ホーム   本・雑誌   Web   洋書   音楽 ウォッチ  プロフィール  メディア記録  印刷  RSSフィード
並べ替え:
カテゴリ 読書 購入 所有 お気に入り 1 - 30件目 / 155件
ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記
塩野 七生 / 新潮社 (1993-08) / 3,024円152 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2012年06月24日 09時44分40秒 2012/06/24
読了:  2012年06月24日
・再読
・資産階級別軍役制度(紀元前6世紀&241BCの改革後の比較表)79⇒「ローマ社会の中産階級化」云々;
Polybius, Histories(Plb. 6.19;On the Roman Army
・ハンニバルとスピキオの会見の場面、殊に二回目の会見が面白い。
・覇権の交代
史記列伝 5 (岩波文庫 青 214-5)
司馬 遷 / 岩波書店 (1975-12-16) / 842円31 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2012年06月16日 06時01分34秒 2012/06/16
所有 読中: 
・日者列伝&貨殖列伝を読む(12/06/16)
- 1 users
タグ 歴史 カテゴリ:Web Web 更新日:2012年06月12日 06時03分39秒 2012/06/12
読中: 
・昔、【邪馬壹国の証明】を角川文庫の初版で読んだ記憶がある。本来は「邪馬壹国」と読むべきであって、「邪馬台国」と読むことが如何に不自然な作為に満ちているかを、これでもかこれでもかと畳み掛けるように論証する内容と「倭の五王」の名前を日本の天皇の名前に結びつけようとする当時の古代史専門家の作為的な(こじつけ的な)議論を笑い飛ばす話の展開に、ある種の感動を覚えたものだ。
・しかし、その後何年か経って読んだ本には「古代史の謎」に真摯に立ち向かう姿よりも、おのれの学説に固執する胡散臭さを感じて以来、古田氏への関心は失せてしまった。そもそも「邪馬台国論争」というある種の「神学的」論争に阿呆臭さを感じていたこともあって、古田氏への関心は持続しなかった。
・坂本太郎の【史書を読む】で「風土記」の地方説話としての価値を全く無視した学説が、かつて津田博士によって提出せられた云々(58)の一節に遭遇したのをキッカケにネット上で二三の調べ物をする過程で、古田氏のサイトに行き当たった。特に【失われた九州王朝】の序章「連鎖の論理」(参照)及び【よみがえる九州王朝】の第三章「九州王朝にも風土記があった」(参照)の論理的展開は、平明な透徹した姿を示しており、初期の頃の初々しさを再び取り戻したかの印象を受けた。(「津田博士の学説」は、偶々、今年5月に国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で新たに【神代史の研究】(参照)が公開されたのをキッカケに読んでみた。概ね順当とは思うものの、歴史的事実を何ら反映しない「単なる語り物」との断定には、やや違和感を覚える。)
・古田史学(と言って良いかと思うが)の基本は単純明快だ。【よみがえる九州王朝】の「はじめに」に書いておられる通り、
「わが国の古代史観は、相和しがたい二つの流れに分たれている。
 その一つは、一元史観。わが国の古代史は天皇家を中心に発展してきた、という“信念”に立っている史観だ。戦前の史学はもとより、戦後の史学もまた、遺憾ながらすべてこれに属している。天皇家中心主義の立場である。
 これに対するのが、わたしの多元史観だ。わが国の歴史は、天皇家などよりもはるかに古く、はるかに悠遠である。それゆえ当然のことながら、天皇家以外に、あるいは以前に、別個の(一定領域の)統一国家、また別個の中心の王朝が先在し、実在していた。そのように見なす立場なのである。
 たとえば九州王朝も、その一つだ。近畿天皇家はその分王朝(分家)に当っていた。他にもある。たとえば沖縄、たとえば東北・北海道にも、天皇家とは別個の文明圏があり、その文明と政治の中枢があった。関東や北陸にも、おそらくそうだ。」(参照
・僕は、単純に多元史観については「こうあって然るべきだ」と考えている。「歴史」はつねに「勝者の歴史」であり、「文字を持ったものの歴史」であり、多面的な事実そのもとは別物だ、と心得ておくべきだ。
史書を読む (中公文庫)
坂本 太郎 / 中央公論社 (1987-03) / 461円8 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年06月11日 15時22分35秒 2012/06/11
所有 読了:  2012年06月12日
・最初に公にされたのは1981年1月号『歴史と人物』、二年間にわたって連載された。その後、中央公論社から単行本として出版。
僕が、初めて読んだのは1987年4月に再刊された中公文庫版だ。たまたま本棚の一隅にあるのが眼について拾い読みする。
