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タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2012年06月09日 16時12分17秒 2012/06/09
購入:  2009年10月13日 870円 所有
読了:  2012年06月09日
◆上巻
・スターリンは増殖性の官僚機構を創設した(絶え間のない粛清による組織的破壊と絶えざる補充、新たな昇進の可能性)、58
・(粛清の)政治的結果は、あらゆるレベルで幹部のコンスタントな更新を可能にすること、従って恒久的に上方への移動性を確保することとなった。党自体が、このような移動性の例証となった。1933年から39年にかけて、約5百万人の党員が粛清された、党内での地位が上がるほど、粛清は血なまぐさいものになった。..粛清はスターリンが全面的、定期的にエリート層を更新し、彼に対して忠実で、その権力概念に信服する新エリート群を高い地位にすえることを可能にした。その意味で、粛清は、スターリン政治体制の中心的要素だったといえる。59
・身分の不安定さ、あらゆる水準での、あらゆる社会集団に関する免責性の不在は(レーニンは「党」を抑圧機構の権力行使の対象外に置いたが、スターリンは「党にたいする免責特権を廃止した。抑圧機構そのものも対象とされた。ヤゴーダ、エジョフの粛清)、スターリンの政治システムについて二つの結論を示唆する。永続性の欠如、ルール(政治的論理)の不在。61-62
・スターリン後の体制の暗黙の了解;新たな暴君の登場の阻止、集団的権力の確立。同時に権力問題の社会的介入の阻止、65
・フルシチョフは、ソビエト体制を変えようとする意志を持っていた。しかし、彼は何よりも体制内の人だった。権力が党に属するもので、社会はそこから除外されるべきだという、この体制の核心的理念を彼も完全に信奉していた。彼が望んだのは権力を合理化して、社会に受け入れらるものとし、権力と社会との間の関係を信頼と非暴力という新たな基盤の上に立脚させることだった。79
・フルシチョフは、政治、文化、経済、外交など、あらゆる分野で開放政策を実行したが(党幹部会の抵抗を排除しながら)、彼の決定に見られる首尾一貫性の欠如が、イニシアチブを行き詰まりに陥れた原因である。97
・大粛清期、1934年の大会で選出された中央委員の約70%(139人中98人)、更に大会代議員の半分以上(1960人中1108人)が肉体的に抹殺された。106
・中央委員会で最もよく代表されているのは、党機構(全体の40%)と国家機構(1976年で31%、71年には30%、66年は28%)である。これら序列体系は、約70%の選出委員を占め、党の最高機関をつねに支配してきた。これに次ぐのが軍、外務官僚、警察である。
・労働者、農民の代表率は、中央委員全体の4.5%だが、投票権を持つ正委員のポストについては、わずか3.5%である。一方、党員の社会的構成では、労働者が41.6%、農民は13.9%を占めている。但し、最高会議の場合、労働者代表18%、農民代表17%に対して、党官僚は16%、政府官僚は14%に過ぎなかった。111-12
新装版 日本政党史論5 西園寺と政党政治
升味 準之輔 / 東京大学出版会 (2011-12-16) / 7,344円2 users
読中: 
・30年代の政党政治の凋落と政治的再編成の根底にある前提条件、236p
・名望家社会の変貌、336p
海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生 / 新潮社 (2001-08) / - 53 users
読中: 
・再読
・陸地型・海洋型の国家の違いは自給自足の考えのあるなしにに帰結すると見て良い、陸地型国家が侵略型になるのは当然の帰結、云々、43p
・ヴェネチアとフィレンツェは、性格のまるで違う二人の人間のようだ」とはマキャヴェリの言葉、ヴェネチアはアンチ・ヒーローの国、51p
・モラリストぶるイギリス人ほど、片腹痛いものはない。...ヴェネチア人も、道徳家の殻をかぶったほうが有利と判断した場合以外は、一度もモラリストであろうとしたことのなかった民族である。157p
近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任
鳥居 民 / 草思社 (2007-03-21) / 1,620円13 users
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2012年01月20日 15時30分52秒 2012/01/20
読了:  2012年01月20日
・本書のポイントは、筆者が木戸・ノーマン史観というもの、すなわち「戦争開始の真の責任者は軍令部総長の永野修身ではなかった。参謀総長の杉山元でもなかった。首相・陸相を兼任した東条英機でもなかった。ましてや近衛文麿であるはずはなかった。内大臣・木戸幸一に全責任があったということだ」77pに尽きる。「今日までの60年間、誰も云わなかったこと、未だに云おうとしないこと...」云々と書いているが、だれか”特定の”個人に、かかる歴史的展開の「全責任」があるかに想定すること自体が、歴史研究としては幼稚にすぎる。
矢部 貞治 / 読売新聞社 (1974) / 7,560円2 users
読了:  2012年01月20日
・15/12/06、どうも近衛の弱体にはほとほと愛想が尽きる。黒竜会あたりで家長選挙を言い出し、新体制反対の倒閣運動があったといえば、もうこんな所で妥協をしている。暗黒政治だ。弱体だ。376p
・16/03/27、翼賛会は職員全部辞表を出すらしい。夫々の職場を捨て、これに飛び込んだ連中がかわいそうだ。有馬伯も[この捨て子」と言っている。狼に合うたびに一匹づつ馬を殺していくという近衛の性格が最もよく現れている。こんなやり方だから、近衛のために死のうという人間がいないのだ。407p
・16/12/31、昭和16年は、独ソ開戦と、日英米戦開始とで、世界史の顕著な年であったが、その一部分に僕も参与していたことを思い、愉快だ。487p
・昭和17年の記録は見るべきものなし。
・18/11/09、ラジオは、ブーゲンビル島沖第2次航空戦の大戦果を伝えている。戦艦四隻を含む艦艇二十隻以上の轟擊沈破!ラバウルに迫る敵を徹底的に撃破してくれとの僕の宿題、或いは達せられるか。感動の涙禁じえず。665p
・18/11/21、特にラバウルの放棄の持つ由々しき結果について強調。陸軍では既にラバウル放棄の決意をしているらしく、細川氏によればよれば御前会議で決まったとすら云う。...もし事実とセバ、言語道断のことだ。ラバウルを放棄して望みある戦争は戦えぬ。668p⇒ブーゲンビル島沖の「大戦果」を鵜呑みにして感動している辺り、海軍に頻繁に出入りしているにして、情報音痴と言うか(或いは)余程、「情報統制」が利いていたか、「大東亜共栄圏」構想の理念に囚われていたか、何れ迂遠な印象を受ける。
・18/12/19、海軍の政治懇談会「矢牧大佐は悲観して弱って見える。中山中佐も中々しっかりした勘どころを握っていて宜しい」676pとある。⇒【東条英機暗殺計画】(参照)32pには、この日の懇談会の話を要約すると「東条内閣は完全に行き詰まっているが、打倒するには東条自身が病気で倒れるか、テロなど非常手段によるしかない」云々、とある。(この点に関しては、矢部日記には具体的記述は殆ど無い。細川日記、高木日記を見るべし)
・19/03/28、箱根会談で達した結論及びそれについての工作は少将(高木)は前からあらゆる手を打っているらしく..云々、701p
・19/03/31、東条内閣の基礎が危うくなっている云々、702p
・19/05/19、この頃から高木の倒閣運動に関する話(不明確)⇒さかのぼって精読する。「箱根会議」で達して結論云々は、具体的な記述は(この前にさかのぼっては)ない。
筑摩書房 (1969) / 626円2 users
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2012年01月20日 06時30分18秒 2012/01/20
読了:  2012年01月20日
◆松前重義「二等兵記」所収、他には【二等兵記】の題名で1950、68年に出版されている。また東海大学出版会から出た【松前重義著作集】第三巻にも収録されている。
・36-47pコピー作成、ポイントは日本の生産力実態を調査研究するグループを立ち上げ、全国の各工場を廻って「生産力に関する企画院の発表はまったくでたらめである」との結論に達した。そこで東条内閣打倒運動に参画し、近衛、高松宮ほか海軍軍令部等々に「政府の欺瞞政策」を説明した云々、というもの。
筆者は、S19/7/18、二等兵として召集される。当時、45歳、逓信省公務局長&政府の電波技術委員会副委員長の職にあった。筆者の指摘する通り、東条内閣打倒運動に対する明らかな報復人事であることは疑いない。とはいえ、陸海軍がお互いにその「戦力実態」について秘密にしていたような状況のもとで、生産力実態の「全国調査」ようなことが出来たのかどうか、また高松宮を始め海軍幹部などがこれらの「数字」をどの程度切実な内容として理解したのか、などについて疑問に感じる。
矢部 貞治 / 光人社 (1993-09) / 509円6 users
所有 読了:  2012年01月16日
