が、沢山紹介されている。
ソヴィエトの悲劇〈上巻〉―ロシアにおける社会主義の歴史 1917~1991
マーティン メイリア / 草思社 (1997-03-08) / 3,780円7 users
購入:  2010年07月30日 3,675円 所有
読了:  2010年08月15日
ソヴィエト体制の成立・存続・崩壊は、様々な理論的問題を提起した。まず第一に(最も基本的な問題は)、資本主義経済の高度な発展の結果として、必然的に社会主義経済に発展転化するというマルクス主義の真髄が、資本主義的発展の最も遅れていたロシアで実現されたというアイロニー(この点について、143-145.p参照)。同時に、それはプロレタリアートの殆どいない社会でのプロレタリアート独裁を意味し、プロレタリアートの名による独裁という虚偽を前提とした。第二に、当初はロシア革命の成功は世界革命(或いはヨーロッパ革命)を当然の前提としていた(暗黙の了解として)。しかしヨーロッパ革命は起こらず(或いは挫折し)、ロシアは「単独の」存続を強いられた。ヨーロッパ社会主義は、必然的に「一国社会主義」に変質せざるを得なかった。それはスターリンの変質による「裏切り」なのか、「存続」のための不可避的選択なのか。不可避的選択として、そもそも「一国社会主義」は可能なのか?第三に、スターリンの全体主義体制は、生き残りのための不可避的選択だったのか、どの程度までスターリンの個人的資質に負っているのか?そもそも「プロレタリア独裁」は全体主義体制に必然的に転化せざるを得ないのか?第四に、レーニン主義とスターリン主義の関係、或いはレーニンが「もっと長生き」していれば、多少とも違った「体制」が造られたのか?第五に、その「崩壊」は、マルクス主義の誤りを証明するのか、単なる「後進国の社会主義」的実験の失敗に過ぎないのか?これは第一の問題、すなわちマルクス主義革命は後進国でのみ実現されたのはなぜかという問題にも通じる。(この点について、97.p参照)。第六に、ソヴィエト全体主義は、ロシア的専制主義の伝統の継承なのか、それともプロレタリア独裁の不可避的帰結なのか?
・第一章「社会主義とは何か」は、政治思想史、特に18世紀以降の政治思想史の簡単な概説になっている。
片言隻語の中に、光るものがある。
・「体制側の社会主義」と「反体制側の社会主義」44.p
・社会主義という言葉は歴史用語でもなければ社会科学用語でもない。あたかも救済宗教の呪文に近い言葉なのである。46.p(尤も、社会主義を宗教に擬えるのは独創的でもなんでもない。とはいえ社会の経済的発展法則に基づく「科学的真理」を、その「理論と行動の原理」とする政党の支配は、不可避的に神権政治に帰着する、と見なしてよいだろうか。
・歴史の論理は様々な形の改良主義を生み出すことしか出来ない。82.p
・すべての近代国家形成は、大規模な職業的常備軍を必要としたことから始まった。111.p
・人民の味方と自称する急進派のインテリゲンチャたちは、『カラマーゾフの兄弟』の中の劇詩「大審問官」の台詞のように、いつかは彼らを奴隷にする主人になる可能性がある(のだと、ドフトエフスキーは鋭く批判した)。119.p
・レーニン主義党の天才的なところは(この党こそがまさに天才の構築物であったが)エリートの秘密結社でありながら、大衆動員のための道具でもあったことである。134.p
・マルクス主義の威力は、形而上学的なものが実証的であるかのように見える正確さにある。143.p
・レーニンの業績の大事な点は、マルクス主義の定式化された教義を後進国世界に的確に当てはめたことだった。...「資本主義という鎖の最も弱い部分」...1902年以降、レーニンは自説を段階的に展開していくにあたって、マルクス主義をその定式化された教義とは次第に矛盾した解釈をするようになり、マルクスのいう歴史の論理をロシアの後進性に合わせて組み立て直した感がある。145.p
