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史書を読む (中公文庫)
坂本 太郎 / 中央公論社 (1987-03) / 461円8 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年06月11日 15時22分35秒 2012/06/11
所有 読了:  2012年06月12日
・最初に公にされたのは1981年1月号『歴史と人物』、二年間にわたって連載された。その後、中央公論社から単行本として出版。
僕が、初めて読んだのは1987年4月に再刊された中公文庫版だ。たまたま本棚の一隅にあるのが眼について拾い読みする。
・「あとがき」に、こんなことが書いてある。「史書を読むことは楽しい。....学問上の難しい議論を述べるつもりはないし、まして警鐘を乱打して、太平の世の眠りを覚まそうというような、大それた気持ちは微塵もない。史学者の端くれにいながら、随分呑気なことを言うものだと叱られるかもしれないが、人間も80歳に達すると、こうした恬淡とした心境に成る」。初めて、この書に接した22歳の頃、この「あとがき」をどう読んだか覚えていないが、当時の僕は経済学と幕末の政治外交史に専ら関心を注いでいたから、歴史書を読むのは文字通りに「余興の楽しみ」だったかも知れない。
・ともあれ、現在は70歳には未だ数年たりない年齢でしかないが「恬淡とした心境」が素直に共感できる。昔は諦観と思っていた、しかし現在は諦観も超えたと思っている。何事も淡々と受け流す心境。
・日本書紀、風土記、古語拾遺、将門記、吾妻鏡、読史余論などの章を読む(6/12)
新版大東京案内〈上〉 (ちくま学芸文庫)
今 和次郎 / 筑摩書房 (2001-10) / 1,188円32 users
タグ 社会 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年01月23日 05時01分19秒 2012/01/23
読了:  2012年01月21日
・昭和四年、中央公論社から出版されたものの復刻版で、1986年に「批評社」から出版された一巻物。図書館から借りる。「登録」検索では、批評社が対象外なのか絶版なのかヒットしないので、「ちくま学芸文庫」版を便宜的に採用しておく。
・12/01/21の作業日誌(参照)でもちょっと触れたが、ともかく楽しい本だ。昭和初年の同時代的「東京」案内として抜群の面白さ、三宅雪嶺の「同時代史」と併せて読むと、硬軟両用というか、同時代の表裏と云うか、公式の顔と裏の顔というか、いずれ「歴史」を立体的に捉える一助になる。
東条英機暗殺計画―「高木惣吉資料」にみる日本海軍の終戦工作 (二十一世紀図書館 (0074))
工藤 美知尋 / PHP研究所 (1986-05) / 616円3 users
タグ 政治 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2012年01月14日 17時19分22秒 2012/01/14
所有 読了:  2012年01月14日
・「終戦工作」という視点に絞って膨大な高木資料(【高木惣吉 日記と情報】上下二巻にまとめられている)を読み解く良きガイド本になりうる。
・戦争遂行という、最も重要な国家機能の発動を必要とする時期に、その基本になる情報が共有されていない。例えば「太平洋戦争当時、東条首相兼陸相は、内政、外政、そして戦局の情報を一手専売で握っていたため、重臣というものは、戦局の実相を何も知らないのが普通であった....云々」25p
・東条内閣倒閣運動の困難性、「新聞も木戸候も閣僚も、政府の報告以外に申し上げないため...」お上が東条を信頼云々、「現状を打開するにはクーデター以外になし」(これは44/2/15、細川日記か)35p、
・東条暗殺日程決まる、44/5/1、海軍懇談会で東条暗殺計画に話が集中、7/20決行と決まる...(細川日記)67p
・44/4/13、高木は、これまで宮中筋や重臣を当てにして工作してきた不徹底ぶりを猛省して、海軍内の中堅層を中心に事態打開に向けた工作の必要を痛感する、49p
・44/6/27、戦局がこのように緊迫した時期に及んでも、局部長会議も戦備幹事会も、全く昔ながらの春風駘蕩ぶり...云々」79p
朝鮮史 (講談社現代新書 460 新書東洋史 10)
梶村 秀樹 / 講談社 (1977-10) / 756円18 users
タグ 歴史 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 日本史 更新日:2009年11月09日 06時21分40秒 2009/11/09
購入:  2009年11月03日 735円 所有
読了:  2009年11月08日
アマゾン・サイトに四件のレビューが載っているが、内三件は「偏りすぎ」「公平性に欠ける」などの評価だ。しかし、我々が歴史的事実と見なしているものは、常にある時代の「眼鏡」を通して見ているのであって、その意味での「偏り」は避け難い。梶村氏の「朝鮮史」が偏りすぎとすれば、それは戦前の「史観」に対するアンチテーゼであり、両者相俟って平衡を保っていると云えない事もない。史的批判に今日的観点から「道義的批判」を持ち込む点には違和感を覚えるが、それも時代相の一面と見れば、「公平性に欠ける」と論難するに足らぬ。但し、分析よりも「規定」に走りすぎる点は軽薄の恨みあり。
参考文献:「世界歴史事典」第6巻「朝鮮」&第9巻「李朝」の項(「世界歴史事典」からの引用は青とする)