新体制運動、近衛の目的(だが実際には具体的構想はなかった)、122、124;いろいろな潮流が近衛の新体制運動を利用、126;「観念右翼」は幕府的存在と批判、近衛は嫌気または怖気、129-131、142⇒近衛の「新体制運動」の狙いに「軍部に対抗できる国民的政治力の結集」が、仮令あったにせよ、天皇の統帥権を盾に政府内政府としての「独自」の権力を握っているのだから、この点に根本的メスを入れなければ軍部に対抗できる「政治力の結集」は事実上の二重政権を招来する。そうならなかったのは政府が軍部に振り回され、軍部を政府の統制下に置けなかったからに過ぎない
第二次近衛内閣、日本の命運に重大な関わりのある基本国策要綱、時局処理要綱等を矢継ぎ早に決定、137、三国同盟;近衛が賛成に回った責任、150-151、
・日米交渉、「昭和16年4月から10月まで、彼の精魂は日米交渉に傾注された」154-167、⇒結局、近衛も軍部も、天皇も、松岡一人に振り回された格好で、政府としての統一して指導を貫徹出来なかった。もち論、「了解案」を基礎に何らかの日米合意が成立したかどうかはあやふやなものだ。しかしそれ以前に、外相一人の考えで国政を振り回せてしまうという政治システムの欠陥にメスを入れなければ、どうにもなるまい。しかしそれは「天皇の統治権」に抵触する恐れがあり、誰にも触れられなかった問題だ。すべての禍根はここにある。
東条英機暗殺計画―「高木惣吉資料」にみる日本海軍の終戦工作 (二十一世紀図書館 (0074))
工藤 美知尋 / PHP研究所 (1986-05) / 616円3 users
タグ 政治 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年01月14日 17時19分22秒 2012/01/14
所有 読了:  2012年01月14日
・「終戦工作」という視点に絞って膨大な高木資料(【高木惣吉 日記と情報】上下二巻にまとめられている)を読み解く良きガイド本になりうる。
・戦争遂行という、最も重要な国家機能の発動を必要とする時期に、その基本になる情報が共有されていない。例えば「太平洋戦争当時、東条首相兼陸相は、内政、外政、そして戦局の情報を一手専売で握っていたため、重臣というものは、戦局の実相を何も知らないのが普通であった....云々」25p
・東条内閣倒閣運動の困難性、「新聞も木戸候も閣僚も、政府の報告以外に申し上げないため...」お上が東条を信頼云々、「現状を打開するにはクーデター以外になし」(これは44/2/15、細川日記か)35p、
・東条暗殺日程決まる、44/5/1、海軍懇談会で東条暗殺計画に話が集中、7/20決行と決まる...(細川日記)67p
・44/4/13、高木は、これまで宮中筋や重臣を当てにして工作してきた不徹底ぶりを猛省して、海軍内の中堅層を中心に事態打開に向けた工作の必要を痛感する、49p
・44/6/27、戦局がこのように緊迫した時期に及んでも、局部長会議も戦備幹事会も、全く昔ながらの春風駘蕩ぶり...云々」79p
浜口雄幸 日記・随感録
浜口 雄幸 / みすず書房 (1991-04) / 6,300円2 users
タグ 政治 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会・政治 更新日:2012年01月14日 08時03分53秒 2012/01/14
読了:  2012年01月13日
・「日記」は大久保日記のごとく、簡潔な事実の列記のみがほとんどで、独立の読み物としては(政党政治の研究者ならいざ知らず)面白みはない。
・たまに「政務官の任用に漏れたる猟官連の醜運動旺盛、真に唾棄すべし」(29/7/6)201.pの如き、その人柄に接する記述も散見されるが、これは例外。
・一方、「随感録」は政治家としての濱口の気概を窺知しうる内容が散見される。
立憲同志会入党;政党の勢力の発達は著しく、妥協政治又は情意投合政治とかいうものによって、政党が直接に政治ニ当たることを極力妨げようとするが如き官僚政治家の必死の努力があったけれど、妥協又は情意投合ということは、却って「政党の勢力に依るのでなければ政治ノ運用ができないということを実際において立証するに等しいものである」「妥協又は情意投合政治の別名を有する官僚政治」云々、473p
・1930/10/27、ロンドン海軍条約の「世界軍縮記念放送」で、「ロンドン海軍条約は人類の文明に一新紀元を画したるものであります。現在の世界は列強互いに相敵視して、ややもすれば力に訴えてまでも自国の利益を開拓せんとしたるいわゆる「冒険時代」を既に経過しまして、いまや各国互いに相信頼して共存共栄を計るところの「安定時代」に到達しているのであります。今回のロンドン海軍条約は実にこの時代の大勢に順応して国際的平和親善の確立に向かって大いなる一歩を進めたるものでありますが...云々」525p
・この演説から、約三週間後、濱口、東京駅で狙撃される(30/11/14)
・およそ五ヶ月後、軍部クーデター発覚する(3月事件)
・約一年後、満州事変始まる(3/9/18)

・議会の亡状、「国民は議会の亡状に対して、始めのうちは呆れ果て、その次には呆れる程度を超えて議会政治に冷淡になり、その次には議会政治を嫌悪し、次には議会政治を否認せんとする傾向をを生じるに至ることがないものであろうか。今日の所では国民は第二段階すなわち議会政治に冷淡になりつつある程度であって、幸いにして、まだ嫌悪、否認というところまでは至って居らぬけれど、今日において改めることがなければ、国民の感情はどこまで行くか測りがたいと思うのである」云々...559p
所有 読了:  読了
・最初に「ツヴァイク全集」版で読み、その後、潮出版の文庫を見つけて購入。何時の事か、発刊はS45年だから、少なくとも30年前にはなるか。
・「政治的カメレオン」「稀代の変節者」など、なんとでも称することはできるが、「作業日誌」に書いたように(参照)「権謀術数を芸術的域にまで高めた男」というのが、最もふさわしい気がする。「怪物的」人間には相違ないが、同じく「怪物的」といってもヒトラー、スターリンのごときは吐き気を催すが、フーシェには独特の魅力がある。
・改めて「登録」したのは、埼玉に来るときに書棚からランダムに持ってきた文庫本(メレジュコフスキー「神々の復活」とともに)で、ところどころ、これ又ランダムに拾い読みしているため。
・6p、まえがき」にバルザックからの引用、暗黒事件
・9-10p、実際の現実生活、あらゆる政治的信仰に対する警告、「卓越した人物や純粋な理念の持ち主がことを決することはまず滅多になく、それよりははるかに値打ちは低いが要領の良い手合い、つまり黒幕的な人間が決定の役を演じている」⇒明らかにスターリンを想定しているかに伺える。
日記に読む近代日本 4: 昭和前期
土田 宏成 / 吉川弘文館 (2011-09-06) / 3,045円6 users
所有 読了:  2012年01月02日
・紹介されている西園寺公と政局、木戸幸一日記、高木惣吉日記、矢部貞治日記、断腸亭日乗、戦中派不戦日記などは、すべて既読のもの。但し、ほとんどが20年以上前で【西園寺公と政局】だけはビックスの【昭和天皇】および【われ巣鴨に出頭せず】を、去年の夏に読んだ際に、関連ヶ所を拾い読みした。
・改めて高木惣吉日記、矢部貞治日記、断腸亭日乗等をこの機会に(1-2月の農閑期中に)読み直したくなり、前二冊は図書館で、荷風日記は全集版で購入して再読(または予定)。
・宇垣日記は拾い読みシたことがあるだけだが、特異な軍人として記憶している。今回、この本で認識を新たにした。
・宇垣&高木のような合理的精神(石原莞爾は合理的精神と云うより、ある種の理想主義が先に立つタイプかな?保留)が、「潰されていく土壌」がどのように形成されたかを探求すべきかな。
・別に「登録」した【高木惣吉 日記と情報】は、高木日記を読み解く重要な基礎資料で、日記と併読すること。
・林芙美子の「北岸部隊」は、初めて読む。作家らしい優れた人間観察だ。異常な環境下での異常な人間心理は、日常性の延長上で理解しようとするには無理がある。とはいえ、日常性の基礎の上に成り立つ一面もあるのではないか。
・巻末の編者による「同時代の日記」;かなりは目を通しているが、初めて知ったものも幾つか紹介されている。
モスクワ攻防戦――20世紀を決した史上最大の戦闘
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2011年02月07日 14時55分21秒 2011/02/07
読了:  2011年02月07日 星5つ
・11/02/04岩槻図書館、
・農のある風景」11/02/06&07参照
カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2011年02月03日 10時40分46秒 2011/02/03
読了:  2011年02月03日
・11/02/01、岩槻図書館で借りる。
嫌になるほどおぞましい歴史。スターリンの伝記は、具体的事実が知られるほどに、また晩年に至るほどに、単なる犯罪者に過ぎないのではと思えてくる。しかし、それが国のトップに居座るとともに、国家の官僚機構・法システムそのものが、あたかも自動機械のように作動し始め、一定の条件のもとでは、民主主義的な国家間の関係に於いてさえも合法化され・見逃されてしまうことを、肝に銘じておくべきこと!