・「ソヴィエト」のユニークな性格は、この組織が階級に基づく権力として作られている点にある。...「ソヴィエト」はたんなる階級意識の社会的表出ではなく、あらゆる勢力関係が流動的な重大局面の真っ只中で生まれた特殊な政治集団である。165.p
・(ロシアで例外的な)「ソヴィエト化」が実現したのは、ひとつには戦時の大々的動員体制が、農兵の「プロレタリア」勢力母体を人為的に膨張させていたからである。ロシアの市民社会が例外的に脆弱で、革命的な対抗権力の増大を阻む勢力組織がほとんど生まれてこなかったことにも原因がある。166.p
・(マルクス主義は先進工業社会と階級意識の高いプロレタリアートを前提にしているが、その擬制の上に立つ)党はそうした物語を生み出すはずの社会と階級の創出に専念してきた。...これほど合理的な顔を持った社会的狂気というものもこれまでになかった。211.p
・ボリシェヴィキが生き残ったのは、偶然の賜であるが、生き残ることのできた構造的理由も(あるにはあった。)
1.赤軍の有利な戦略的位置
2.外国の内政干渉勢力の恩義を受けていなかったために、「愛国者」として振舞うことができた。
3.農民は、赤軍を嫌っていたが、白軍はもっと嫌われた。
4.もっとも重要なファクターは、優れた組織力を持っていたこと。218.p
・(革命後の)全世界において、共産主義政策の大きなパラドックスは、反体制側にいるときはアナーキストで、政権側になったら全体主義者になったことで、しかもこの二つの立場の間に矛盾があるとは見なかったことである。219.p(このようなパラドックスは、ある程度までは、単なる体制内の野党と与党の立場の交替によっても見られることは、自民党と民主党の政策によって経験したとおりである。
・レーニンの農村社会学(富農、中農、貧農の階級的分類単なるドグマの統計的肉付けを実証的社会学に見せかけた、とは書いてないが、実質的にそういう意味)、1917年以降の富農は、馬一頭、牛三頭を持ち、一年のうち何ヶ月か、自分たちよりも貧しい百姓をニ、三人雇う農民以上のものではなかった。その上、農民たちはそのような相互依存関係をごく普通のことと思っていた。仕事の段取りのうまい農民は、大半の中農にとって、事実上、手本であっても階級の敵ではなかった。あらゆるレベルの農民にとって、本当の敵は村の外にある世界、すなわち国家、都市、1917年以降は党だった。224.p

・国家管理の本質:全般的奴隷制、1861年の農奴解放後百年もしないうちに、農民は再び党国家の奴隷にされてしまった。(330.p)...国内旅券制度の導入、定職がなければ住居も配給も受けられないし、無断欠勤は犯罪として罰せられた。これは1930年代末までには19世紀の警察の労働者台帳に逆戻りし、労働者を仕事に縛り付けるための「グラーグ」を生む源になった。(335.p)
カール・R.ポパー / 未来社 (1980-03) / 4円2 users
タグ 政治思想 政治 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2010年02月10日 08時17分02秒 2010/02/10
ウィッシュ ウィッシュ 読了:  2010年02月16日
約三十年前に出版されたこの本を採録したのは、「ソロスは警告する」の中で、雷に打たれたような啓示を受けたと書いているからだ。
同書で、ポパーは「ナチス思想も共産主義も”究極の真理を獲得した”と主張する点ではそっくりだ」と論じている。だが、究極の真理は決して人には知りえない存在である以上、ナチズムも共産主義も現実を歪んだ形で解釈しているはずだそして、そのような解釈を社会に適用するならば、どうしても暴力的な強制に頼らざるをえない。(「ソロスは警告する」から、61.p)
カール・ポパーは、1970年代に「科学的発見の論理」を読んだだけで、詳しくは知らない。トマス・クーンが「科学革命の構造」で提起したパラダイム・シフトをめぐって論争をしていた記憶がある。ともに印象に残る人で、いつかはきちんと読んでみたい気持ちはあったが機会がなかった。こんどの農閑期にでも。
