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ダニエル ギルバート
/ 早川書房
(2007-02) /
1,680円
/ ISBN:9784152087980
→不安と計画を結びつける概念=未来について考えること →前頭葉は人類が未来に自分を投影するのに、不可欠な脳の装置 想像に頼ると正しい予想はできない ↑ 想像の欠点(P299-) 1.われわれに断りもなく、穴埋めや放置をしがち 2.現在を未来に投影しがち 3.物事がいったん起こると、思っていたのと違って見えるようになるのに、前もってそれに気がつかない なぜわれわれは自分を特別だと思うのか(P306) 1.われわれ自身が特別でないとしても、われわれが自分を知っている方法が特別だから 2.自分を特別だと考えるのが楽しいから 3.あらゆる人の独自性を過大に見積もる傾向を持っているから
山田 昌弘
, 電通チームハピネス
/ ディスカヴァー・トゥエンティワン
(2009-09-09) /
1,050円
/ ISBN:9784887597365
「一人当たりGDPが一定水準に満たない場合は「不幸」だが、それが一定水準を超えると、一人当たりGDPと幸福度の間に関係はみられなくなる。」 「幸福を生み出すと期待される商品を買い、消費することが、近代社会の幸福の基本である。」 近代社会における貧困というのは、「買い続けることができなくなった状態」 「幸福を追求しなければいけないことの不幸」 人は自分の心中で幸福を持つだけでは足りず、他人とのつながりの中に幸福を見つけていくのです。と同時に、職場でも、人生の中でも、自分だけでよいと思っていても自信を持てませんが、他人から承認されることによって、自分の存在を肯定することができ、自信を持つことができるのです。 自分の存在を肯定すること、自分の居場所が仲間の中にあること、この二つが人々の切実な人生の課題になっています。(P79) 幸福のペンタゴンモデル(P87) 消費に代わって、幸福に直結する鍵 ・時間密度…その物語に夢中になり没入するために必要な鍵 ・手ごたえ実感…努力が報われ、やりがいを感じる価値を評価する鍵 ・自尊心…その物語を自分から内的に肯定する鍵 ・承認…その物語を他人が外から肯定する鍵 ・裁量の自由…自分が物語の進行をコントロールする主人公であることを認識する鍵 「裁量の自由」があり、しかも作業が楽しくて「時間密度」が高ければ、仕事は消費と同じ形となり、幸福につながる行動になるわけです。しかも、楽しんだ上に評価され(「承認」)、熟練して徐々にうまくなっていくことができ(「手ごたえ実感」)、給料までもらえる(「自尊心」)ので、幸福として申し分ないわけです。(P197)
姜 尚中
/ 集英社
(2008-05-16) /
714円
/ ISBN:9784087204445
時の流れの中ですべての価値は変化しますが、お金だけは、不変の価値を持った一種の記号として、存在し続けることは間違いありません。侮りがたきはお金です。(P63) 自分自身に「私はなぜ働いているのか」と問うてみることがあります。すると、いろいろと考えたあげく、他者からアテンションを求めているから、という答えが返ってきます。お金は必要ですし、地位や名誉はいらないと言ったら嘘ですが、やはり、他者からのアテンションが欲しいのです。それによって、社会の中にいる自分を再認識できるし、自分はこれでいいのだという安心感が得られる。そして、自信にもつながっているような気がします。(P128) 間とは、そのときどきの相互の問いかけに答えていこうとする意欲のことです。愛のありようは変わります。幸せになることだけが愛の目的ではありません。愛が冷めたときのことを最初から恐れる必要はないのです。(P146)
大津 秀一
/ 致知出版社
(2009-05-25) /
1,575円
/ ISBN:9784884748524