・階級浄化とは、マルクス・レーニン主義を基本的イデオロギーとして採用した全体主義政権によって実行された、ひとつの社会階級全体の計画的・系統的抹殺の政策である。しかしスターリン主義の実践では、階級浄化と民族浄化にはしばしば密接な関係があった。54.p
・階級浄化の思想、我々は個々人に戦いを挑んでいるのではない。階級としてのブルジョワーを破壊しつつあるのだ。調査を通じて我々は、被告がソヴィエト権力に言辞行動で反対した証拠を探すまでもない。投げかけられるべき第一の質問は、被告がどの階級に属しているかである。59.p(この命令は、1918年に出されている。「民族浄化」の思想と紙一重、ほとんど瓜二つの兄弟と言っても良いか。
・西側政府の積極的な幇助がなかったならば、ソヴィエト指導部は半世紀ものあいだカチン虐殺の自己責任を隠しおおすことはできなかっただろう。西側政府は入手していた情報を隠蔽し、事件を握りつぶそうと全力を尽くした。アメリカ政府は1950年代始めまで、イギリス政府はソヴィエト政権の崩壊まで、この態度を変えなかった。73.p
・20世紀後半の歴史学と世論が、カチン事件についてかたくなに沈黙したり、情報を抑えたり、調査しなかった理由はなんだろうか。この事件には、長い間欧州人の意識の中で抑圧されたり、あるいは消去されていた多くのタブーが潜んでいるからだ。131.p
・1944年、亡命ポーランド政府にチャーチルの特使として派遣されていたオーウェン・オマレーは、カチン問題の提起とポーランド領土の一体性の擁護に消極的な西側指導者に反発して断言した。「道徳的に擁護できないことは常に政治的に実効性がない」。139.p(多分、長期的あるいは原理的立場から考えれば、その通りだろう。しかし「マルクス・レーニン主義を基本的イデオロギーとして採用した共産主義政権」は、階級闘争を至上の概念とすることであらゆる非道徳的行為を道徳的に見せかけてきたことを忘れるべきではない。)
ソヴィエトの悲劇〈下巻〉―ロシアにおける社会主義の歴史 1917~1991
マーティン メイリア / 草思社 (1997-03-11) / 3,780円5 users
読了:  2011年01月15日
・11/01/10、岩槻図書館で借りる。
・すべての人間の行為は、その行為者たちの気付いていない目的のために役立つのは避けられない。スターリンは、レーニンの作った党を道具にして、野蛮な手段でマルクスの言う社会主義を築こうとしてこのような誤ったプロセスをたどらせた媒介者であると考えればよく理解できる。だが、この結果が奇怪で馬鹿げたものであったということは、スターリンがマルクスかレーニンのいぜれかを裏切ったということにはならない。むしろこれは、マルクス=レーニン主義者的な企てが本来、実現不可能で、それ故、これを実現しようとするどの試みも、過剰な権力の行使に頼らざるを得ず、従って、このような権力の行使は、ただ、馬鹿げた非現実的なものを生み出しかねないことを意味している。67.p
溪内 謙 / 岩波書店 (1970-11-05) / 3円3 users
タグ 歴史 経済 社会 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2010年10月18日 12時24分40秒 2010/10/18
所有 読了:  2010年10月18日
・再読、1926~29年の農村の政治的展開の分析。
・27年末からの穀物調達危機を通して、28年1月以降非常措置が実施された(「非常措置」の具体的分析・実施過程の状況は、391.p以降)。非常措置の実施を通して、党組織及び国家組織の組織原則は抜本的に侵犯され、また党と国家との機能上の区分は事実上消滅する。当初、異例の措置として実施された憲法的組織原則の侵犯は、非常措置そのものが常態化していく過程で、ソヴィエト国家と党との新しい組織原則、スターリン政治体制の構造的原理と化していくのである。361.p
・ソヴィエト史における重要な(政策的)転換は、これまですべて穀物問題と密接に結びついていた(戦時共産主義の食料徴発制、ネップの食糧税、24年秋の新政策etc)。穀物問題は経済政策的問題にとどまらず、優れて政治的な問題であった(都市の党であり、農村に社会的支柱を欠いている。農民を体制側に如何に引き寄せるか)。穀物問題の経済的側面と政治的側面は二律背反的に現れてきた。364.p
・(穀物調達危機の性質めぐる)ブハーリン派とスターリン派の分岐は、28年前半には存在したが、表面化せず、外見的にはブハーリン的観点で統一されていた。7月の党中央委員会総会で、初めてスターリンとブハーリンの先鋭な対立が伝えられ(あるいは表面化し)、11月の党中央委員会総会以降は、危機の原因についてのスターリン的観点(もっぱら政治的に捉える)が支配的になる。368.p...ルイコフが原因を「経済的」側面に限定したのに対して、スターリンは、クラーク、調達機関、党、貧農、農村の階級闘争など政治の次元に焦点を収斂させた。374.p
穀物調達危機の深刻化に伴い、調達の自発的・経済的手段に代わって、強制的・権力的手段が「非常措置」として導入された。最初は、一時的・例外的「措置」とみなされたものが、穀物調達危機の常態化に伴って常態化し、やがて原則として定着した。従って、この時期(27-28年)の穀物調達危機をめぐる「非常措置」は、スターリン政治体制(むき出しの暴力的措置を根幹とする権力支配)への決定的な転機とみなすべきか。
・(28年1月以降)都市と農村の結合の基本形態として、これまで維持されてきた原則、経済的には市場関係を媒介にする原則、政治的には農民の大多数に権力的強制の適用を行わず、説得と合意の調達とに基づいて農民との協力関係を確立しようとする原則の否定、420.p
・農村からの「余剰貨幣」の引き揚げ措置、債権の発行&割当、自己課税、租税その他の農民の支払金の徴収。本来的には、工業化のための資本蓄積の必要という観点から発想されていた(いわゆる「社会主義的原蓄」)が、調達危機が深化するのに伴って、当面の危機打開の方策に結び付けられ、それと共に農民の自発性尊重の原則は軽視され、強制力の行使もやむを得ないという観点が優位を占めるに至った。421.p
・自己課税、伝統的な農民の共同体における自治の物質的基礎を確保する手段として古くから発達していた制度で、各農家が村落の管理のための費用、労役を分担するもので、貨幣、現物及び労働の三種類の分担方式があった。この課税を拘束したのは、国家権力ではなく、共同体の伝統的な力であった。..当初は維持されたが、..1924年になって、国家財政の体系化、統一化の過程が農村まで下降していくのに伴い、国家権力との統一性に矛盾する制度として批判された。428.p..1927年8月「住民の自己課税について」の全連邦的立法、432.p..(28年の自己課税カンパニアと共に、自治的・自己管理的性格は否定され、国家財政の一部に組み入れられ、権力的・命令的・強制的・懲罰的な徴発に変わっていく。443-455.p参照)