◆さいたま市図書館、10/02/08(一応通読するが、再読候補の意味でウィッシュに入れて置く
・本書は政治哲学及び歴史哲学への批判的序説であり、また幾つかの社会改造の原則の吟味でもある。(はしがき)
・本書を書こうという最終決定は1938年3月、私がオーストリア侵入のニュースを受け取った日になされた。..本書の大半が戦争の成り行きが不確定な重大な時期に書かれたという事実は、今日ではその批判の一分が、私が望ましいと思うよりも情緒的で厳しい調子であるように思える理由を説明する助けになるかも知れない。..マルクス主義をかなり詳しく扱ったのは、それが主要な問題になるだろうという予感のためであった。(改訂版はしがき)
歴史信仰、人類の未来の運命について、社会科学は「預言者の無責任な答以上のものを与えられるのか」、予測すること、あるいはむしろ我々の日常的予測を改良すること、それらをより確実な土台の上に据えること、が科学一般の任務であるとされ、特殊的に言えば、長期的歴史予言を我々に授けることが社会諸科学の任務だとされる。彼らはまた、自分たちが歴史的事件の成り行きの予言を可能にする歴史法則を発見したとも信じている。この種の主張を掲げる社会哲学を歴史信仰という名のもとに一括した。(序文から)
鱈―世界を変えた魚の歴史
読了:  2010年01月22日
◆さいたま市図書館、10/01/21
最初に注目したのは『歴史を変えた気候大変動』(参照)、次いでブローデルの指摘「早くも15世紀末期からニューファンドランド沖の棚にいるタラの大規模漁獲が行われたが、これは革命的な出来事であった」(参照)但し、下線部の意味がいま一つ掴みきれない。
・バスク人が抑圧と度重なる戦乱にもめげず、かくまで強固に独立を保ち得たのは歴史を通じて経済的安定を維持していたからである。バスク人は農牧民であると同時に、かつては海上交易に目覚ましい活躍を見せた船乗りでもあったのだ。中世のヨーロッパ人は鯨肉を大量に消費した。バスク人はどことも知れぬ遠い海に出かけて鯨を捕ってきた.彼らは無尽蔵のタラの魚群を発見し、獲物を塩漬けにして蓄えた。このもちの良い栄養豊富な食糧があったればこそ、バスク人は長途の捕鯨航海に耐えることができたのである。27.p
・西暦千年までにバスク人はタラの市場を大きく広げ、タラの棲息海域をはるかに超える、文字通りの国際貿易を実現した。28.p
・1480年に入って、ブリストルの商人とハンザ同盟の間に対立が深まった。(当初は絶対君主の圧制に抗し、海賊を退治し、水路を開削し、灯台を築いた。やがて貿易の独占を守るため理不尽な振る舞いにでた。)バルト海のニシン貿易を独占していたハンザ同盟は、15世紀に入って干しダラの権益をも一手に握ろうとした。その頃すでに干しダラはブリストルの主要な産物だった。1475年、ハンザ同盟はブリストルの商人がアイスランドからタラを買うことを禁じた。32.p
・タラは暖流と寒流が触れ合うところに集まる底生生物を捕食する。メキシコ湾流がラブラドル海流をかすめる北米大陸沖、そして、同じ二つの海流が再び出会うイギリス諸島、スカンディナビア、ロシアの沖合に餌を求めてタラは群れる。...タラは常に暖流と寒流の境界を伝わって回遊するから、タラ漁場の移動を監視すれば気象の変化が読めるとする学説もある。寒流の水温が下がればタラは南へ移動し、温度が上がれば北へ寄る。49.p
・ニューファンドランドのタラは16世紀の貿易史上に変化をもたらし、各地の港湾開発を促した。アイスランドのタラの利権をめぐるイギリスとハンザ同盟の対立は次第に深刻の度を増していたが、ニューファンドランドの漁場が新たに開発されると、イギリスの西海岸には相次いで大きな漁港が出現した。イギリスは、もはやアイスランドを必要としなくなった。60.p