不思議なことに、忍従に忍従を重ねた人生は、極めて日本的であることもあり、皆から尊敬はされる。けれども、実は皆を惹きつけて止まないのは「やりたい放題」の人生である。真似できないからこそ、魅了されるのかもしれないが。 ・・・自由に生きた人生は皆から尊敬はされないかもしれないが、愛される。そして心地よい清涼感を残すものなのである。(P61) 夢を持ち続けているかぎり、それはかなう可能性があるということだ。諦めてしまえば、可能性はゼロである。けれども諦めなければ、可能性はゼロにはならないのである。 考えてみると、死ぬ前に後悔するのは、夢がかなわなかったこと、かなえられなかったこと、そのものよりも、むしろ夢をかなえるために全力を尽くせなかったことにあるのかもしれない。(P63) 怒っていても、泣いていても、笑っていても、変わらず一生は過ぎるものである。だったら笑っていたほうが得ではないか。(P78) 人をいじめることがよくあるのなら、心を入れ替えた方が良い。優しさが足りないのならば、優しさを意識した方が良い。それらは死が迫ったときの、後悔の一因となる。他を蹴落とし、どんな勝負に勝ってきたとしても、同じように努力しても決して勝利できないのが死である。けれども、生の終わりを敗北でなく、完結ととらえられるのならば、死は恐るべきものではなくなる。(P84) 悠久のときの流れの中で、誰かに会いたいと思っても、永遠に会えなくなってしまうこともあるだろう。そうならないためには、やはり会いたいと思うときに、あなたが会いたいと思う人と会っておくことである。(P142) 恋愛の記憶は確実に最期の日々を豊穣にすると思う。(P148) 家族関係、特に夫婦が血縁を超えた深い結びつきでつながっている場合は、終末期の苦悩も大きく減じるのである。どうせするなら生まれ変わってももう一度結ばれたいと思う結婚をするのがよいと思う。(P158) 死期が迫って後悔しないよう、自らが生きた証を積極的に残そうとすべきである。またその行為が、後の人々の力となるのである。誰かの人生はその人に固有のものであり、他者がそこから学びや気づき、そして癒しや勇気をもらうことも稀ではない。自らの後悔が減るばかりか、他人の人生の苦しみも減らしてしまうかもしれない。(P190)
ミシェル・ド モンテーニュ
/ 白水社
(2007-02) /
2,205円
/ ISBN:9784560025758
26章 真偽の判断を、われわれの能力に委ねるのは愚かである あることを偽りだとか、ありえないとか、はっきりと決めてしまうのは、自分の中には、神の意志や母なる自然の力の究極や限界がちゃんと入っているのだと、自分を特別扱いすることではないか。そうした限界を、われわれの能力の尺度に合わせてしまうことほど、愚劣きわまりないことはないではないか。 38章 孤独について できるならば、妻子や財産を持ち、とりわけ健康を保持すべきだ。でも、われわれの幸福が、それらに依存しなくてはいけないほど、執着するようであってはいけない。われわれの本当の自由と、極めつきの隠れ家と孤独とを構築できるような、完全にわがものであって、まったく自由な、店の奥の部屋を確保しておくことが必要だ。 しょせんは偶発的な、自己の外部にある幸福は、われわれにとって快適であるかぎりにおいて利用すべきではあるとはいえ、それを自分の主要な土台にしてはいけない。そもそも、そうしたものではないのだし、理性も自然も、そのことを望んではいないのである。そうした法則にさからってまで、なぜわれわれの充足感を、他者の力に服従させようとするのか? 40章 幸福や不幸の味わいは、大部分、われわれの考え方しだいであること 豊かさも、貧しさも、各人の心の持ち方しだいなのだ。そして富も、名誉も、健康も、それを所有している本人が、それに付与する美しさと喜びしか有さないのである。気のもちようでその人は幸福にも、不幸にもある。幸福だなと思われている人ではなくて、自分でそう思っている人こそ、満足できるのだ。そうであってこそ、信じることが、本質と真実とを獲得できることになる。 41章 みずからの名声は人に分配しないこと 世の中には愚かさのきわみといえるようなことがたくさんあるけれど、そのなかでも、もっとも広くいきわたっているのが、名声や栄光への関心である。われわれは、このことにこだわり、富や、心の安らぎや、生命や健康など、現実的にして実質的な幸福を捨ててまで、このむなしい幻影を、実体もなく、つかまえることもできない、名声という単することばを追い求めるのだ。 57章 年齢について このわたしはどうかというならば、30歳を過ぎて、心身ともに、増えるよりは減った、前進するよりは後退したのはたしかだ。なるほど、時間を上手に使う人ならば、年とともに、知識なり経験なりが豊富になるのかもしれない。でも、活発さや敏捷さ、それにねばり強さなど、人間本来の、とてもたいせつで、欠かせない能力は、色あせて、おとろえていく。