・土地政策に関する階級的方針、(穀物)調達カンパニアに関連して提起された土地政策に関する階級的方針とは、具体的には、主にクラークの土地利用の制限の強化とクラークの土地余剰の没収(455.p)、地方の活動家にとってクラークとは誰であるかの基準は明確でない場合が多く、たとえ基準が明確にされたとしても、商品穀物の主要な保有者が中農である以上、調達目標の早急な達成という目的からすれば、適応をクラークに限定することは困難であった(458.p)。
・非常措置の核心は、投機抑圧を規定した刑法107条を、穀物調達のために、穀物を隠匿または投機したとみられる農民に広く適用したこと(457.p)、ウクライナでは穀物摘発のための家宅捜索、農民の逮捕、没収の措置が広く適用された。これに併行して、穀物を隠匿または投機した者に対する効率の自己課税その他の賦課、多額の債権の割当、土地の没収などが行われた。このような措置は27年末までは、スターリンを含めた党主流派によって戦時共産主義政策への復活として、左派に対する攻撃の口実に利用され、非難されていた(458.p)。
・非常措置の性格、「行き過ぎ」「臨時的・一時的」をめぐって、「28年以降の党内闘争の重大な争点」になる。463.p
・4月総会の決定は「穀物調達における困難の解消に比例して」非常措置がなくなる見通しを述べたが、4月以降党の予想に反して穀物調達は一層激化した形で再現し、農民の備荒用の貯蔵穀物までも調達の対象とされるにいたり、そのために非常措置が反覆され、行政上の専断行為が行われ、革命的適法性が侵犯され、農戸の戸別巡視、不法な家宅捜査などが行われ、これが国の政治情勢を悪化させ、労働者と農民の結合が危険にさらされるに至った。466.p
28年1-3月の調達カンパニアの中間的、過渡的性格:4月総会の決定の一節(第15回大会のスローガン「クラーク層に対する攻勢をさらに発展させよ」は、大社会主義工業と小農経営との結合の唯一の正しい形態であるところの「新経済政策」を基礎としてのみ、またプロレタリア国家の革命的適法性の厳格な実行に基づいてのみ、実現される)に表現されている。504.p、◆参考:28年1月の調達実績(491.p)、2月の調達実績(495-496.p)
農村における階級関係の実相:1929年末の集団化の急激な展開とそこに至るまでの発展とを農村における階級分化の自然発生的深化もしくは農業生産力と農業生産関係の矛盾の発現として捉えることは、事実を正しく認識するための接近とはなりえない。政治過程に浮上する農村の政治関係は、貧農間の活動に典型的な例を見るように、農村外からの階級的な組織化あるいは抑圧というすぐれて政治的な働きかけに常に関わっていたのであって、上からの政治的な働きかけを別として独立した階級関係の実在を客観的に確認することはほとんど不可能、539p(やや迂遠な表現を取っているが、要するに、クラーク、中農、貧農という階級的区分は農村の社会関係の実相を反映するものというより、政治的要請(ないし配慮)から生じた恣意的分類だ、ということではないか。恣意的性格については、第四章の2、「クラーク」598-626.pで具体的に分析されている。
農村の社会主義化:第15回党大会は「農村の社会主義化」を基本的任務として掲げた。その実際の過程は、「大局的に見て、貧農、バトラーク間の活動の本来的目的、すなわち、農村内部における農業の社会主義化のための主体的勢力を形成し、これを中核として農民の大多数を結集して、彼らの合意と支持を得て漸進的集団化を実現するという目的は、活動が先鋭な危機を打開するための諸方策に連結されることによって後景に退き、さらにこれらの方策実現のための手段、方法がこの活動に浸透することによって、この活動に本来的に含意されていた下からの自発性の契機は、上からの行政的方法、強制にとって変わられいったのであった。545.p
伝統的な農村共同体と村ソヴィエト、ストルイピン改革後、農村共同体は急速に崩壊し、10月革命までに農民経営の半ばが共同体を離れていた。しかし革命後、急速に復活し、農村における支配的な土地関係、社会関係になった。復活の要因として(取り敢えず)考えられるのは、エス・エルの綱領に基づく土地改革実施、共同体的土地再配分、戦時共産主義下の商品流通の制限、革命前の共同体的関係解体の不完全性、ロシア農民のオプシチナ的集団主義の精神、639.p
・(伝統的な農村共同体が存在する。それに対して、革命は階級的・自治的な農民組織を結成し、取り敢えずは伝統的農村共同体を破壊しようとまでは意図しないまでも、それに代わる階級的自治組織を結成しようとした。実質的に成功しなかったことは)第15回党大会以降村ソヴィエトの指導制の強化のため、その物質的基礎の強化、特に村ソヴィエトの独自予算の確立が叫ばれたが、1926-27年に、ロシア共和国の5.7万余の村ソヴィエトのうち独自予算を持つのは3%に過ぎなかった。647.p


◆年表
1927/08/24、全連邦的立法「住民の自己課税について」、432.p
1927/12/02-12/19、第15回党大会、政治報告(スターリン)、五カ年計画作成のための指令(ルイコフ)、コミンテルンのソ連代表団の報告(ブハーリン)。穀物調達危機に関してはルイコフ&ミコヤンが触れる。356.p
1928.02/13、政治局指令、494.p
1928/03/22、全ウクライナ中央執行委員会「不法に占拠された土地余剰の摘発と没収のための措置について」決議を採択、456.p
1928/03/24&6/21、全露中央執行委員会幹部会付属の土地係争最高統制特別参与会総会の決定、クラークの土地利用の制限強化、455.p
1928/04、党中央委員会・中央統制委員会合同総会、466.p
1928/12/15、土地立法の成立、678.p
清沢 洌 / 評論社 (1985-09) / 6,932円1 users
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読中: 
◆「戦時期」の同時代的精神史の記録として再読する。最初に読んだのがいつか記録にない。
・43/01/13、米国の軍事予算は1050億ドルに達するだろう旨の教書発表。日本の国民収入が450億としても、約十倍の予算だ。
・43/02/22、浪花節文化が果実を与えてきた。大東亜戦争は浪花節文化の仇討ち思想である。新聞は「米利犬」といい、「暗愚魯」といい、また宋美麗のワシントン訪問に、あらゆる罵言的報道をなしている。更に、43/03/22には、わが国において敵を憎むことを教える。たとえば星条旗の上を足で踏む如し。戦争目的は、そうした感情よりも遥かに高からざるべからず。昔の仇討ち思想では世界新秩序の建設は不可能である。高い理想を打ちたて、その理想の実現を米国が阻むというのでなければ駄目である。(秩序の中身に違いがあるにしても、基本的には世界革命思想とも、ファシズム運動とも、石原莞爾の世界終末戦争とも通底する思想だな。時代意識の中に、それを容認する何かがあったのか?
・43/05/02、敵国は日本の事情に通じるものを、それぞれに重要視している。....日本はそうしたものを遠ざけるのである。59.p(随所で「日本国の形式主義」を批判している。思うに、「敵を知る者」を遠ざけるのも形式主義に相通じるところが有らんか
趙紫陽 極秘回想録   天安門事件「大弾圧」の舞台裏!