・18世紀を迎えて、タラは入植者が餓えに苦しむ辺境の植民地だったニューイングランドを国際貿易市場の主力に押し上げた。マサチューセッツでは、タラは商品である以上に信仰の対象だった。17世紀にタラ漁業で繁栄の基礎を固めた「タラ貴族」たちはみな、富の象徴として公然とタラを崇めた。公式の封印や紋章などにもタラがよく使われ、プリマス土地会社の社印や、1776年に制定されたニューハンプシャー州の紋章などはその代表例である。84.p
・17世紀の砂糖生産は労働集約型の農産業で、経営戦略の要は奴隷を使役して人件費を低く抑えることだった。収穫機の砂糖農園は多くの奴隷が一日16時間以上の重労働を強いられる一大工場である。...ニューイングランドの植民地はここに安価な栄養源である塩ダラの将来性を見出した。...粗悪品を貪欲に受け入れる低価格市場が生産者にとって抗し難い吸引力を備えているのは、商業上の自然法則といえば云える。...1645年に一艘のニューイングランド商船がカナリア諸島に向かい、更にガボベルデに下って積み込んだアフリカ人奴隷をバルバドスで売り、ワイン、砂糖、塩、タバコを積んでボストンに戻った。その後、西アフリカに塩ダラの市場が開拓されて、まもなく、タラと奴隷と糖蜜は通商上、切っても切れない関係で結ばれることになった。/ニューイングランドの社会はあくまでも個人の自由を重んじ、あまつさえ、公然と奴隷制度を非難する一方で、カリブの砂糖農園主らに安い食糧を大量に売り込み、奴隷に一日16時間の労働を強いて自分たちは着々と富を蓄えたのである。18世紀初頭、多いときには年間三百艘を超す船がタラを積んでボストンから西インド諸島に向かった。...ニューイングランドの大口の得意先はフランスの植民地、サン・ドミニク(ハイチ)、マルティニク、グワドループ、オランダの植民地、スリナム(オランダ領ギアナ)だった。いずれも大規模な砂糖農園を経済基盤とする植民地で、特にフランスは巨利を得ていた。1680年以降、フランスは毎年平均千人のアフリカ人奴隷をマルティニクに呼び寄せた。18世紀には毎年八千人がサン・ドミニクに運ばれた。85-89.p
・アメリカ革命は史上初の反植民地運動である.政治的自由を求める運動には違いないが、革命の先頭にたったニューイングランドの強硬論者たちにとって、その自由とは自分たちの判断で運営する権利を意味するものであった。程度の差はあれ、革命はすべて経済闘争である。マサチューセッツの急進派が目指したのも社会革命ではなく、経済革命だった。...革命急進派にしてみれば、糖蜜やタラや、茶は単に本国との間に不和を生む頭痛の種などという生易しいものではない。これらの商品こそ革命の動機そのものだったのである。99-100.p
・中世から現代にいたるまで、地中海世界はタラの需要が最も多い市場である。19世紀に地中海各国の人口は飛躍的に増大した。スペインの人口は倍になり、ポルトガルの人口増加率はそれを上回って、ビルバオをはじめ、ポルト、リスボン、ジェノア、ナポリなどの港がそれぞれに大都市圏を形成した。..その大半がタラを好む消費者だった。106.p
日常性の構造1 物質文明・経済・資本主義―15-18世紀
読了:  2010年01月20日 星5つ
◆さいたま市図書館、10/01/19(社会経済構成史や政治的上部構造の分析を中心とした歴史分析を、もっぱら「歴史」と見なす立場から見れば、全く異質の・時に瑣末な日常的些事の沼地に足を取られたかの感さえある日常世界が展開される。それはまさに、考古学的発掘にも等しい埋れた記録の丹念な掘り起しによって、15-18世紀に生きた人間の日常的世界の「構造」を再現しようとする至難の技とも云える試みであり、この時代の人々の息遣いを初めて、多少とも感得させる歴史的業績とも云える。
・中国においてもヨーロッパにおいても、18世紀に入るとともに砕け散ったもの、それは生物学的旧制度である。77.p(生物学的旧制度、多分、生と死との拮抗、貧民に常習的に襲いかかる死の日常性を表現しているのだろうが、その意味合いが、やや曖昧だな!!
