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頭がよくなる図化思考法 (SB新書)
齋藤 孝 / SBクリエイティブ (2010-04-15) / - 3 users
購入:  2017年06月28日 378円 所有
読了:  2017年07月17日 星4つ
SBクリエイティブ「ビジネスパーソンのためのスキル&モチベーションUPセール」

「図を描きながら考える」という、「図化思考法」を薦める本。
この本では、図化の具体的なテクニックではなく、図を描きながら能動的に考える「図化」の方法論を説いている。

図にする時の筆記具の使い方で大切なのは、「色」と「ぐるぐる巻き」です。  
まず、色です。  
赤は、絶対に外せない「これだ」という強調部分に使います。  
青は、強調部分によって派生する「これも」という従属関係部分に使います。
緑は、「これってこうだよね」という意見や、「じゃ、これは?」というアイデアを加える時に使います。赤と青を使うだけでは図がごちゃついてしまうような時にも、よく使います。  
ポイントは緑です。

この、「色」と「ぐるぐる巻き」の使い方を参考にしたい。

キーワード●ワザ化する●図解≠図化●受動的になると脳が活性化しなくなる●図は構造を示す●「色」と「ぐるぐる巻き」●「腑分け」と「符号」●カオスを整理していくうちに、判断が進む●プロセスを図化する●考えをA4 1枚に落とし込む。その際、左側に箇条書きで文章を書き、右側に簡単な図を入れる。●正しく筋を示す力=「デザイン力」●あらゆることを、AとBに枠組みを分ける習慣が必要

この本に書かれている、「あらゆることを、ざっくざっくとAとBに枠組みを分け、カオスを整理していく」やり方は、目に見えないことも見えるようにしてくれたり、あるいはものごとを繋げてくれたりしそうに思う。
よく、「つかみがいい」「頭の回転が速い」「むだがない」と言われる人がいます。そういう人は例外なく、次々と変化する表層に目を奪われず、奥にある本質や構造をがっちりつかむ人です。  
そういう「つかみ力」は、才能ではないのです。誰でも習得できる「技術」です。  
具体的に言えば、「図化の技術」です。 (P24)
「図化」は、できあがった図による「図解」とは違います。読み、聞き、話しながら図を描いていくことです。図にすることと考えることを同時に行ないます。手と頭を連携させることで、新しいアイデアを生み出すのです。表層の動きや言葉をそぎ落とし、本質や構造をずばりとつかむ行為でもあります。 (P27)
構造主義という忘れられかけた思想を本書で扱うのは、それが「図化思考」という素晴らしい方法論の基本になるからです。 (P34)
ここで大切なのは、三すくみの関係という構造です。「パーがグーに勝つのは、紙が石を包むから」とか「狐が庄屋に勝つのは狐が庄屋を化かすという意味」といったことは表層にすぎず、構造とは何の関係もありません。表層に目を奪われると、両者の違いが際だってしまいます。 「三すくみの関係」という構造だけに注目して下さい。違いは、グーの代わりに庄屋、チョキの代わりに猟師、パーの代わりに狐が登場するだけだということがわかります。  
つまり、両者は同じ構造を持つものであり、互いに交換が可能な一つの「変換群」なのです。  
このように、キャラクターや場所、やり方や呼称、ひいては時代や民族などの表層にとらわれることなく、共通する構造を取り出すことができれば、いろいろなものを深く、広く理解することができます。 (P122)
構造主義は表層にとらわれることなく、構造と変換のルールを取り出します。そこに、再び別の表層を当てはめるだけで、もう一つのクリエイティブな作品ができるのです。新しい発想ができるわけです。 (P145)
構造主義の発想は、そういう時代の趨勢とはまったく違います。目の前を流れて行く情報の川を漫然と見ず、流れをつくっている力をさかのぼって考えます。あるいは、個々の情報の根源に目を止めて、共通する構造を横断的に見抜こうとします。  
そういう見方は、思考を刺激し、変えていくものです。  