タグ 政治 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2010年08月24日 22時54分27秒 2010/08/24
未読: 
◆宮崎正弘のMMに書評、10/02/06
・本書の一番面白い意義とは中南海の権力闘争の実態である。
 趙紫陽は最初のころ、堅物の社会主義者で革命元勲のひとり、陳雲と親しく、トウ小平とは直通の連絡回路がなかった。
趙紫陽は自分の秘書に手紙を託して届けさせたり、有力者を通じて伝言させたりという複雑な通信回路をへて、幹部同士が意思を連絡しあい、しかも最終の決定機関は政治局常務委員会ではなく、トウ小平の自宅でなされたこと。長期的な戦略決定は北戴河の別荘でおこなわれていたことが確認できる。
いかに超法規の国!
・1989年四月の段階で趙紫陽は北朝鮮へ行く。
この間、北京の天安門前広場を中心に学生デモが燃え広がり、座り込みが世界のテレビで報道された。4月26日に人民日報は社説を掲げて民主化に反対した。この社説は趙紫陽の留守を狙って李鵬らが書かせた。
 趙紫陽は回想する。
 「桃依林と李鵬は結託し、なんとかして私に(人民日報の)社説を支持させようと画策した」「トウ小平は自身の強硬発言が知れ渡り、若者達の自分に対するイメージが傷ついたとかんがえ、「若者達を愛する庇護者であるという言葉を必ず演説のなかに入れるよう(娘を通じて)求めてきた」。
 趙紫陽は「主流派の支持を得ることが大切だということも強調した。トウ小平は態度を曲げず、このままでは李鵬や桃依林ら党の強硬派の態度を変えさせるのは不可能だった」。
 「なんとしてもトウ小平と話して支持を得ようと思った。そこでトウの秘書の王瑞林に電話をかけて、面会を求めたが体調不良を理由に断られた」。
 ついで趙紫陽は楊尚昆に連絡して貰おうと楊尚昆の自宅を訪ねたが曖昧な態度だった。
 こうして誰と誰が、その日は趙紫陽に賛成し、翌日は態度がかわり、その次の日は曖昧となりといった具合で、中国共産党の最高権力層にしてからが二転三転右往左往していた様子が手に取れる。楊は強硬派の代表のように日本のマスコミが伝えたが、実態は趙紫陽に近い改革派の側面を兼ねていた。
(以上「書評」から)
現代の国際政治 (講談社学術文庫)
高坂 正堯 / 講談社 (1989-12-05) / 972円33 users
タグ 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 政治 更新日:2010年04月01日 19時21分15秒 2010/04/01
基本的には、ハレーの見解に依存しているが、80年代の後半までの展望を加えて冷戦構造の変容過程を簡単にスケッチしている。但し最近の情勢は装いを新たにするために、申し訳程度に付け足したもので、70年代末までの分析が中心。(90/02/08読了、読書日記から)
カール・R.ポパー / 未来社 (1980-03) / 4円2 users
タグ 政治思想 政治 社会 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 古書 更新日:2010年02月10日 08時17分02秒 2010/02/10
ウィッシュ ウィッシュ 読了:  2010年02月16日
約三十年前に出版されたこの本を採録したのは、「ソロスは警告する」の中で、雷に打たれたような啓示を受けたと書いているからだ。
同書で、ポパーは「ナチス思想も共産主義も”究極の真理を獲得した”と主張する点ではそっくりだ」と論じている。だが、究極の真理は決して人には知りえない存在である以上、ナチズムも共産主義も現実を歪んだ形で解釈しているはずだそして、そのような解釈を社会に適用するならば、どうしても暴力的な強制に頼らざるをえない。(「ソロスは警告する」から、61.p)
カール・ポパーは、1970年代に「科学的発見の論理」を読んだだけで、詳しくは知らない。トマス・クーンが「科学革命の構造」で提起したパラダイム・シフトをめぐって論争をしていた記憶がある。ともに印象に残る人で、いつかはきちんと読んでみたい気持ちはあったが機会がなかった。こんどの農閑期にでも。
◆さいたま市図書館、10/02/08(一応通読するが、再読候補の意味でウィッシュに入れて置く
・本書は政治哲学及び歴史哲学への批判的序説であり、また幾つかの社会改造の原則の吟味でもある。(はしがき)
・本書を書こうという最終決定は1938年3月、私がオーストリア侵入のニュースを受け取った日になされた。..本書の大半が戦争の成り行きが不確定な重大な時期に書かれたという事実は、今日ではその批判の一分が、私が望ましいと思うよりも情緒的で厳しい調子であるように思える理由を説明する助けになるかも知れない。..マルクス主義をかなり詳しく扱ったのは、それが主要な問題になるだろうという予感のためであった。(改訂版はしがき)
歴史信仰、人類の未来の運命について、社会科学は「預言者の無責任な答以上のものを与えられるのか」、予測すること、あるいはむしろ我々の日常的予測を改良すること、それらをより確実な土台の上に据えること、が科学一般の任務であるとされ、特殊的に言えば、長期的歴史予言を我々に授けることが社会諸科学の任務だとされる。彼らはまた、自分たちが歴史的事件の成り行きの予言を可能にする歴史法則を発見したとも信じている。この種の主張を掲げる社会哲学を歴史信仰という名のもとに一括した。(序文から)
政党なき時代―天皇制ファシズム論と日米戦争
中村 菊男 / 毎日ワンズ (2009-10) / 1,575円1 users
タグ 歴史 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 歴史・地理 更新日:2010年01月15日 15時51分26秒 2010/01/15
読了:  2010年01月15日
◆さいたま市図書館、10/01/13(1967年発刊の『天皇制ファシズム論』を底本とする再刊本。筆者の基本的見解は「この政治体制は(特に近衛内閣以降の翼賛会運動を中心に考えているようだが、広く満州事変以降と見てもよいか?)その推進力が軍部であったという意味において軍国主義と呼びうるが、権力の一元的集中化が行われず、政治の最高首脳部のリーダーシップが確立されなかったという意味で、ファシズムではなかったといいうる」313.pに代表される。概ね、この見解には同意できる。尤も、そもそも、このような概念的な規定論争にどれほどの意味があるのか、現在では疑問をもっているが。
・戦後、統制派と皇道派の対立が極度に過大評価されているが、事実と相違している。/日本においては、官制上、陸軍と海軍は判然と分かれているし、両者の対立は戦争中しばしば見られた。また、軍政を司る陸軍省と作戦の本拠たる参謀本部との間に対立が見られたこともあった。さらに、中央部と出先の対立があり、上層のものと中堅ないし下層のものとの対立があった。..軍部内で、陸軍、海軍の双方にわたって独裁権力を発揮した軍人は一人も居なかった。55-56.p