・「あとがき」に、こんなことが書いてある。「史書を読むことは楽しい。....学問上の難しい議論を述べるつもりはないし、まして警鐘を乱打して、太平の世の眠りを覚まそうというような、大それた気持ちは微塵もない。史学者の端くれにいながら、随分呑気なことを言うものだと叱られるかもしれないが、人間も80歳に達すると、こうした恬淡とした心境に成る」。初めて、この書に接した22歳の頃、この「あとがき」をどう読んだか覚えていないが、当時の僕は経済学と幕末の政治外交史に専ら関心を注いでいたから、歴史書を読むのは文字通りに「余興の楽しみ」だったかも知れない。
・ともあれ、現在は70歳には未だ数年たりない年齢でしかないが「恬淡とした心境」が素直に共感できる。昔は諦観と思っていた、しかし現在は諦観も超えたと思っている。何事も淡々と受け流す心境。
・日本書紀、風土記、古語拾遺、将門記、吾妻鏡、読史余論などの章を読む(6/12)
ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず
塩野 七生 / 新潮社 (1992-07) / 2,484円177 users
タグ 歴史 ローマ カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2012年06月10日 12時40分24秒 2012/06/10
所有 読了:  2012年06月10日
・ギリシャ文明の梗概(88-142)
・安定した三極構造(王政時代)から事実上の二極構造(共和制時代)への変容に伴う不安定化(145-149)
・BC494、平民のローマ退去(モンテサクロへの退去)⇒護民官の設置(149-150)
・「農地法」をめぐる対立
・十人委員会の設置及び十二表法の制定(BC449)、153-156;マキャヴェリ【政略論】(1-35参照)
・ローマ貴族の支配基盤=クリエンテス(156-159)、貴族と平民の抗争は既存勢力対新興勢力という単純な図式では捉えられない。貴族とクリエンテスである平民の合体した勢力対(クリエンテス外の)平民との抗争との側面(160)
・BC400~390頃、ローマのエトルリア攻略(396年、ウェイ占領)、エトルリアの盾を失い、以後ケルト族の波状的な来襲を受け、(ケルトはギリシャ人の命名、ローマ人はガリア人と呼んでいた。「ケルト人」及びその居住地域(BC400年頃)については、Wikiを参照)7ヶ月間にわたってローマを占拠される。身代金を支払う条件で都市ローマから退去する(169)。
・ケルト族来襲後の困難なローマの防衛と再建に貢献したのはカミルス(「ロムルスに次いでローマの二人目の建国者と賞賛されながら....云々」Plutarch, Camillus)179
・リキニウス法(BC367)、軍事担当官制の廃止、執政官制度の復活および平民出身者への全面開放。アテネもローマも権力は寡頭政派と民主政派の二重構造だったという点では共通する。アテネは二極が交代で政権を取ったのに対して、ローマは既成勢力が新興勢力を抱き込むのを常套手段とした。(184-185)
・ローマの共和政は、王政時代の政治制度の三本柱の王、元老院、市民集会の内の王だけを、二人の執政官に代えただけでスタートした。(189)
・共和政ローマの政治制度の構造的図解(193);各官職の権能(189-204)
・ローマの元老院(&ヴェネチアとの比較)、(201-3)
・ローマ連合の内実;五種類の連合国(211-15)
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2012年06月09日 16時12分17秒 2012/06/09
購入:  2009年10月13日 870円 所有
読了:  2012年06月09日
◆上巻
・スターリンは増殖性の官僚機構を創設した(絶え間のない粛清による組織的破壊と絶えざる補充、新たな昇進の可能性)、58
・(粛清の)政治的結果は、あらゆるレベルで幹部のコンスタントな更新を可能にすること、従って恒久的に上方への移動性を確保することとなった。党自体が、このような移動性の例証となった。1933年から39年にかけて、約5百万人の党員が粛清された、党内での地位が上がるほど、粛清は血なまぐさいものになった。..粛清はスターリンが全面的、定期的にエリート層を更新し、彼に対して忠実で、その権力概念に信服する新エリート群を高い地位にすえることを可能にした。その意味で、粛清は、スターリン政治体制の中心的要素だったといえる。59
・身分の不安定さ、あらゆる水準での、あらゆる社会集団に関する免責性の不在は(レーニンは「党」を抑圧機構の権力行使の対象外に置いたが、スターリンは「党にたいする免責特権を廃止した。抑圧機構そのものも対象とされた。ヤゴーダ、エジョフの粛清)、スターリンの政治システムについて二つの結論を示唆する。永続性の欠如、ルール(政治的論理)の不在。61-62
・スターリン後の体制の暗黙の了解;新たな暴君の登場の阻止、集団的権力の確立。同時に権力問題の社会的介入の阻止、65