・日本人は、その世界認識の拡大と共に、「から」「天竺」「もろこし」「南蛮」などの外国一般を指す単語の語彙の中に積み重ねてきたが、その最初に位置する「から」が古代朝鮮南部の加羅諸国の名から来ている..(「から」は「唐」とばかり思い込んでいた、加羅諸国との認識は全くなかった。「日本国語大辞典」には「唐・韓・伽羅」とあり、最初の用例は日本書紀・欽明二年七月の項で伽羅の意味で使われる。後に、転じて広く朝鮮・中国を指し、中世以降は南蛮などの諸外国を指すこともあった、とある。
・朝鮮語は中国語とは全く別のウラル・アルタイ語に属し、トルコ語・モンゴル語・満州語・日本語などと同系統である。19
民族形成過程は言語の中にも反映している。朝鮮語の系統は未だ学説が確定していないが、アルタイ語系とする説が有力に為りつつある。しかし民族混洧によって多くの系統を異にする要素を取り入れたため確定的に為っていない。191
・太古の生活圏は、朝鮮半島だけでなく、中国東北からソ連沿海州にかけての広大な森林地帯に及んでいた。...森林狩猟文化圏は、西隣のモンゴル・トルコ族の草原遊牧文化圏とはっきり異なる特徴を持っていた、21。森林狩猟文化圏の中で、朝鮮族と満州族が分岐していく契機は農業生産の開始と関連しているのではないか。農業に適した自然条件を求めて北方から半島部への波状的な移動が見られる。移動して農業生活に定着していった部分が次第に今日の朝鮮民族を形成し、北方で伝統的生活様式に留まった部分が満州族を形成していった。農耕文化に移行した朝鮮民族の政治的統合は、統一新羅(7世紀)の時代に一応完了する。この頃にはまだ北方には高句麗の系譜を継ぐ渤海が存在した。渤海の遺民は国家滅亡に際して高麗に合流していくのだから、未だ北方に朝鮮民族の先祖が残っていなかったわけではない。従って、朝鮮民族と満州民族の領域が画然と定まったのは、むしろ高麗時代である。23-24
現代の朝鮮は鴨緑江、豆満江以南の全半島を包括するが、これが成立したのは李朝時代で、それ以前は大陸勢力が政治的・文化的に半島北部を支配していたが、南部から興った朝鮮人が大陸の勢力を押しのけて北方に拡大し、終に李朝のとき全半島を支配するようになった。190
・戦前の日本では、紀元前二世紀以降の衛満朝鮮から漢の武帝の楽浪郡など設置に至る漢民族征服統治に、朝鮮の国家形成の起源を求めるのが通説になっていた。これは先験的に朝鮮民族の自律的発展を抹殺せんとする日本帝国主義の統治イデオロギーの影響を強く受けた作為的イメージで、この他律性史観を克服するため、これに先立つ古朝鮮国家のイメージが探求されてきた。31、原朝鮮文化圏全体に君臨する信仰中枢としての王朝のようなものの原初的形態、やがて領域を三分して馬韓・弁韓・辰韓の三韓が自立云々、中国史料の武帝による朝鮮文化圏全域の制圧と楽浪など四郡設置は名目的なもので、「楽浪郡は武帝の頭の中だけにあって、せいぜい遼東に仮設されたに過ぎない云々、33(申采浩の「朝鮮上古史」)(「自律的発展を抹殺」云々については、せいぜい中国史料の無批判的援用との批判はできるにしても、後者は他律性史観「克服」の使命感から派生した単なる希望的憶測史観に過ぎぬと云うべきか
朝鮮半島の人間がまだ石器段階にあった頃、中国では早くも金属文明が成長し、古代王朝が栄えていた。戦国時代になると漢人は東方に進出し、南満州を経て朝鮮西北部に入り込んだ。前三世紀頃彼らはそこに箕子朝鮮国を建て、周りの土民を支配した。前二世紀の初期衛満が箕子朝鮮国を滅ぼして衛氏朝鮮国を建て、中国からの亡人を吸収し土民を征服し、西北朝鮮に強い勢力を固めた。..漢の武帝は、朝鮮を征服し、直轄領に編入、楽浪郡など四郡を設置、更に郡を県に分け、これら郡県支配のために中国の役人を派遣、以来、郡県の消滅するまでの前後約四百年間、朝鮮半島の大部分は中国に直接支配された。195
辺境地帯の自律的発展、中国郡県の根拠地の先進地域(西部・中部)では朝鮮土民の成長は妨げられ、却って辺鄙な北部・南部では中国権力が及ばないため土民の成長が可能であった。北部満鮮国境地帯では狩猟を生業にする高句麗族が台頭、紀元前後には中国の辺境を侵すまでに成長。一方、東南部の海岸や奥地でも韓族の生活は高まり、徐々に抵抗力を養った。四世紀に中国内乱で半島の郡県支配が弱まると、北方からは高句麗族が楽浪郡を攻め倒し、南方では韓族が帯方郡を攻略して、中国官人を半島から一掃した。192
・奴隷制から農奴制へという生産関係の契機を念頭におきつつも、社会構成体についての理論自体を、事実に即して再検討してみる方が現実的かもしれない。(当たり前の、常識的な指摘を敢えてせざるを得ない点に、いかに非現実的な・事実に即さない「社会構成体」議論に耽ってきたかが、間接的に示される)朝鮮史に即していえば、①第二類型の古朝鮮(前記の「信仰中枢の王朝」イメージに対して、より権力的イメージの勝る古代国家的「古朝鮮」、中国史料の衛満王朝に先立って原朝鮮文化圏に属する古朝鮮王朝があったはずだとの想定に立つ、33頁参照)から三国初期、②統一新羅から高麗、③李朝、という三段階が区別される。①が比較的奴隷制の強い段階、③が農奴制が優勢な段階、②はその中間的ななにものか、39-40
・612年煬帝の侵略軍は水陸あわせて300万という空前の規模云々、36(113万というのが定説だが、どういう間違いなのか、単なる誤植?

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