Michel de Montaigne
, ミシェル・ド モンテーニュ
, 宮下 志朗
/ 白水社
(2005-10) /
2,100円
/ ISBN:9784560025741
読者よ、これは誠実な書物なのだ。この本では、内輪の、私的な目的しか定めていないことを、あらかじめ、きみに知らせておきたい。きみの役に立てばとか、わたしの名誉となればといったことはいっさい考えなかった。もっとも、わたしの力量では、そうした企てなど不可能なのではあるけれど。わたしは、親戚や友人たちの個人的な便宜のために、この本を捧げたのである。 ・・・・・・ 世間で評判になりたいのならば、わたしだって、もっと技巧をこらし、きらびやかに身を飾ったにちがいない。でも、そうした気づかいや細工なしに、単純で、自然で、ごくふつうのわたしという人間をみてほしいのだ。 ・・・・・・ つまり、読者よ、わたし自身が、わたしの本の題材なのだ。だからして、こんな、たわいのない、むなしい主題のために、きみの暇な時間を使うなんて、理屈にあわないではないか。 8章 暇であることについて 豊かで、肥えた土地の場合、そこを遊ばせておくと、むだな雑草があれこれ無数に生い茂るけれど、この土地をしっかりと活用するには、きちんと種まきをしたりして、われわれに役立つようにする必要があることは見てのとおりである。・・・・・・精神についても、同じことであって、それをなにかのことがらでいっぱいにして、束縛し、手綱を引き絞らないと、想像力という茫漠とした野原のなかを、あちこち野放図に身を投じてしまうのである。 ・・・・・・ 目標の定まらない魂は、さまようしかない。なぜなら、「どこにでもいるということは、どこにもいないこと」という諺のとおりなのだから。 18章 われわれの幸福は、死後でなければ判断してはならない われわれの人生の幸福というものは、生まれのよい精神が、平静でいられるのか、満足できるのかといったことにかかっているし、規律正しい精神が、確信をもって、決然としていられるのかにもかかっている。とはいえ、人生という芝居の最後の幕を見ないかぎり、この人は幸福であったというべきでない。死という終幕こそは、たぶんもっとも難しいのだから。
ガルリ カスパロフ
/ 日本放送出版協会
(2007-11) /
2,310円
/ ISBN:9784140812624
創造性と読み、芸術と科学を組み合わせ、単なる部分の寄せ集めにとどまらない全体にまとめる能力にある。チェスは独特の認知にかかわる結合体であり、そこでは芸術と科学が人間の精神のなかで一体化し、経験によって洗練・改善されていく。(P34) 人は敵に難題を突きつけられると、敵の発想を論破したい、抵抗したい、挑戦に応じたいという強い誘惑に駆られる。もちろん、まさしくそれが敵のねらいであり、だからこそ挑発に乗ってはならない。すでに優れた戦略を立ててあるとしたら、それを捨てて敵にあわせる必要があるだろうか? ここでは高い自己抑制が求められる。(P43) 変化か不可欠な場合もあるが、それを実行する際は熟慮と正当な理由かなくてはならない。負けているときは必要のないものまで変えたくなるし、勝っていると大惨事の瀬戸際にあっても万事順調と思い込みやすい。…戦略家は自信の戦略に対する信念と、それをやり遂げる勇気を持たなくてはならず、と同時に、変化が必要になったらすぐに気づけるよう、心を開いておかなくてはならない。(P53) ピカソ「コンピュータは役に立たない。答えを教えてくれるだけだから。」 肝心なのは問いなのである。問うこと、そして正しい問いを見つけることが、進路にそれず前進する鍵だ。私たちの戦術、日々の決断は、長期的な目標に基づいているだろうか? 