・日本の現代史の中核体は、官僚主義であった。この官僚主義の土台の上に反議会主義、反自由主義、民族主義、国家主義というファシズム的イデオロギーをかぶせ、言論・集会・結社の自由の拘束、社会主義ないし労働運動の弾圧というファシズム形態を学び取ったものと思われる。64.p(すなわち本体は官僚主義であって、ファシズムではない。)
戦争責任について、抽象的次元における日本軍の建前は、天皇の統帥下の軍隊になっており、その目例系統に分裂はないはずである。いわゆる「上御一人」に統一いるはずである。しかるに天皇大権の輔弼は国務事項については国務大臣が、統帥事項については帷幄機関がするすることになっているが、その帷幄機関は陸軍と海軍に別れ、陸軍では参謀総長が、海軍では軍令部長がその任に当たっていた。ここですでに分裂があったわけである。91.p
◆第四章満州事変は何故起きたか
・満州事変から日華事変を経て大東亜戦争に至る過程は、「下克上」的現象であった。究明すべきは点はここにある。/戦後、日本の一方的「侵略行為」のみが糾弾されているが、その前に、中国人による反日運動がいかに激しかったかを考慮しなければならない。/政治的指導力の欠如/第一次大戦後の軍備拡張と縮小という相矛盾した傾向/政党政治の退廃/大正デモクラシー、98-101.p
◆第五章日華事変の原因とその発展
・発端となった盧溝橋事件は柳条湖事件のように現地の少数の人々によって計画されたものではない。..現地の偶発的な衝突事件が日華両国に刺激を与えて連鎖反応的に拡大していったものと見られる.」その転機に日本はなぜを打てなかったか。それは近衛首相を中心とする政治のリーダーシップが確立していなかったことに原因がある。近衛の性格、明治憲法の構造的特殊性、当時の下克上の政治情勢などがリーダーシップの確立を妨げていた。170.p
◆第六章大政翼賛会の性格
・近衛の真の狙いは軍部の行動を抑制するために政治力を結集し、国務事項と統帥事項の統一をはかろうとするものであるから、当然摂政・関白的地位のものでなければ出来ないはずのものである。抽象的には天皇によって総覧されている「統帥権」具体的に掌握しようとするわけであるから、それは当然「幕府的存在」になる。ところが、このような「幕府的存在」は憲法の認めるところではない。そこに、近衛の悩みがあった。202.p
・一方、平沼は大政翼賛会を共産主義者の策謀とみた。このような見方をする者は平沼のみならず観念右翼、財界人の中にも、特に多くいた。212.p
大政翼賛会の富田健治の評価、国民的政治力を結集して軍部を圧倒し、もって支那事変を解決に導くという点では完全に失敗した。他方、陸軍や観念右翼の企図したナチス流の一国一党の主張に抗して、彼らの全体主義的独裁の企図を挫折せしめた点に
最大の功績があったのではないか。219.p
◆第七章日米交渉の経過と問題点
三国軍事同盟締結に至る日本側の事情、1.ソ連を牽制し、更に英仏をも対象に企図した、2.陸軍及び右翼団体(国家社会主義的・革新右翼)の親独熱、3.日・独・米・ソによる新秩序体制の幻想、4.近衛の新政治体制運動の台頭と既成政党の解消とともに全体主義的雰囲気に包まれた、5.ノモンハン事件の休戦とともに日ソ関係は好転し、革新右翼の中に英米の旧秩序に対してソ連を新秩序とする見方が台頭、6.南方資源の開発願望、226.p
・日米交渉に臨む日本側の基本的態度に分裂があった。すなわち日米間に戦争があってはならないとする英米宥和派と米国の国力を過小評価し、イギリスの没落を必至と見て、三国同盟によって米国を牽制しようとする枢軸派との対立である。両派の対立を一本にまとめる政治的リーダーシップはなかった。258.p
世界を不幸にするアメリカの戦争経済  イラク戦費3兆ドルの衝撃
購入:  2010年01月04日 1,785円 所有
読了:  2010年01月04日
・こういうと奇妙に聞こえるかもしれないが、戦争とは巨大なビジネスだ。現代の企業なら、優れた会計システムから得られる正確で時宜を得た情報なしに、ビジネスを営もうとするはずがない。しかし、政府が行った会計実務はあまりにもずさんであり、一般企業なら間違いなく粉飾決算に関与した疑いで証券取引委員会に召喚されるだろう。8.p(当初予算見通しは「ずさん」というも愚かなほど膨張し⇒「膨れ上がる戦争コスト」51.p参照、そのコスト見積もりをスティグリッツは、10のステップに分けて⇒44~51.p参照、かなり「控えめな想定」によって三兆㌦と算出している。これは単なる誤算なのか、それともある程度まで承知の上で、経済的合理性を超えたブッシュ政権にとっての政治的合理性のある判断だったのか?そこが不可解だ。
第4、5章は戦争による間接的コスト、すなわち「社会にのしかかる戦争のコスト」&「原油高によって痛めつけられるアメリカ」を扱っている。しかし2000年を頂点に下がり続けたNYダウは、この戦争をきっかけに上昇に転じ、03年2月の7900㌦から07年10月14000㌦まで上がり続けた。この点について、
・03年3月から07年10月までのあいだ、アメリカの株式市況はまずまずの結果を出し続けた。これを見る限り、私たちが示してきた懸念は外れに思えるかもしれない。しかし同じ期間に、賃金は順調な伸びを、企業収益は急激な伸びを記録した。この事実を踏まえると、株価の伸びはいかにも鈍い。(イラク戦争勃発依頼、時価総額は4兆㌦分減殺されたとの試算もある。)FRBは戦争のマイナス効果を相殺するため、金利の引き上げを見送り、金融機関の貸出基準の緩和に目をつぶり、当時のFRB議長は事実上、変動金利型の住宅ローンを推奨し、「更なるリスクを取れ」と国民を焚きつけてきた。変動金利型は初期の利払いを低く抑えられるため、同じ抵当物件でもより大きい資金が借りられる。こういうカラクリがあったからこそ、アメリカは身の程を超える消費を続けてこられたわけだ。..歴史的な低金利がいつまでも続くはずなどないのだ。おそらく、本書が出版される頃になっても(08年3月)、サブプライム危機の全貌はまだまだ見えてこないだろう。すでに成長は鈍化し始めており、アメリカ経済は再び大きな余剰生産力を抱え込もうとしている。163.p
帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕
エマニュエル トッド / 藤原書店 (2003-04-30) / 2,700円145 users
購入:  2009年09月26日 1,320円 所有
読了:  2009年10月08日
・経済のグローバリゼーションは、超時間的な原則ではなく、工業のハイテクの最初の中心地以外の場所に、識字化された労働力が相対的にふんだんに存在するという歴史的に特殊な全世界的環境における利潤の最適化の技法に他ならない。(52)(識字化を精神的近代性の本質的メルクマールとして捉えようとする動機は理解できる。しかし「超時間的な原則」云々は、何か意味のある指摘か。分かりきった事をもったいぶって云ってるというのは云い過ぎ?