・フルシチョフは、ソビエト体制を変えようとする意志を持っていた。しかし、彼は何よりも体制内の人だった。権力が党に属するもので、社会はそこから除外されるべきだという、この体制の核心的理念を彼も完全に信奉していた。彼が望んだのは権力を合理化して、社会に受け入れらるものとし、権力と社会との間の関係を信頼と非暴力という新たな基盤の上に立脚させることだった。79
・フルシチョフは、政治、文化、経済、外交など、あらゆる分野で開放政策を実行したが(党幹部会の抵抗を排除しながら)、彼の決定に見られる首尾一貫性の欠如が、イニシアチブを行き詰まりに陥れた原因である。97
・大粛清期、1934年の大会で選出された中央委員の約70%(139人中98人)、更に大会代議員の半分以上(1960人中1108人)が肉体的に抹殺された。106
・中央委員会で最もよく代表されているのは、党機構(全体の40%)と国家機構(1976年で31%、71年には30%、66年は28%)である。これら序列体系は、約70%の選出委員を占め、党の最高機関をつねに支配してきた。これに次ぐのが軍、外務官僚、警察である。
・労働者、農民の代表率は、中央委員全体の4.5%だが、投票権を持つ正委員のポストについては、わずか3.5%である。一方、党員の社会的構成では、労働者が41.6%、農民は13.9%を占めている。但し、最高会議の場合、労働者代表18%、農民代表17%に対して、党官僚は16%、政府官僚は14%に過ぎなかった。111-12
世界の名著 21 マキアヴェリ (中公バックス)
マキャヴェリ / 中央公論新社 (1979-02) / 1,836円5 users
タグ 歴史 ローマ カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2012年06月08日 05時57分43秒 2012/06/08
所有 読中: 
・【政略論】から、臨時独裁執政官;ローマに脅威を感じた近隣の40もの部族国家は盟約を結んでローマに対抗した。「ローマ人が、国家存亡の危機のおりに常用した様々な打開策の中で、特に臨時独裁執政官の制度を創設したのはこの時だった(BC501または498年)。この制度は、一人の市民に最高権力を与えるものである。その市民は、如何なる問題についてもどのような審議会の権限にも拘束されずに、決定を下すことができ、またその決定を実施するにあたっても、なにものもこれに異議を唱えることができないことになっていた。
 この施策によって、ローマは当時おかれていた危機を収拾し得たのである。そして、更にこれによってローマは、やがてその版図を拡大するにあたって、共和国を脅かした不測の事態に対して、常に有効適切に対処しえたのだ」267(Whereupon the Romans, resorting to a method usual with them in seasons of peril, appointed a dictator; that is, gave power to one man to decide without advice, and carry out his resolves without appeal. Which expedient, as it then enabled them to overcome the dangers by which they were threatened, so always afterwards proved most serviceable, when, at any time during the growth of their power, difficulties arose to embarrass their republic.《Gutenberg.から;参照、Chap33》⇒同時代のアテネ、ペルシャ戦争に際してのテミストクレス、ペロポンネソス戦争に際してのペリクレスは、独裁官の名称は与えられていないが、事実上、「独裁官」の役割を果たしている。「制度」としての独裁官と「事実上」の独裁官との違いは、前者は任期が決められ、危機の「解消」と共に交替又は退任すること。後者はどうか?
 ナポレオン、ロベスピエール、レーニン、スターリン、ヒットラー、信長、家康など比較考量してみると「独裁」の意味は、一般に考えられるほど単純ではない。
「制度」として独裁的権限を与えられる場合と個人的「権威」(その内実がなんであれ)によって独裁的権限を振るっている場合。

・臨時独裁執政官の是非;「ローマを奴隷化したのは、臨時独裁執政官の称号でも官職でもなかった。ある特定の市民が、終身、政権を手放すまいとしてその権力を行使したことによる」「臨時独裁執政官の権力が法律上の手続きを踏んで授与され、個人の恣意に基づいてつくりあげられるのではないかぎり、臨時独裁執政官という制度は、常に国家にとって有益なものとなるのである。事実、国家を毒するのは、恣につくり出された行政官の職であり、非常手段に訴えてつくられた権力にほかならないのであって、合法的手続きをふんで作られたものなら何の心配もないのである」272⇒スターリンやヒットラーの場合の「合法的手続き」は?