・エリザベス朝末期に救貧法が登場した。実はこれは貧民に対抗する法律であった。西ヨーロッパ全域を通じて、貧民及び望ましからざる者のための施設が増大していった。救貧院においても、懲役場においても、被収容者は強制労働刑に処せられたのである。84.p
・人間は、当初の動物同然の状態から解放され、また他のもろもろの生物を支配して以来、それらの生物に対して捕食獣として「巨視的寄生」を実践してきた。しかし、同時に、微生物・細菌・ウィルスなど、限りなく小さいもろもろの生体に攻撃されたり悩まされたりしながら、人間自身が「微視的寄生」の餌食となってきたのである.この巨大な闘争こそ、根深いところで人類の本質的歴史をなしているのだろうか。103.p
・1782年のフランスでは、人夫なり農民なりが一日にニないし三リーブル(1キロから1.5キロ)のパンを食べるに至った。「しかし、他に食べるものがあれば、誰もこれほどの量を食べはしない。」/パンが収めたこの大勝利は、小麦がカロリーの高い食物であるのと同程度に、相対的にもっとも安い食べ物でもあるという事情に由来している。1780年頃、小麦の値段は牛・豚・羊の肉の11分の1、鮮魚の65分の1、川魚の9分の1、塩漬け魚の3分の1、卵の6分の1、バター及び食用油の3分の1であった。/「パンの値上がりは...他の食品の体温計であった。」167.p
・小麦・小麦粉・パンの三位一体が、ヨーロッパの歴史に横溢している。都市・国家・商人にとって、また生きるとは「パンにありつく」ことにほかならなかった人達にとって、この三位一体は主要な関心事であった。182.p
・小麦だと一人分の食糧しか得られない土地でも、ジャガイモならたっぷり二人は養えた。それにもまして、戦争の脅威があった。戦争は穀物畑を荒らしたからである。アルザス地方について、ある資料はこう説明している。農民がジャガイモを大切にするのは「それが決して...戦争の掠奪に曝されないから」である、と。軍隊が一夏の間畑に陣を布こうとも、秋の収穫まで台無しにされることはなかった。実際戦争は、そのたびにジャガイモ栽培への刺激となったらしい。...もうひとつ利点があった。この新種の収穫物は、地域によっては十分の一税を掛けられずにすんだ。218.p
・おそらく1350年から1550年に至るまで、ヨーロッパは幸福な個人生活の時代を経験したのであった。黒死病の破局の直後、労働力が手薄になったために、働く者にとっては生活条件が必然的に良好だったのである。実質賃金がその時ほど高かったことは未だかつてなかった。...1520-1540年以前においては、まだあまり人口が多くなかったランドック地方においては、農民も親方職人も白パンを食べていた。中世の「秋」から遠ざかるにつれて、生活の質の低落が始まっていき、そのまま19世紀の正しく半ば迄続いたのである。251.p
・早くも15世紀末期からニューファンドランド沖の棚にいるタラの大規模漁獲が行われたが、これは革命的な出来事であった。これがきっかけとなって、バスク人、フランス人、オランダ人、イギリス人の間で突きのけあいが始まり、強国の漁民が保護の弱い国の漁民を追い払っていった。こうしてスペイン領バスク人は排除され、漁場に近づくことができたのは、イギリス、オランダ、フランスという強力な海軍を有する列国のみとなった。284.p
一見、歴史の大局的流れから見ると、あまりにも瑣末な日常的些事に拘り過ぎていると思われる事柄も、自分の既知の歴史的事実に関連するや、俄に精彩を帯びて来るばかりか、既知の事柄そのものが生き生きと蘇り、新たな生命の息吹を吹き込まれたかの色彩を帯びることさえある。ということは僕自身の歴史的見識に比例して興趣の増す業績とも云えるか。