・精神的近代性への上昇には、しばしばイデオロギーの暴力の暴発を伴う。ヨーロッパ諸国は今日はかくも平穏であるが、その大部分は暴力的で血まみれのイデオロギー的・政治的表現の局面を体験している。そこで表現された価値は極めて多様であった。フランス革命の間は自由主義的にして平等主義的であり、ロシア革命の間は平等主義的にして権威主義的であり、ドイツ・ナチズムにおいては権威主義的にして不平等主義的であった。(59)(この総括は面白い!!但し「精神的近代性への上昇」過程として総括できるかどうかの点は保留事項だな
・識字化=革命=出産率低下というシークェンスは、全世界的に普遍的とはいえないまでも、かなり標準的である。(61)識字化と出生率の低下という二つの全世界的現象が、民主主義の全世界への浸透を可能にする。(62)
・ロシアを正教国、中国を儒教国と分類するのは、ロシアの農民と中国農民の根本的な非宗教性を知るものには、奇妙奇天烈にしか見えない。この両国でもともと宗教が弱体であったことが、共産主義革命の成功に大きく貢献したのである。(64)
・階級や宗教や民族を対立させるイデオロギー的・政治的混乱を心性の近代化(その主要成分は識字化と出生率の二つだが)に結び付けて説明するモデルは、極めて普遍妥当的である。(71)
・世界はアメリカの消費に依存して生産するようになっている。アメリカにはいかなる輸出入の均衡も確立していない。終戦直後の過剰生産の自律的な国であったアメリカは分かりにくいな、誤訳または不適格訳の可能性があるな?!)、いまやひとつのシステムの中核となったが、そのシステムの中でアメリカの果たす使命は生産ではなくて消費なのである。(99)アメリカはもはや生産によって世界にとって必要不可欠の国ではなくなった。世界的需要不足の情勢においては、消費によって不可欠な存在なのである。(105)アメリカに対するわれわれの態度は、国家の景気刺激策を待望する、全世界的なケインズ国家の臣民の態度に他ならない。(108)
・アメリカの国際収支の均衡を確保しているのは金融資本の動きである。極端に単純化してみるなら、毎年アメリカに流れ込む資本の動きが、世界全体から到来する財の購入を可能にしている。国外から購入される財の内の多数が消費に向けられる、つまりは際限なく更新される短期的需要に対応しているのに対して、アメリカに投資される金融資本のほうは、その多数が中長期的投資に対応するという事実を考慮するなら、このメカニズムには何かしら構造的な不安定といわないまでも、逆説的なものが存在する。(131)
・アメリカへの資本流入は、1990年から2001年にかけて880億ドルから8650億ドルに増大した。(その増加率もさることながら)最も驚くべき点は、アメリカの赤字を埋め合わせる資金調達の中で、国債、社債、株の購入と直接投資とが占める相対的割合が常に変動するという点である。(135-37、特に137の表7を参照)
・株式の時価総額の膨張は、アメリカ経済の現実の成長とは全く比例しておらず、現実には金持ちたちの膨張の如きものに過ぎない。(141)
・アメリカへの大量の投資は、あたかも切迫した破滅の予告の如きものである。どのようにして、どのような速さで、ヨーロッパ、日本、その他の国の投資家が身ぐるみ剥がれるかは、未だ分からないが、早晩身ぐるみ剥がれることは間違いない。最も考えられるのは、前代未聞の規模の証券パニックに続いてドルの崩壊が起こるという連鎖反応で、その結果はアメリカの「帝国」としての経済的地位に終止符を打つことになろう。(143)
・ロシアの崩壊の結果、アメリカは唯一の軍事大国になった。それと並行して金融のグローバリゼーションが加速化する。1990年から97年までの間にアメリカと世界全体の間の資本移動の差額の黒字は600億ドルから2710億ドルに増大した。これによってアメリカは生産によって補填されない追加消費に身を任せることが出来た。180
・アメリカは一方的な行動によってヨーロッパの同盟国をなおざりにして、その面目をつぶし、己の勢力の本質的な道具であるNATOを成り行き任せにしている。また日本を軽蔑しており、世界一効率的で、アメリカの安寧に必要不可欠な日本経済は遅れた経済として絶えず決め付けられている。更には中国を飽きもせずいつまでも挑発し続け、イランを悪の枢軸の一員にしてしまう。まるでアメリカは、いずれもアメリカの不規則な行動に振り回されて苛立つ、極めて多様な国々からなるユーラシア同盟を作ってやろうとしているかのようだ。185(ブッシュ政権については、概ねその通り。オバマ政権になって変わったかどうか?一国行動主義は明らかに変化を迫られているし、オバマ政権は明確に協調的行動にターンした。一方、帝国としての衰退に伴う変化、例えばドルの地位の低下、東アジア同盟への胎動、EUとの相対的力関係の変化に伴う同盟関係の変容などは変えようのない歴史的推移と見るべきか
・ロシアが一時期、(共産主義イデオロギーに対する共感を)全世界的規模でまとめ上げ、イデオロギーの帝国の中核になることに成功した要因は何か?
・ロシアは普遍主義的気質の国である。平等は、完全に対称化された遺産相続規則によって、ロシア農民の家族構造の核心に刻み込まれている。ピョートル大帝治下においてロシア貴族は、他の息子を犠牲にして長男を優遇する遺産相続規則である長子相続制を拒んでいる。..20世紀の識字化されたてのロシア農民は、誰に教えられたわけでもないのに自然に人間を先見的に平等なものと感知した。共産主義は普遍的教義として確立し、世界に差し出された。215
・ロシアの普遍主義的気質がこのところ国際政治から姿を消しているのは、辛いところである。国際関係に平等主義的な刻印を刻み込んできたソヴィエト勢力が消滅したことが、現在アメリカ、イスラエル、その他の差異主義的傾向が我が物顔に横行していることの一因とさえ考えられる。..ロシアが無政府状態か権威主義に陥ることがなければ、諸国民の間の関係についての平等主義的知覚を表現する、強力だが覇権的でない国として、基本的な均衡要因となることが出来る。217
殺人と自殺の率という、心性を表す二つのパラメーターを通して、ロシア文化とバルト文化の近親関係が執拗に観察される。..(アゼルバイジャンを除いて)中央アジアのほかのイスラム系の旧ソ連共和国の自殺率は、イスラム系の国としてはあまりにも高すぎる。住民の半数がロシア人であるカザフスタンもそのケースに含まれる。222(表11の世界の殺人率と自殺率も参照、223)
日経ビジネス(09/11/02号、今週の焦点)、「ドルは雲散霧消する」、世界中の指導階級たちが依然として米国、そしてドルの世界の中世者としての役割の信じようとしているのは(驚きだ)。金融危機が落ち着き、通常の経済活動に戻れば、ドルの下落が始まるだろう。ドル崩壊のシナリオは二つで、経済的観点、及び軍事的観点(グルジアで何も出来なかったし、アフガニスタンは米国の無力さを象徴する出来事になる可能性が強い)。ドルに代わる基軸通貨がない現状で、各国がドルを買うことは、解決できない矛盾を重ねて、近い将来の大暴落の被害を大きくするだけだ。(19世紀末に英国が金本位制を支え、1945~65年に米国がブレトンウッズ体制を支えてきたのは、詰る所、両国の経済的・軍事的・政治的覇権に負う。ドル崩壊の危機とは、要するに米国の経済的・軍事的覇権の喪失に伴う事態であって、「ドル崩壊」を予測すること自体には困難はない。問題は崩壊のプロセスが如何に進むか、ドル体制崩壊後の世界経済はどのようなシナリオを描けるか、を明らかに明らかにすることにある。
吉田茂とその時代 (上巻) (中公文庫)
ジョン・ダワー / 中央公論社 (1991-08) / 902円8 users
タグ 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 政治 更新日:2009年10月16日 20時17分04秒 2009/10/16
購入:  2009年05月11日 877円 所有
読中: 
・今世紀の初めから1950年代半ばまでをひとつの単位として論じている数少ない歴史研究(13)、戦前から戦後への保守主義の遺産の研究(17)
・結婚によって明治の寡頭支配者たちとの人的つながりと、また天皇側近にまつわる一団に仲間入りする手段とを獲得した。吉田は1906年、日本が日露戦争の勝利に続いて世界の強国としての役割を負うことになった、ほとんどまさにそのときに、外交界に入った。当時は28歳で、1912年に明治天皇が逝去し明治の代が45年で終わったときは34歳になっていた。吉田は30年にわたって、時刻の帝国主義的な成長と安全の探求に参加した。(31)牧野を通じて吉田が皇室への近接性を確立し、それが彼の尊皇心に個人的な側面を加えた。ことに1930年代以後、吉田は上層社会のみならず華族と宮廷貴族の中に入っていった。(56)
・尊皇心こそは、他のいかなる要素にも劣らず、吉田の戦前と戦後の世界への対処の仕方を規定し、またその焦点となったものである。(45)
・(戦後、戦争犯罪容疑をかけられ自殺する直前に述べたとされる近衛の吉田評)吉田君に好意を持っている点では人後に落ちない。だが吉田君の意識は《大日本帝国》時代の意識だ。これが戦争に負けた日本のこれから先うまくいくだろうか。(60)
