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ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記
塩野 七生/ 新潮社 (1993-08-01) / 3,024円156 users
読了:  2012年06月24日
・再読
・資産階級別軍役制度(紀元前6世紀&241BCの改革後の比較表)79⇒「ローマ社会の中産階級化」云々;
Polybius, Histories(Plb. 6.19;On the Roman Army
・ハンニバルとスピキオの会見の場面、殊に二回目の会見が面白い。
・覇権の交代
ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず
塩野 七生/ 新潮社 (1992-07-01) / 2,484円181 users
所有 読了:  2012年06月10日
・ギリシャ文明の梗概(88-142)
・安定した三極構造(王政時代)から事実上の二極構造(共和制時代)への変容に伴う不安定化(145-149)
・BC494、平民のローマ退去(モンテサクロへの退去)⇒護民官の設置(149-150)
・「農地法」をめぐる対立
・十人委員会の設置及び十二表法の制定(BC449)、153-156;マキャヴェリ【政略論】(1-35参照)
・ローマ貴族の支配基盤=クリエンテス(156-159)、貴族と平民の抗争は既存勢力対新興勢力という単純な図式では捉えられない。貴族とクリエンテスである平民の合体した勢力対(クリエンテス外の)平民との抗争との側面(160)
・BC400~390頃、ローマのエトルリア攻略(396年、ウェイ占領)、エトルリアの盾を失い、以後ケルト族の波状的な来襲を受け、(ケルトはギリシャ人の命名、ローマ人はガリア人と呼んでいた。「ケルト人」及びその居住地域(BC400年頃)については、Wikiを参照)7ヶ月間にわたってローマを占拠される。身代金を支払う条件で都市ローマから退去する(169)。
・ケルト族来襲後の困難なローマの防衛と再建に貢献したのはカミルス(「ロムルスに次いでローマの二人目の建国者と賞賛されながら....云々」Plutarch, Camillus)179
・リキニウス法(BC367)、軍事担当官制の廃止、執政官制度の復活および平民出身者への全面開放。アテネもローマも権力は寡頭政派と民主政派の二重構造だったという点では共通する。アテネは二極が交代で政権を取ったのに対して、ローマは既成勢力が新興勢力を抱き込むのを常套手段とした。(184-185)
・ローマの共和政は、王政時代の政治制度の三本柱の王、元老院、市民集会の内の王だけを、二人の執政官に代えただけでスタートした。(189)
・共和政ローマの政治制度の構造的図解(193);各官職の権能(189-204)
・ローマの元老院(&ヴェネチアとの比較)、(201-3)
・ローマ連合の内実;五種類の連合国(211-15)
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生/ 新潮社 (2001-10-01) / 2,268円53 users
読中: 
・【君主論】のモデルは、なぜロレンツォではなく、チェーザレ・ボルジアか。それさえ分かれば【君主論】の書かれた意図が見えてくる。117p
・ロレンツォの死後、フィレンツェはサヴァナローラの支配下に置かれる。だが、それはサヴァナローラの刑死によって急速に終わる。
フィレンツェ市民を相手にサヴァナローラが説教する場面、偶々、その場に居合わせたダ・ヴィンチがこれをスケッチする様子が、メレジュコフスキーの【神々の復活】69-74pに描かれている
参考:【フィレンツェ史】は、グイッチァルディ ニのもの、マキァヴェッリ全集第三巻のものが出ている。マキァヴェッリのものは岩波文庫の他、グーテンベルク叢書でも読める。
海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生/ 新潮社 (2001-08) / 2,052円55 users
読中: 
・再読
・陸地型・海洋型の国家の違いは自給自足の考えのあるなしにに帰結すると見て良い、陸地型国家が侵略型になるのは当然の帰結、云々、43p
・ヴェネチアとフィレンツェは、性格のまるで違う二人の人間のようだ」とはマキャヴェリの言葉、ヴェネチアはアンチ・ヒーローの国、51p
・モラリストぶるイギリス人ほど、片腹痛いものはない。...ヴェネチア人も、道徳家の殻をかぶったほうが有利と判断した場合以外は、一度もモラリストであろうとしたことのなかった民族である。157p
レパントの海戦 (新潮文庫)
塩野 七生/ 新潮社 (1991-06-28) / 562円179 users
購入:   500円 所有
読了:  2009年12月24日
ルイスの「アジア海域におけるオスマン帝国艦隊の敗北と崩壊に比べると大して重要ではなかった。まもなくオスマン帝国は地中海で海軍力を復活させ」(『イスラーム世界の二千年』)の指摘は、レパント海戦についての西洋世界の評価或いは僕の従来の認識とはずいぶん違った印象を受ける。故に「海戦」そのものを復習するため再読。「小説」とはいえ、むかし読んだ印象では史料に忠実な小説仕立ての海戦史と云うべし。なお『世界歴史事典』(9-453.p)では「この海戦はスペイン黄金時代Siglo de Oro を表象する一戦であり」と指摘。
・外交官のいないトルコでは、重要任務でもしばしば、必要から数カ国語をあやつれる非支配民族のギリシャ人を使う。..2月27日、このギリシャ人は元首官邸内(ベネチア)の元老院議場で、スルタンの親書を読み上げ、それへの回答を求めた。親書は実に高圧的な調子で終始し、キプロス島の”返還”を要求した。55-56.p
・ベネチア大使バルバロは、1570年5月から大使館内に監禁された。しかし外部との連絡は継続された。当時西欧諸国の中で、トルコとの間に定期的な郵便制度を持っていた国はベネチアだけで、その業務を担当する部門はベネチア大使館にあったのである。コンスタンチノープルでいまだ経済活動だけは続けていたベネチア系の商人たちは、本国を始め、ベネチアの他の商業基地や全ヨーロッパの主要都市に散らばる支店にむけて、取引上の通信を送る必要が常にあった。100.p
・対トルコの連合艦隊の実質的な主要国はベネチアとスペインだけだが、両国の関係は敵対的とも言えた。しかしトルコの脅威を跳ね返すには互いに相手を必要とし、法王を仲立ちに辛うじて同盟した。106-111.p参照
・連合艦隊の規模は軍船二百隻、戦闘員五萬。総経費の分担はスペイン3/6、ベネチア2/6、法王庁1/6と決められた。
・戦略目標、ベネチアの真意はキプロス救援、スペインの目標は北アフリカ攻略、法王はイスラム教徒との戦い。ベネチアは「キプロス救援」を明記したかったが、実際には地中海の東西に関わらず敵のいるところに出向き対戦する、と決まった。113.p
・無敵と思われて来たトルコ軍が、無敵でないことを実証した.それも、1453年のコンスタンチノープル陥落から始まった、トルコの攻勢に次ぐ攻勢の前に、全力を投ずる抵抗となるとほとんど一度としてなかったキリスト教勢が、実に118年後にして初めて獲得した、ほんものの勝利だった。203.p(この「勝利」の意義について、解説で高坂正堯はJ・E・C・フラーの言葉を引用して、コンスタンチノープルの陥落以後続いてきた無敵のトルコという神話を打ち破ったことにおいて、「その精神的重要性は圧倒的」なものであったとした。「トルコが自らの不敗に疑いを抱いたことが地中海世界の支配の喪失を生み、それが次の世紀には陸上の支配の動揺をもたらした」269.p)

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