・様々な不測の事態に対処しうる打開策をあらかじめ用意をし、また、それを運用していく方式を提供するような法律を備えていないような国家は、決して完全な共和国とはなりえないであろう。このような次第なので、危急存亡のときに臨時独裁執政官か、またはこれに類似の権威に頼ることのないような国家は事が起これば必ずや滅びる他はないものである。(1-34)
十人会は、時が立つに連れて僭主化し、辺りはばかることなく、ローマの自由を破壊してしまった。臨時独裁執政官のシステムが有益に運用できたのに、十人会はなぜ害をまき散らしたか。(1-35)
- 1 users
タグ 歴史 カテゴリ:Web Web 更新日:2012年06月05日 21時19分09秒 2012/06/05
読了:  2012年06月12日
・キュロスとアルタクセルクセス二世の戦い(クナクサの戦い、BC401)(1.8.1~8.29)
・キュロスの死(1.827~8.29)、帝王教育&人となり(1.9)
・平凡社「世界歴史事典」第8巻「ペルシャ帝国」の衰亡期の中にキュロスに関説(独立の項はなし)、次のごとし。「ダレイオス二世はスパルタと接近して幾分勢力を回復したが、王が病むと奸悪な妻パリュサティスは寵児キュロスを後嗣に指名しようとして失敗、兄のアルタクセルクセスが即位した。先王は性格が弱く残忍凶暴ですらあったが、アルタクセルクセス二世は正義感有り教養のある善良な王であった。弟キュロスは王位を窺いペルシャ、ギリシャ兵を率いて叛き、王軍とクナサスで戦って勝ったが、自身は倒された。ギリシャ傭兵一万は苦難の末ギリシャに無事帰還した(アナバシス)。」290.p
・「The length of the journey they had made from Ephesus, in Ionia, to the battlefield was ninety-three stages, five hundred and thirty-five parasangs, or sixteen thousand and fifty stadia; and the distance from the battlefield to Babylon was said to be three hundred and sixty stadia.」(2.2.6);この部分は後世の付記と伝えられる。
・当時のギリシャとペルシャとの関係を忍ばせる挿話;Therefore, I think it is right and proper that our first endeavour should be to return to our kindred and friends in Greece, and to point out to the Greeks that it is by their own choice that they are poor; for they could bring here the people who are now living a hard life at home, and could see them in the enjoyment of riches.(3.2.26)
・アテネとスパルタ、断続的に戦われたペロポネソス戦争(BC431-404)が終結したのは「アナバシス」の僅か四年前である。4.6.14及び4.6.16にアテネのスパルタに対する、またスパルタのアテネに対する皮肉をこめた当てこすりが語られているが、クセノポン(アテネ)とケイリソポス(スパルタ)は互いに良く協力して「敵中横断」を敢行している点こそ注目(12/06/05)。
・4.8.22、黒海沿岸の町トラペズス(ギリシャ人の植民都市)に入る。
・巻五(トラペズスからコテュオラまで(BC400年3-5月)
- 1 users
タグ 歴史 カテゴリ:Web Web 更新日:2012年05月23日 13時10分27秒 2012/05/23
読中: 
・ペルシャ戦争ではなく、ペロポンネソス戦争こそギリシャ最大の危機として捉えている点にやや違和感を覚える。その理由を巻1-23で、次のように書いている。
「The greatest action before this was that against the Medes; and yet that, by two battles by sea and as many by land, was soon decided. But as for this
war, it both lasted long and the harm it did to Greece was such as the like in the like space had never been seen before. For neither had there ever been so many cities expugned and made desolate, what by the barbarians and what by the Greeks warring on one another (and some cities there were that
when they were taken changed their inhabitants), nor so much banishing and slaughter, some by the war some by sedition, as was in this. 」
・1-24~エピダノスをめぐるコリントとケルキュラの抗争;ケルキュラはアテネにコリントはスパルタに攻守同盟を求め、やがて両盟主の戦争に発展する(1-56)。
神々の体系―深層文化の試掘 (1972年) (中公新書)
所有 読了:  2012年06月11日
・歯医者の待ち時間に読む。40年ぶり、第三章「記紀のイデオロギー」読了、津田学説の簡単な紹介;歴史そのものではなく「天皇家」の支配を正当化する目的を持ったイデオロギー(要するに「お話」だ)」との見解に対して、基本的に同じ立場。但し「天皇家」の代わりに「藤原家」を置く点が独特。
律令国家体制は天皇家から藤原家への実権の移行の転機(87)⇒藤原氏への実権の移行の「転機」をどの時点に置くか、特定の政治的事件に置くかどうかは別として、実権の移行は、疑いもない事実だ。但し実質的な「天皇家」の支配は、常に一時的で、基本的には「権威の源泉」として利用されてきたのが実情ではないか。古代にも中世にも「専制国家」では「神」は権威の源泉として利用されてきたが、「権力」の主体を「神」そのものとみなしたかどうか、この点はやや微妙。その意味では日本の「現人神」との表現は言い得て妙というべきか。なお「現人神」の用例については【国史大辞典】に日本書紀の景行天皇40年の条に日本武尊の言として「吾是現人神之子也」云々とあるのを指摘(1-339)。【日本国語大辞典】には「荒人神」の表現もあり、この場合、「随時、姿を表して霊威を示す神。または霊験の著しい神の意味として万葉6-1020、1021の用例を指摘。
・第一章は古事記の神統譜;血のつながり又は精神的つながりによって高天原系統と根の国系統の二系統を想定する。⇒問題はこの二系統が、何らかの史的事実との相関または反映関係があるのかどうか、というより相関関係があるとみなしてどんな史的イメージを物語るか?