ミツバチの知恵―ミツバチコロニーの社会生理学
トーマス・D. シーリー / 青土社 (1998-09) / 3,456円7 users
読了:  2010年01月13日
◆さいたま市図書館、10/01/11
投資の科学』で、無数の集団的行動の集積が「ある種の秩序」を形成していく一つの例として、この本を取り上げミツバチのコロニーについて関説していたので、興味を覚える。
・本書の主題は、集団レベルの生物的組織化の構築/(ミツバチのコロニーは)自然選択の結果作られた、ある種が独立的な個体から統合された社会構造を持つものへと次第に変化した、その社会協調の仕組みは何なのか、という生物学上重要な問題に対する答えをまざまざと体現している。11.p
・社会性動物が自然選択を経て、独立した一個体から統合された社会構造を持つものへと次第に進んできた社会的協調の仕組みは何なのか?/機能的に組織化された集団に共通して見られる特徴の一つが労働の分業化である。その集団がうまく機能していくために必要なすべての仕事をいくつかに小分けして、メンバーがそれぞれを専門的に受け持つのである。その分業体制は永続的な場合と一時的な場合があり、前者では各個体がそれぞれの異なる労働に合わせて形態も著しく変化させることが多いが、後者では普通各個体の形態に変化は起きず、皆同じような構造である。/恒久的専門化と一般的専従化の違いを考えることで、生物学上の組織についての重要な問題点が浮かび上がってくる。(何故このような違いが生まれるか?)永続的に専門化してしまうメンバーが集団内に居れば、環境に変化が起きたとき、専門化したメンバーは仕事を変更できないので、変化に対応する集団の柔軟性はやや失われる。このような集団が変化に対応するには、各専門メンバーの出生と死亡の割合を変更して徐々に分業体制を調整するしかない。307.p
・分業体制を持ち、統合された機能で動く集団であれば、集団内の専門化したグループを必要に応じて盛んに働かせたり、活動を抑えたりする調節のメカニズムを持っていなければならない。一方、必要に応じて担当する仕事を変更する一時的な専従方式の集団には、異なった労働状況に対してメンバーの配置を調整するメカニズムがあるはずである。308.p
文明の多系史観―世界史再解釈の試み (中央叢書)
村上 泰亮 / 中央公論社 (1998-07) / - 7 users
タグ 歴史 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2010年01月13日 10時44分14秒 2010/01/13
読了:  2010年01月13日
◆さいたま市図書館、10/01/08
・「歴史研究の単位」を決めるには、何らかの根本的大革新を選び出すことが不可欠、過去の根本的大革新のリストを挙げてみると、生産技術の大革新の系列と社会組織の大革新の二つの時系列が考えられる。
・狩猟採集社会⇒(農業革命を経て)農耕・牧畜社会⇒(産業革命を経て)産業社会
・バンド社会⇒平等型の血縁社会⇒成層化した血縁社会⇒下位に血縁組織を持つ複合社会⇒血縁中心を脱した社会⇒属性中心を脱した社会、64-65.p
・二つの大革新の歴史的時系列は、交錯しあっているだろうことを強調したい。一方の時系列をそのままの形で理論化すれば、そこから単系的な発展論が導かれる。しかし二つの時系列を交錯させ、さらに文明接触という要因を採り入れることによって、多元的な比較文明論の構成を試みる。(「多系史観」の意味合いはここにある!