構造が見つかれば、それは簡単には古びません。何十年、何百年、時には何千年の単位で世界を眺めることができるようになります。 (P163)
構造主義は歴史的なことから現代的な教訓を引き出すためにも使えるワザなのです。 (P173)
時空が隔たったことがらを二つ並べて、共通する構造を見つけようとすると、思考力は相当鍛えられます。 (P177)
偉大な思想家や文学者、哲学者たちの思考や方法を、自分の知的生産の技術にできるところまで血肉化することを、私は「ワザ化する」と呼んでいます。  
構造主義のワザ化の代表が「図化」です。ほかにもありますが、最も理解しやすく、使いやすいのが図です。 (P223)
しかし、図解は「図にする」こととは似て非なるものです。図解は、すでにできあがったものを人に見せる時の「説明法」にすぎません。私たちに必要なのは、「思考法」としての図です。  
思考において図を活用することを、私は「図にする」「図化する」あるいは「図化思考」と呼んでいます。図解が結果であるのに対して、図にするのは、そこに至るプロセスです。知的生産の一番重要な部分です。 (P228)
図化のよさは、スペース(空白)にあります。図を描きながら考えると、次のアイデアや言葉が、そこに出てきやすくなるのです。空白が次の思考を要求するわけです。  私たちの思考は、連想ゲームのようになっています。発想が三つ、四つと出ると、その組み合わせの中から、五つ目、六つ目が出るというように、つながって出てくるのが普通です。図にする作業は、そういう思考の流れを紙の上に再現するということです。いわば、頭の中で脳が行なっている作業を、そのまま目に見えるようにする作業だと言うことができます。 (P232)
「つなぐ」という作業には、二つあります。一つは、近いものをどんどんつないでいく作業。もう一つは、離れているものを工夫してつなぐ作業です。 (P237)
そういう時に図化すると、「この細い道だったら、AとBはつながるのではないか」というイメージを共有できるのです。言葉で話すだけでなく、「Aの意見の人と、Bの意見の人がいます。そして、今はそれをつなぐことができません。何とかここ (P245)
線を一本引くだけで対立から両立に進める (P253)
図化思考で一番いい点が、この「前向きな構え」になることです。  
頭と心と体が一つになって、ある方向に向かうことを私は「構え」と言っています。その構えが、図を描くことによって前向きに定まるのです。 (P256)
ここで気をつけなければいけないのが、プレゼンテーションの場合です。  
プレゼンテーションにおける図は「図解」です。もう固まっている自分の考えを理解してもらおう、評価してもらおう、あるいは押し込んでしまおうという意図による図ですので、そこから何かが生まれるということは起きません。  
そのため、話が一方通行になってしまいます。聴衆も、「これは一方通行の流れになるな」と瞬間的に感じてしまいます。 (P263)
受動的になると急に脳が活性化しなくなるということが、いくつかの実験でわかっています。実際、教壇でも、「先生は、すでに用意してあることを話すだけだ」と感じたら、生徒は急に静かになってしまいます。そして、寝てしまいます。  
それは私たちもたびたび経験することです。講演や式のあいさつなどで、話し手が用意してきた原稿をバサッと出した瞬間に、聞き手のテンションは急速に下がっていきます。脳の血流がスーッと弱まり、聞く力が抜けていくようなイメージです。 (P267)
現象学と構造主義の橋渡しをしたと言われるフランスの哲学者メルロ・ポンティは、言葉を「語る言葉」と「語られた言葉」に区別しました。
「語る言葉」とは聞き慣れない日本語ですが、要するに「今、目の前でクリエイティブに生まれている言葉」ということです。「生きた言葉」と言ってもいいでしょう。「語られた言葉」は、あらかじめ考えられた言葉です。つまり「少し前に死んでしまった言葉」だといえます。  
そうした区別を、私たちは新鮮な食物と古い食物を本能的に嗅ぎ分けるように、一瞬で感知してしまいます。目の前の話し手が、もうクリエイティブな思考のプロセスにはいないのだ、言葉は結果にすぎないのだと感じると、「もう自分の参画は期待されていないな」と思い、積極的な構えを解いてしまうわけです。 (P277)