・第四章、「もともと天皇家のための歴史として出発したものを、藤原家のための歴史に作り変えながら、しかも天皇家のための歴史に見えるような格好に仕上げたものとして記紀を捉える見地」」(117)
・第五章、律令体制は藤原体制前期の確立、摂関政治は藤原体制後期
・日本の農業社会を弥生から明治までの二千年余の期間で捉えると、この期間に三つの一氏独裁体制が成立した。すなわち天皇家、藤原氏、徳川氏....云々⇒農業社会と一氏独裁体制の内的関連(そもそも内的関連のあるものとして理解するかどうか?)どう捉えるかは別として、この種のperspectiveな見方は魅力的だ。
World History People and Nations 1993
Mazour / Harcourt School (1993-06) / 4,907円1 users
タグ 歴史 カテゴリ:洋書 洋書 / History 更新日:2012年05月12日 13時13分26秒 2012/05/12
購入:   20,230円 所有
読中: 
米国の高校の世界史教科書、900頁以上の浩瀚な重量感のある教科書で、それが如何に使われ・消化されているかは知らぬものの、その意気や高しと云うべし。日本の教科書の無味乾燥に比べ、独立した書物としても面白い。トインビー『歴史の研究』を読むに並行して、基本的事実の確認のために拾い読みする。但し、20年近く前の出版なので、最近の新たな歴史認識との比較・確認の為、ロバーツの『The New History of the World』(03/05刊)を新たに注文する。(10/03/04)
・インド亜大陸の地形的特徴-四大地域、50.p
・インダス文明の崩壊、塩害の可能性&BC1700頃に大規模な洪水及び地震による崩壊の可能性、54.p
・BC1500頃、アーリア人の侵入(または進入)、The nomadic Aryans herded sheep and cows.In fact,their word for"war"meant "a desire for more cows."...Neither traders nor builders,the Aryans did nothing to improve the cities they conquered.They simply left the ruins of the decay.(アーリア人は文字を持たず、記録を残していないので、彼らの初期の歴史はヴェーダの口伝としてのみ伝えられている。)55.p
⇒カイバル峠(参照
カースト制度とヒンズー教の成立、the most important developments of Indian history during the Epic Age-or of any other age in Indian history.These two ideas became interwoven in the fabric of Indian society.60.p
・インド文化、Indian civilization reached new heights from the Epic Age to the Gupta Empire.India has indeed left the world a rich legacy in the areas of art,literature,mathematica,and science.These ancient societies also established the cultural traditions of India.63.p
・折にふれて再読、再々読している。今回はPerseus Collection:Greek and Roman Materials(参照)で、ヘロドトス、ホーマー、クセノフォンなどを読むに併せて読みたくなった。(12/05/12)
歴史 下 (岩波文庫 青 405-3)
ヘロドトス / 岩波書店 (1972-02-16) / 1,296円75 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2012年05月11日 16時04分03秒 2012/05/11
所有 読了:  2012年05月11日
巻七、マラトンの戦いの報、ダレイオス及びクセルクセスの対ギリシャ戦争準備;ヘレスポントス海峡の架橋(架橋技術、7-34~36);ペルシャ軍の軍容(遠征軍の内訳、7-61~99);クセルクセスとデマラトスの会話(これほどの大軍を前にギリシャ軍は戦意を喪失せずに済むか?スパルタ人の気性)(7-101~104);ペルシャ軍の行軍に伴う沿道の対応(7-109~128);第三次戦争でのアテネの役割(アテネこそギリシャの救世主にほかならぬ。7-139);ギリシャ勢の同盟勧誘(7-148~;ギリシャ軍の防衛地点(7-172~178);クセルクセス軍(セピアス岬&テルモピュライに集結軍の総陣容、528万3千人、7-184~187);スパルタの闘い、とりわけレオニダスの戦闘ぶり&戦死;テルモピュライの戦い(8-211~239);テルモピュライの闘い直前のデルポイの巫女の託宣、7-220。(巻七読了、12/05/09)