・(中国政策の見解)吉田の見るところ、大隈内閣は立て続けに二つの誤った政策をとったことによって、ただでさえもろい機構を全く損ねてしまう恐れがあった。第一は21ヵ条要求、続いて支那浪人を黙認して袁世凱政府を揺さぶる策動、在満日本領事たちに、評判の悪い第五号を主に取り上げて「要求」を論難する陳情書を回そうとした。また支那浪人たちを「浮浪輩」と呼んで軽蔑し、その活動を「掠奪暴行にほかならず」と決め付けている。一方、大隈内閣はこれらの挑発者の策謀を袁世凱政府を揺さぶるのに好都合と見て、彼らの策動の取締りを「手加減」する方針を採っていると伝えられた。さらにこの策動は尾崎行雄ら自由派閣僚の賛同を得て、陸軍の一部と合意のうえ、「第二次満蒙独立計画」へとつながった(71-72)。
・(吉田の対中国政策の基本は)欧米諸国がアジアで効果的に用いた砲艦外交の日本版であると見てよい。1927-28年の初めに、吉田は「積極外交」支持の点では田中首相よりも急進的で、この数年間の吉田の主張は、28年6月に張を退却の途中に暗殺した軍部積極分子、または三年後に鉄道付属地と租借地の外に進出し、東三省全域で「治安維持」に努めるまでになった関東軍の主張と、余り変わりないものであった(112)。
・20年代末の日本の政策立案者は、欧米諸国との調整に意を用いず、いわば「真空状態」の中で考える傾向があったとの議論がある。吉田に関しては、アメリカには大した関心を払わなかったが、イギリスの「完全なる了解」を必要を力説しており、この議論は当たらない。東方会議では吉田は欧米の疑惑を招くような中国政策は「否定的結果を招きかねない」と警告していた(116)。
・1928年7月、吉田は田中内閣の外務次官になる。その直前の4月に長文の「対満政策私見」を提出する。それはこの時点での(吉田の)「帝国意識」の独創的な表現を意味する。(「私見」は122-28を参照)
牧野の尊皇主義、日本には、他国にはない安全装置がある。すなわち皇室です。天皇は至高であり、必ず最後の断を下されるでしょうから、軍事ファシズムにせよ、共産主義あるいは他のいかなる主義にせよ、危険は決してありません云々。(167)(1935年3月、パリの新聞編集者デュボスとの対談で、デュボスが日本には政党間の反目と腐敗があり、軍事ファシズムかまたは共産主義の危険があると指摘したのに対する牧野の反応。共産主義の「危険」は、幻影に対する過剰反応だが、軍事ファシズムの危険は、この段階では充分に予知しうるもので、天皇の「至高」性が防波堤になりうるとするのは、自ら戦う意志のない連中の希望的観測に過ぎない。)
永田町政治の興亡
タグ 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会・政治 更新日:2009年10月16日 13時16分42秒 2009/10/16
購入:  2009年09月19日 28円 所有
読了:  2009年10月16日
○「農のある風景」でジェラルド・カーティスのコラムの引用・利用したのがきっかけで、同氏の著書を読んでみる気になった。尤も、同氏の代表作かどうか、amazon usedで、最も安価本を選んだ。
・日本に強力な既得権益層や、政治腐敗、強大な官僚組織が存在することは間違いない。しかし(それが日本の変化を妨げてきた最大の要因ではなく)これまで日本が抜本的に変わらなかった最大の理由は、経済にしろ外交にしろ、政府の政策の根本的変化を世論が支持しなかったことにある。日本人は依然、社会の安定と比較的公正な所得配分を失わずに経済成長を実現した、従来の諸制度を強く支持している。25
・55年体制は、四本の柱の上に築かれた。「西洋に追いつけ」という国家的目標の達成に必要な政策への社会的なコンセンサス、政党と密接に結びついた全国的影響力のある巨大な利益団体、絶大な威信と権力を誇る官僚制、自民党の長期支配、41
90年代の日本経済、戦後の国民的合意の崩壊、前向きに楽観的に変化を追求するアメリカ人とは対照的に、日本人は将来の災厄の芽を摘むという発想から変化に向かう傾向がある。危機に対して皆が団結して頑張らなければ日本は沈没するという脅しは、たとえ漸進的な変化でも、それを認めるコンセンサスを形成するには必要なのかもしれない。43
・脱工業社会では、利害は分散し始め、特定グループの利益だけを代表する特殊利益団体が台頭する。70年代後半から日本でも、この傾向が目立つようになった。全国規模の頂上団体が衰退して特殊利益の利権政治が優勢になったことは、現在の日本の政治を変質させた。政治家は狭い利益に目を向け、族議員現象を生んだ。45
・労働組合の戦闘性の低下(46)、農協パワーの衰退(48)、ギルドの死、日教組・医師会の影響力の低下(51-53)、財界の衰退、経済界の政治的影響力の細分化(53-54)
・利益団体、自民党族議員、官僚の関係を表す「鉄の三角形」は、日本政治の後進性を象徴する、日本独特の関係のように云われるが、実はアメリカで生み出された言葉だ。日本の現実の政策決定には、一つの巨大な三角形ではなく、特定の政策分野毎に結成されている三角形が、数多く作用している。56
・93年夏、自民党を始めて野党に転落させた歴史的な政変は、なぜこのタイミングで起きたのか?(64)、93年の自民党の下野は必然的なものではなかったし、何か一つの要因によって引き起こされたわけでもない。90年代前半には、各政党を隔てるイデオロギーの壁は殆ど取り壊され、経済は失速し、国際社会から冷戦構造は消えていた。不落を誇った自民党政権は、派閥抗争、政治家の野心や感情のもつれ、政治腐敗に対する報道、政治改革を求める世論、冷戦終結などの包囲網によって、じりじりと攻められていった。だが、自民党が政権を失うまでの具体的な筋道や下野の時期を決定したのは、この包囲網ではない。(94)
・93年8月に、自民党を中心にした連立政権ではなく、非自民の七政党の連立政権が発足したのは何故か?(96)93年の総選挙での結果で最も目立った特徴は、変化ではなく、連続性だった。自民党にしろ新政党にしろ社会党にしろ、当選したのは現職が中心だった。(101)(自民党には)小さな政党を一つか二つ買収すれば政権に居残れると決めてかかっている様子がありありだった。しかし、自民党の一党支配を支えた重要な条件だった国内のイデオロギー対立と国際的な冷戦は既に消滅していたのであり、自民党に対抗する勢力には、かつてない可能性が開かれていた。(107)
・連立政権はなぜ、わずか八ヶ月で崩壊したか?(96)細川政権には、改革主義者、政治的日和見主義者、社会主義者、平和主義者、国際主義者など理念の異なる政党が寄り集まっていた。政権が火種を抱えているのは発足当初から明らかだった。(111)国会は法律成立までのプロセスに建設的な役割を果たしていなかった。自民党が政権を退いたとき、政策決定の制度的枠組みも同時に消えてしまった。..(米国でもそうだが)日本でも政策決定の大半は、政治家ではなく役人が行っている。自民党から非自民勢力に政権が移っても、官僚の日常的な国家運営には支障はなかった。それでも、細川政権は政策目標や政策の優先順位を決め競合する要求を仲介・調整するための新しいメカニズムを作らなければならなかった。(118)
政党政治の前進、98年7月の参院選後に行われた金融再生関連法案の国会審議は、日本の政党政治の前進を意味した。国会は、他の場所で決められたことを追認したのではなく、政策決定の中心的舞台となったのである。与野党の歩み寄りで、自民党が最初に提案した法案より、強力でよい法律ができた。民主党の主導で、野党は自民党案より金融機関の債権のポートフォリオの透明性を高め、公的資金の投入について審査基準を厳格化するよう要求した。(217)
行政改革の目的、行政改革の主な目的は、市民社会と経済に対する国家の権力を弱めることが目的だが日本政治家もマスコミも、それを忘れている。日本の新聞やテレビは、日本政府の過剰な権力に焦点を合わせる代わりに、改革が日本政府の効率を上げるのかを探ることに全力を挙げている。改革推進派を自任する人々さえ、依然、改革の目的は国家から人々をもっと自由にすることではなく、国家が人々のためにもっと多くのことが出来るようにすることだという考え方にとらわれている。(237)(国家と市民社会との同一視ないしは混同
新しい中世―相互依存深まる世界システム (日経ビジネス人文庫)
田中 明彦 / 日本経済新聞社 (2003-04) / 864円39 users
タグ 歴史 社会 政治 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 政治 更新日:2009年10月13日 14時33分56秒 2009/10/13
購入:  2009年10月12日 390円 所有
読了:  2009年10月12日
・冷戦の終結と覇権の衰退という歴史的推移の中で、経済的相互依存関係が進展する世界システムを「新しい中世」への移行期と捉える。
・「新しい中世」という規定が、多少人目を引くインパクトを持っているが、実際の「世界システム」の分析内容は平凡。

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