情報の波によって戦略は見えにくくなり、細部と数値、読みと分析、反応と戦術に紛れる恐れがある。(P77) 株式市場は人々が願っているような、企業の将来を占うものではない。現在の企業に対する認識を示すものだ。株の購入者は人気企業の現在の成功に乗じて短期的に稼ごうと飛びつく。…数字の根拠となるのは企業の実際の価値ではなく、購入者の利益を求める動機と信頼感だ。…質の認識から生まれた質というものはもろいものである。 コンピュータはこうした認識のゲームとは無縁なので、理論上は評価をする上で有利な立場にある。ところが実際は、プログラムはうまく市場を読むことはできない。市場を動かすのは"不合理"な人間であり、その行動は予測不可能で、非論理的ですらあるからだ(P151) エーリヒ・フロム「創造性を得るには確実性を手放す勇気が必要である」 持っている知識を一歩前進させ、独創的な考えや問題解決に発展させるには、その知識から少しだけ手をはなし、新たな視点や考え方をつかむことが必要だ。そして創造性の探求に奮起しているときには、新しいことを達成しようと行動を始めるまえに、すでにもっているものを正しく評価することら大切さを忘れてはならない。 既知の事柄をすっかり吸収したら、自信を持って後ろに下がればいい。後ろに下がると、全体像が見えてくる。そこからなら新たな道を見つけ、新たな結びつきを見出すことが可能だ。新たな関連性が浮かび上がり、古い情報は新鮮に感じられ、核心は例外ではなく基準となる。(P205) 意志決定のたびに検討したくはないので、私たちは経験から得たパターンを頼りにする。それは必須の近道であり、基本的な役割をとどめておくかぎり、不都合はない。問題が生じるのは人生のもっと複雑な決断に関してパターンに頼るときだ。その場合は創造性が抑えられ、"万能サイズ"的な意志決定法を採用して、あらゆる問題に同じパターンと解決策を当てはめようとするのである。 反復作業をしていると、問題を創造的に解決する機会を見逃しやすい。分析するたびに同じ答えが繰り返され、本能が少しずつ鈍っていく。(P238) 同じミスをするなら直感と楽観主義を貫きたいというものだ。プラス思考に基づく決断は、保守的な決断に比べて正確ではないかもしれない。だが、その方が過ちから学べるものは多いはずだ。直感を働かせ、磨くにつれて、決断は正確さを増していく。人は行動するときに、限界を押し広げるという人間的な欲求を成就するときに、より大きな幸せを感じるものなのだ。(P240) スコット・フィッツジェラルド「持続力というのは、続ける能力だけではなく、やり直す能力にもあらわれる」 私たちは自分を駆り立て、独自の基準をつくり、常時そのレベルを上げ続けなければならない。自分は最高だと自身をいだきつつ、門外漢や弱者のつもりで戦うのは矛盾する面もあるだろう。機能している公式を変えることも困難だが、長いキャリアを通じて秀でたいと思うなら、両方を実行する必要があると気づくはずだ。…集中とモチベーションを持続する方法を見つけることが、自己満足と戦う上で鍵となる。 ゲーテ「知るだけでは不十分だ。応用しなければならない。願うだけでは不十分だ。実行しなければならない。」(P270) 対照的な2つのものが調和して機能する例は、意志決定のプロセスの改善を追求する個々までの仮定でたびたび浮かび上がってきた。読みと評価。忍耐と日和見主義、直感と分析、スタイルと客観性。次の段階に進むと、管理と展望、戦略と戦術、計画と反応がある。一方と他方を対立させるのではなく、私たちは両者のバランスをとって強調させなくてはいけない。 そうしたバランスを見つける唯一の堅実な方法は、快適な場所に立ち入らないよう、常に心がけることだ。負の不均衡と悪い習慣が育まれるのは、1つの分野に依存しすぎるときであり、それはその分野の順調さが理由となることが多い。 …… 今日では、専門家や1つの事柄に専念することが非常に重視されている。かつては学生は人間の幅を広げるために大学に行ったものだが、いまや大学は職業訓練の場に等しい。私たちは専門分野で腕を上げることに重点を置きすぎている。そのため、自分の専門をのばす一番の近道が、他の分野に強くなることにあっても気がつかない。 …… 日頃から新しいことに挑戦していれば、認識や感情面の筋肉が鍛えられ、あらゆる点で能力を発揮しやすくなる。…自分の仕事に打ち込むあまり、好奇心にあふれた人間であることをやめてはいけない。私たちの最大の強みは、パターン、方法、情報を吸収して合成する能力である。その能力をわざと抑えてまで焦点を絞りすぎることは、ばかげているだけではない。得られるものもほとんどないのである。 (P322-325) 全体を見る力を養うには、実践を積み、ある程度無心になることが求められる。ひとつの問題にとらわれた場合、真っ先に失われるのは、その問題を状況に照らしてみる能力だ。細部にのめりこむあまり、必要に応じて視点を変えられなくなってはいけない。… 実世界で大局的な思考をするには、さまざまな要素を相互のつながり方や、そのつながりの推移を含めてみることが必要になる。長期的な利益と引き換えに短期的な損失を受け入れられることがその思考を会得したしるしのひとつだ。(P342) データが限られ、時間が大きな要因となる分野では、直感が強力な要素となる。…私たちの本能は発達するにつれ労力と時間を節約する装置となり、的確な評価に要する時間を削り、行動するために必要な時間を短くするのだ。(P355) 問題を解決することは、先ず問題があるかどうか見極めることに比べれば簡単だといっていい。危機に直面することを幸運とはいいにくいが、行動が求められていると分かれば安心感がある。スキルと直感の真価が問われるのは、何もかも平穏に見えて、何をしたらいいのか、あるいは、そもそも何をすべきなのか判断がつかないときだ。(P358) 歴史の流れを作るのは運命ではなく、リスクのある決断を下して相次ぐ危機を切り抜ける現実の人間である。自然災害を別にすれば、前兆もなく起こるものなどない。均衡の崩れた局面では、最初に決定的な行動をする側が、結局、歴史書を書く側となる。(P376)
ラ・ロシュフコー
/ 岩波書店
(1989-12) /
903円
/ ISBN:9784003251010
幸運に耐えるには不運に耐える以上に大きないくつもの美徳が必要である。 人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。 人間の幸不幸は、運命に左右されるとともに、それに劣らずその人の気質に左右される。 真実は、見せかけの真実がながす害に見合うだけの益を、世の中にもたらさない。 正義を愛するとは、大部分の人にとって、不正を身に被るのが怖いということにほかならない。 世間の付き合いでは、われわれは長所よりも短所によって人の気に入られることが多い。 恋ほど自分自身への間が強く支配する情念はない。そして人は常に、自分の心の安らぎを失うくらいなら、恋する相手の心の安らぎを犠牲にしようと決めているのである。 若くても美しくなければ何にもならないし、美しくても若くなければ何にもならない。 少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。 私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行の元として誉められて良い場合もしばしばある。 欠点の中には、上手に生かせば美徳そのものよりもっと光ものがある。
川口 雅昭
/ 致知出版社
(2006-12) /
1,200円
/ ISBN:9784884747657
力を用ふること多きものは功を収むること遠く、その精誦する所はすなわち終身忘れざるなり。 (多くの努力を注ぎ込んだことは、すぐにその功績を手中にすることはないかもしれない。しかし、全精力を集中して学んだものは、生涯忘れないであろう) 永久の良図を捨てて目前の近效に従ふ、その害言ふに堪ふべからず。 (将来にわたり続く良い計画を捨てて、目の前の手短な効果を取る、その害は言葉で表すことができないほど大きい。) 体は私なり、心は公なり。私を役して公に殉ふ者を大人と為し、公を役して私に殉ふ者を小人と為す。 (体は個人的なものである。心は公共のものである。私を使って、公に従う人を立派な人という。公を使って、個人的なことに従事させる人を、賤しい心のつまらない人という) 人いやしくも勇なくんば、仁智並びに用をなさざるなり。 (人は真の勇気というものがなければ、慈しみ、思いやりの心や物事を理解し、是非・善悪を弁別する心を持っていたとしても、何の役にも立たない) 事を済すは誠にあり。 (物事をきちんとやり遂げることができるのは、まごころだけである) 断じて之を行へば、鬼神も之を避く。大事を断然と欲せば、先ず成敗を忘れよ。 (決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。) 若し能く侃々行々、人の信ずるところに負かずんば不幸一斃すとも、信ずる者益々多く、再起の日必ず能く事を済さん。 (もしも、よく剛直でくじけず、また、自分を信じてくれた人に背かなければ、不幸にも、ひとたび、うまくいかなかったとしても、自分を信じてくれる者はますます多くなり、再び立ち上がったときには、必ず思いを成し遂げることができる。)
森 信三
/ 致知出版社
(2001-06) /
2,415円
/ ISBN:9784884741723
死後にその名が残るということは、その人の精神が残るということです。では一体どういう人が死後にもその名が残るかといいますと、生前国のために尽くす心が深くて、死んでも死にきれないという思いに、その一生を送った人でしょう。すなわち、その人の国を思い世を思うその思いの深さが、名という形をかぶって、死後にまで生き延びるわけです。(P88) 人生の価値というものは、その意義を認めることの深さに応じて現れてくるものであります。したがって人間の生涯を通じて実現せられる価値は、その人が人生における自分の使命の意義を、いかほど深く自覚して生きるか否かに比例するともいえましょう。 かように考えてきますと、われわれ人間の価値は、その人がこの二度とない人生の意義をいかほどまで自覚するか、その自覚の深さに比例するといっても良いでしょう。(P91) 自己の特色というものは、しいて特色を出そうとして出るものではありません。否、自分の特色を出そうということが、あまりに意識的になりますと、かえって変な嫌味な物になりましょう。また故意に早くから、意識的に特色を作ろうとしますと、とかく大きな発展は遂げにくいものであります。(P189) この肉体が朽ちるとともに、同時にその人の存在の意味も消えるというのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は自由分に生きていなかったという、何よりの証拠といってよいでしょう。(P305) そもそも偉人というのは、自己の生命を最も深大に生きた人といってもよいでしょう。われわれのこの肉体的生命の長さは限りがありますが、しかし、これをどのように深く生きるかということについては、何らの制限もおかれていないわけです。もしそこに制限があるとしたら、それはあきらめというたがを、われとわが心にはめるからのことです。(P361) 人生を深く生きるということは、自分の悩みや苦しみの意味を深くかみしめることによって、かような苦しみは、必ずしも自分1人たけのものではなくて、多くの人々が、等しく悩み苦しみつつあるのだ、ということが分かるようになることではないかと思うのです。(P365) 我が身に降りかかってくる一切の出来事は、自分にとっては絶対必然であるとともに、また実に絶対最善である。(P446) 自分のなすべき当面の仕事をなおざりにしておいて、他の方面に力を注ぎますと、仮にそうして力を注いだ方面は、根本的な事柄であり、またその努力がいかに大きなものであっても、こういう人は、いつかは世間からその足場を失って、あたら才能を抱きながら、それを発揮する機会を得ないで、空しく朽ち果てるのが世の常です。(P463) もし、その日の予定がその日のうちに果たせなかったら、「自分の一生もまたかくの如し」と考えられるがよいでしょう。そこでまたわれわれは、死というものを、一生にただ一度だけのものと考えてはいけないと思うのです。それというのも実は死は小刻みに、日々刻々と、われわれに迫りつつあるからです。(P504) |
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