巻八、ギリシャ側水軍;デルポイの怪異現象(8-37~39);サラミスの海戦(8-59~96;ペルシャ側アルテミシアの海戦回避の意見、8-68;テミストクレスの詭計、8-75;サラミス海戦域の地形図、下巻9-193.p参照);アリステイデスとテミストクレスの会話、8-79~81);ペルシャの早馬に依る飛脚制度=アンガレイオンangareion、8-98);クセルクセスの撤退行(8-99~120);マルドニオスと(マケドニアを介した)ギリシャ側との交渉(マルドニオスはWiki参照Mardonius参照、8-132~144)
巻九、ヘロドトスの典拠(9-16);訳について(9-17)に「おこがましくも夷狄の分際でギリシャ人を殺そうと企めば...云々」とあるが、A. D. Godley, Ed.(ペルセウス版)には「No, rather we will teach them that they whose slaying they have devised are men of Hellas.” Thus he exhorted them.」とあり、「夷狄の分際」云々に相当する表現はない!!;プラタイヤの戦い(マルドニオスとアテネ・メガラ&スパルタの陸戦)(9-1~);ギリシャ側兵力及び陣形(9-28~30、重装及び軽装兵総勢11万);ペルシャ側兵力および陣形(9-31~32ペルシャ軍30万及びギリシャ人部隊5万、他に騎兵部隊);スパルタの性情:「As for the Athenians, they stood unmoved at their post, well aware that the purposes and the promises of Lacedaemonians were not alike.」(9-54);マルドニオスの戦死(9-63~65);ペルシャ軍の敗走(30万の総勢のうちアルタバゾスが率いて敗走した4万を除いて生き残ったものは三千に足らぬ云々、9-71);ミュカレの海戦(9-90~
Civilization and Capitalism, 15th-18th Century
Fernand Braudel / Fontana Press (1985-10-28) / 2,311円1 users
タグ 歴史 社会 経済 カテゴリ:洋書 洋書 / Nonfiction 更新日:2012年05月11日 10時21分52秒 2012/05/11
所有 読中: 
・Ch5.《技術の普及:エネルギー源及び冶金学》
・馬の利用及び国際的伝播(344~352)
陳 舜臣 / 平凡社 (1980-11) / 1,728円4 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 文学・評論 更新日:2012年03月24日 22時21分29秒 2012/03/24
所有 読了:  2012年03月24日
・再読、史記と併せ読む。
夏王朝について、Wikiには「夏(か、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)は、中国最古と伝承される王朝」とある。
・夏王朝は、実在も非実在も証明されてないけれど、実在したとすれば時期的には「竜山文化が夏王朝の時代に当たる」云々(92)。竜山文化はWikiによると「龍山文化(りゅうざんぶんか、龙山文化、拼音: Lóngshān wénhuà : ロンシャン・ウェンフア, 紀元前3000年頃-紀元前2000年頃)は、中国北部(華北)の黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。黒陶が発達したことから黒陶文化ともいう」
農山漁村文化協会 (1979-08) / 3,675円1 users
タグ 農業 歴史 社会 農政 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2012年03月24日 22時21分03秒 2012/03/24
所有 読了:  2012年03月24日
・【国史大辞典】11-996.pに江戸時代前期の農書。著者は不明だが三河地方の平坦部に住む武士か、武士の系譜を引く上層農民で、聞き取りと体験を下にした記述で、中国農書や本草学の影響は殆ど見られない。小農自立の進展、金肥導入による商品作物生産に傾斜する三河地方で伝統的な自給農業での生産増強を念頭に小農の技術的体系化を説いた」と紹介。
中世イタリア商人の世界―ルネサンス前夜の年代記 (平凡社ライブラリー)
清水 広一郎 / 平凡社 (1993-06) / 1,404円19 users
タグ 歴史 経済 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 世界史 更新日:2012年03月08日 14時59分38秒 2012/03/08