精神病理学者の木村敏氏(京都大学名誉教授)は、意味が生まれる場所を「あいだ」と表現しました。自己と世界のあいだ、自己と他者のあいだ、自己と自己のあいだにおける相互作用の中で意味が生まれるという考え方です。 (P285)
あまり用意しすぎると、この「あいだ」が機能しなくなります。実際、重要な話し合いでも「あいだ」を残すことは、かつて日本人にとって、ごく自然なことでした。 (P289)
片方は江戸城を攻撃して幕府の息の根を止めてしまいたいと考え、片方は無血開城することで助かろうと考えている対立状態です。そういう中で「自分たちはこうするんだ」と決めつけた者同士が会ったら、いくら議論をしても決裂するしかありません。  
ところが、「お任せしましょう」ということになれば、最後の詰めはペンディング(保留)にされ、互いに柔軟に動く余地が生まれます。そこに、会って話をする本当の意味があるのです。 (P295)
そこでは、勝と西郷の会談のようなダイナミズムはありません。プロセスも、もう存在しません。「語られた言葉」が交わされるだけで、新たな何かが生まれることもありません。  
人間同士の「あいだ」で一番緊張感があるのは、理解する時より意思決定する時です。意思決定のためにお互いが参画している自覚がある時なのです。 (P301)
なぜなら、図は構造を示すからです。そこが文章とまったく違うところです。 (P316)
あらゆる文章を図にしてみましょう。それを習慣化して下さい。 (P324)
わかりやすく言えば、教科書を読むのは、プレゼンテーションを聞くのと同じ「理解」です。工夫しても、自分でプレゼンテーションをする「説明」止まりでしょう。しかし、図にするのは、「思考」なのです。 (P332)
図は、頭脳の大きな武器になります。実際、図にしている時のものの見方は、文章を書いている時と違うことを、誰もが体験的に知っていると思います。そこには「大局的に見よう」「整理しよう」という意思が存在します。  
構造をとらえる思考が芽生えているのです。 (P334)
固定化した図を示される時の人間の頭は、話を聞いている時より停滞します。なぜなら、人の思考や意識そのものが固定したものではなく、一種の流れだからです。 「人間の意識の本質は流れである」というのは、アメリカの心理学者で哲学者でもあるウィリアム・ジェームズが強調したことでもあります。意識は静的な部分の配列ではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものなのです。 「語る言葉」の場合は「次に何が出てくるかわからない」という緊張感があります。また、言葉自体が流れるものであり、意識の流れに、それなりに沿っています。だから話を聞くと、自分の思考も話し手の速度で一緒に流れていきます。  
ところが図解は、「これで一応、全部説明してあります」という全体像的な形で出されるので、意識が安心して止まってしまい、受動的な構えになり、止まって流れなくなってしまいます。 (P340)
構造をとらえる思考力をつけるには、受動的に図を見るのではなく、自分で図にする力を磨くことです。 (P356)
拙著『頭がよくなる思考法』(ソフトバンク新書)で取り上げた弁証法においては、対話が思考の武器となります。テーゼ(主題)に対して、必ずアンチテーゼ(別案)を出し、もうワンステージ上の思考に到達する弁証法も、単に対話するだけでなく、図にしながら対話することで、ずっと効果的に実践できます。また、知的生産性も格段に高められるようになります。 (P376)
図にする時の筆記具の使い方で大切なのは、「色」と「ぐるぐる巻き」です。  
まず、色です。  
赤は、絶対に外せない「これだ」という強調部分に使います。  
青は、強調部分によって派生する「これも」という従属関係部分に使います。
緑は、「これってこうだよね」という意見や、「じゃ、これは?」というアイデアを加える時に使います。赤と青を使うだけでは図がごちゃついてしまうような時にも、よく使います。  