・「歴史研究の単位」として文明を捉えると、あらゆる種類の歴史上の変化は、論理的に、次の三つに分類される。
すなわち、1.文明創発的革新、2.文明間接触、3.文明内進化、67.p
・人類史上の大革命についての伊東俊太郎の議論、
人類革命/農業革命/都市革命/精神革命/科学革命
◯都市革命説の問題点、
・人口の増加圧によって大河の氾濫原に進出せざるを得なくなったという「挑戦」に対して灌漑技術の開発という「応答」が必要になったために制度化された中央集権的権力が成立したと説明する。
・しかし水利技術は、都市化以前にかなり発達していたし、逆に都市を持つ社会の灌漑技術が飛躍的に進歩したという考古学的な証拠もない。
・一方、灌漑技術を持たない都市化された文明、焼畑農業に依存する中米のマヤ文明、や地中海複合栽培に依存するミノア=ミケーネ文明、南米のアンデス文明などの例を考えると、「灌漑技術の成立が都市革命を生み出した」という説明には無理がある。
・また、ミケーネ文明やマヤ文明には、大規模な宮殿や城塞はあるが、都市というほどの大集落がなかった点から岩村忍の云うように「都市と文明は必然的な関係によって結ばれているものではなかった」と見るのが妥当。
・農業革命が、それまでの社会とははっきり断絶した新社会を作ったのに比べると、「都市革命」的現象には不連続的な性格が比較的弱いように思われる。「都市革命」的現象は、一つの文明の起点というよりも、文明のピーク、血縁的な階層社会の「文明内進化」過程のピークと考えたい。そのピークに続く次の大きな飛躍は、技術的大革新ではなく、文明接触による大文明帝国の建設という形で現れ、それによって農業革命の技術的含意を展開した農業革命前半期の文明が終了する。77-81.p
・農業革命と産業革命と云う二つの「技術的」革新の間には、いくつかの「文化的」革新の可能性を考えられる。中でも重要な社会的変化の候補としては
イ.人類最古の組織原理として「血縁」が挙げられるが、血縁原理はいつまで続いたのか?
ロ.世界各地の「古代宗教」と、それを超える「有史宗教」との区別は何か、移行はいつ始まったか?
ハ.古代帝国と文明大帝国との区別の基準は何か、そもそも区別出来るのか?83.p
・血縁の関係と古代宗教観念とは同じ社会組織原理に属する。この原理は農耕社会段階の前半を断絶なく支配する圧倒的な社会組織上のライトモチーフである。従って血縁と古代宗教を超える決定的大革新は、宗教上の革新でなければならない。それは有史宗教(または世界宗教)であり、有史宗教の有無によって農耕文明は二つに分類され、有史宗教に基づく農耕社会は第二次農耕文明(中国、ヒンズー、ギリシャ・ローマ文明)とみなすべきである。/古代宗教と有史宗教の区別は、ベラーによれば、後者は「ある意味で超越的で」抽象的な宇宙原理または唯一の創造神に基づいて、現世を超える世界を持ち、何らかの点で現世拒否的な要素をもち、神話の束縛を脱している。また「有史宗教はすべて普遍主義的である。人間はもはや、もっぱらどの種族や部族の出身であるか、或いはどの神に仕えているかではなく、むしろ救済されうるものとして定義される。つまりは、初めて人間そのものを把握することが可能になったのである」/(このような大革新の契機は何か?)非常に異質な二つの社会、農耕社会と遊牧社会が接触し交渉し反応したこと、言い換えれば「文明接触」による「文化的」革新が古代宗教から有史宗教への転換の契機となった。すなわち、人類史は技術決定論や生産力決定論では充分に理解できない。90-92.p

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