所有 読了:  2012年03月06日
・【マキャヴェリ全集】第三巻フィレンツェ史の訳者解説の中で、マキャヴェリが「フィレンツェ史」第二巻の執筆に際してジョヴァンニ・ヴィッツラーニの【年代記】を典拠にしたと言及している。ヴィッツラーニは、銀行家あるいは両替商を主要業務として人物で、広くヨーロッパを歩きまわり、フィレンツェ共和国の総代に三度も就任するなど、当時の最も経験豊かな市民の一人であった」云々と紹介されている。本書は、そのヴィッツラーニの【年代記】を中心に据えた中世の商人及び商業世界の研究書。

******************************
・イタリア内部は、都市国家に区々に分裂し、他都市の市民と激しく争っていた。しかし、いったん「外国」に出れば、彼らは「ロンバルディア人」として一括して扱われることが多かった。22.p[ロンバルディア;イタリア北西部、現在もロンバルディア州があり、州都はミラノ、地図及び歴史は参照
・中世商人には「企業家精神」に立脚した合理性が完全に欠如していたとするゾンバルトの主張に耳を傾ける者は、実際に当時の文書に接した者の中には一人もいない。25.p
・商人の子弟は6歳頃から読み書きを習い始め、4~5年間の勉強をする。その後二年ほど算術の学校に通ってから、12~14歳で実業の道に入るのが普通だったらしい。尤も、算術学校まで通えた者の数は極めて限られていた。37.p
・クレトーの闘い(参照)、1302年;ブリュージュ市民とフランス軍との戦い、ベルギーの歴史家ピレンヌと仏人歴史家ブレンターノとの解釈との対立、52~63p
・13世紀後半、遍歴商人から定住商人への移行期、旅の様子、78~86p
・14世紀は中世最大の不況期、先進商業都市で、商人の破産が相次いだ。91.p(百年戦争、黒死病による人口の急減。1315~から凶作、飢饉、疫病、労働人口の減少による生産力低下が相次ぎ、1340年代にはこれらが一挙に深刻化した。145.p)
・14世紀初頭、アヴィニョン、教皇座の存在都市、金融業の中心地、93p
・結婚契約書、118.p(下女を兼ねた現地妻を迎える場合の契約形式)
・中世都市は、自由なる民衆に立脚した共同体であると意識され、その運営は市民が分担して行うものとされていた。127.p
・1339年以降、天変地異が相次ぐ、都市国家は危機に見舞われる、それまでは覆い隠されていた内部矛盾が噴出する。市民は「都市国家の権力を一人の手に集中することによって、この事態を乗り切ろうとした」、アテネ公を推戴し、結果、今まで後と権力を失い、やがて彼に反抗して蜂起する。152~164.p
・「法」に対するゲルマン地域とラテン地域の感覚mentalityの(対照的な)相違、188.p
・記録への執念;記録、契約書、公証人、リコルダンツェorリコルディ、186~206.p
史記列伝 全5冊 (岩波文庫)
司馬遷 / 岩波書店 (1995-07) / 4,320円10 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2012年03月02日 08時52分13秒 2012/03/02
所有 読中: 
・冒頭に小川環樹の「はじめに」(1975年5月記)が載っている。それによると本書は筑摩書房【世界古典文学全集第20巻】所収の一冊とわかる。「原文の一字ももらさず翻訳するようにつとめた」とあるから、本文の字句の一字一句の意味を丁寧に考えるには便利だが、原文は載ってない。また「扁鵲倉公列伝」と「亀策列伝」のみは医学及び亀卜に関する記述で「私ども訳者の学力甚だ浅く、正確に訳しうる自信がないから」「省略」したとある。ほぼ全文翻訳にあたる。
・奥書に、「1980年4月第9刷」とあるから、35歳の頃読んだと分かる。それ以降、
マキァヴェッリ全集〈3〉フィレンツェ史
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会・政治 更新日:2012年02月28日 09時36分49秒 2012/02/28
読中: 
・複雑に錯綜していて、概要が頭に入らない。少なくとも中世イタリア史の概略を頭に叩きこんでから出なおしだ。来年以降の課題だな。
年表:1378~1516年は「フィレンツェ史」(グイッチァルディーニ)からコピー
・メディチ家、ヴィスコンティ&スフォルツァ家の系図、フランス、スペイン、ナポリ王国系図も併せてコピー作成。
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
タグ 歴史 科学 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 世界史 更新日:2012年02月26日 16時23分56秒 2012/02/26
読了:  2012年02月26日
・三人の対談形式が非常に生きている。一人一人の著作を読むよりも論点が明確に提起されている感じだな。
・一般論として云えば、世界史なり歴史を考える際に、われわれは「環境」をいわば与件として扱ってきた。これからの人類の歴史を考える際には、「環境」を不可分の一構成要素として考慮しなければならない、ということかな。
新装版 日本政党史論5 西園寺と政党政治
升味 準之輔 / 東京大学出版会 (2011-12-16) / 7,344円2 users
読中: 
・30年代の政党政治の凋落と政治的再編成の根底にある前提条件、236p
・名望家社会の変貌、336p
読了:  2012年02月14日
進化に見るヒトの「違い」の物語との副題のついた遺伝学的立場から見た人類進化の物語で、著者は人類遺伝学分野の第一人者とのこと。
・違い、遺伝的「違い」と文化的相違、言語の違い
・人種的違い;優生学、遺伝子工学、
脳と心の進化論
澤口 俊之 / 日本評論社 (1996-10) / - 3 users
タグ 科学 医学 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 更新日:2012年02月11日 08時31分18秒 2012/02/11
読了:  2012年02月11日
・脳全体に占める大脳新皮質の割合は、食虫類10~15%、ニホンザル70%、ヒト80%...19p
・脳は様々な脳部位の複合体なので、脳を全体として扱っているだけでは脳の進化要因の分析は進まない。...方法的には、主要な脳部位を選んで、それの脳全体に対する相対的大きさを計算し、それがどんな生態的・社会要因と結びついているかを明らかにする云々、85p
・(澤口の研究では)果実植生の真猿類のほうが葉食制のものより大脳新皮質の相対的大きさは大きく、また多妻型社会のほうが一妻型社会の真猿類より大きい(またムレが大きいほど大きい。94p)。89p
・大脳新皮質の相対的大きさが、食生に関係するか(深餌戦略仮説)、基礎代謝量に関係するか(エネルギ=戦略仮説);食生は消費エネルギーに関係するので、両者はパラレルの関係で同じ事象の二側面、93p
・機能単位の集合体&階層構造、モデュラリティと階層性...云々104p
・大脳新皮質はニューロン大陸のようなもので、2~3㍉の暑さでニューロンが集まって出来ている。層構造になっていて、大きく4つの脳葉に分けられる。夫々、セクターに分けられ、現在は概ね「明瞭に区別できる」72のセクター(領野)に分けられている。大脳新皮質は140億個のニューロンが含まれる。各々、出力ニューロン、内在ニューロン、求心線維の3つが結合してコラム(幅0.5~1㍉、高さ2~3㍉)を形成し、特定の要素的機能を担うICの役割を果たしている。一個のコラムは数万個のニューロンを含む。104~109p
ニューロンーコラムー領野ー脳葉、という階層構造
・多重フレームモデル:大脳新皮質に代表される脳の特徴・原理はモデュラリティと階層性にあり、コラムを単位としたモデュール(領野)が作るフレームが多重して脳を形成している。138p
・各種感覚情報は最初に第一次感覚野で処理されて、その後別々の領野群で並列かつ階層的に処理される。...視覚野は30個以上あり、大脳新皮質の半分から2/3を占めている。霊長類は視覚にまさる動物で、「視覚動物」とさえ云われるのは、脳レベルで見ても納得が行くところだ。151-2p
・進化の過程で、領野が付加され・重合的に・積み重なってきた。142、144、154p
・食性・社会関係・性競争の多重した要因が互いに密接に関係しながら、脳への選択圧として働き、同時に脳活動の産物としての「形質」としての性質を併せ持つ。211p
・ヒトの脳は、形態進化としては例外的に速い速度で巨大化した。212p
・「森に残ったチンパンジー」と「サバンナに出たチンパンジー」の違い;初期人類は「二本足歩行をするチンパンジー」みたいなもの、220-221p
・ヒトとチンパンジーとの違いは二点;「言語野・言語フレーム」の存在、及び「前頭連合野」の発達の程度、言語の獲得がヒトの脳の「爆発的進化の鍵になる。

◆非常に面白い、啓発的。惜しむらくは参考文献が載ってないこと。

プロフィール
<< 2017年3月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
読書状況
ウィッシュ21 冊
積読4 冊
読中78 冊
読了294 冊
読了数 (月別)
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 1
  • 2
  • 3
アマゾン検索
タグ (20)
31 社会
26 政治
14 経済
7 科学
6 歴史小説
6 文学
6 政治思想
5 農業
5 金融
5 辞典類
4 市場
3 ローマ
3 伝記・評伝
2 食物
2 数学
2 地図
1 医学
1 農政
1 □世界システム論
1 統計
ソーシャル
物々交換
アイデア
カウンター
累計2103  今日0  昨日0
since : 2009/05/22

©2007-2017 sunjin_fuuraiのバインダー