ポイントは緑です。意見やアイデアのほかに、自分が面白いと思う要素やエピソードも緑で加えていくと、図に動きが出てきます。教科書を図化するような場合は、赤と青でだいたい整理できてしまい、緑が少ないので面白くありません。 (P383)
「これは大事だぞ」とか「これが優先順位の一番目」といった個所を、線でぐるぐる巻きにします。そういう個所には、話が何度も戻っていくものです。戻るたびにぐるぐる巻きにします。だんだん、そこが大黒柱的のように際立ってきます。その柱を中心に頭が整理されてきます。十周も二十周もぐるぐる巻くと、完全に頭に定着します。 (P396)
考えることの重要な作業に、「腑分け」と「符合」があります。  
腑分けとは「同じことのように話しているけど、実は違っているんじゃないか」と、同じに見えることがらの相違点を見つけることです。符合とは「違うことのように話しているけど、結局は同じじゃないか」と、違って見えることがらの共通点を見つけることを言います。 (P407)
そういうずれをなくし、論点を一致させて問題を整理することが大事です。整理されれば、あとは「ではどちらにしようか」という意思決定が残るだけになります。意思決定は、自分の責任のもとにどちらかを選び取るという決断です。人としてのセンスや経験値が試される、思考の最終段階です。  
ここに全力を注ぐべきなのに、多くの場合、それ以前の段階で混乱し、議論全体が弱くなっています。混乱状態のまま進むのではなく、整理できるところは徹底的に整理していくことです。それが議論を強くします。 (P414)
つまり、いろいろな条件がからみ合っているカオス(混沌)は、決して悪い状況ではないのです。カオスを整理していくうちに、判断が進むからです。整理と判断はからみ合っているのです。 (P422)
ある著名な経営者が決断のコツを「よく考えることだ。そうするとどちらにすればいいかが少しずつ見えてくる」と話していました。これは単純に時間をかけるということではなく、「問題を整理する過程で決断が見えてくる」という意味だと思います。 (P424)
判断をせずに整理だけすることは、むしろ困難です。整理されたものだけを見て意思決定することも、やはり困難です。整理しながら判断し、最終決断に至るのが普通であり、最も平易な方法なのです。 (P427)
多くの人は、「A4一枚にまとめなさい」と言われると、プロセスを図化する作業をせず、いきなり説明図をつくろうとします。しかし、思考はプロセスを重視してこそ、いい結論が導けるのです。  
図や文章に書かず、一人で頭の中で考えたり、二人で話すだけというのもプロセスの一つには違いありません。ただ、これでは問題を構造化してとらえにくいのです。話し言葉は、今しゃべっている言葉が宙に存在するだけで、なかなか蓄積しません。少し前の言葉は、「今」という画面から次々と消えてしまいますから、議論は進んでいるように見えても、実は曖昧なのです (P461)
図にしていくプロセスが、やはりベストなのです。図化する作業は、時間を蓄積していく工夫とも言えます。手間は少しかかるように見えますが、図にしながら考えるというプロセスを経てから文章をつくる習慣をつけましょう。問題や論点のすっきりした「A4一枚」を書くことができるようになります (P468)
考えをA4 1枚に落とし込む。その際、左側に箇条書きで文章を書き、右側に簡単な図を入れる。 (P471)
引用コメント 左側の文章と右側の図で、より見やすくなる
さらに、図を描きながら対話をする「マッピング・コミュニケーション」をすると、問題や論点が、よりはっきりしてきます。 「マッピング」というのは私の造語で、思考のプロセスを地図(マップ)でも描くように紙の上に定着させていく技術です。マッピング・コミュニケーションとは、このマッピングをやりながらアイデアを出していく対話方法です。  
B4用紙(A4だとやや小さいと思います)を自分と相手の間に、互いに見えるように置き、会話の内容をメモしていきます。書くのは文章ではなく、キーワードで十分です。これだけで、自分の考えがはっきりしてきます (P474)
自分の中で何が曖昧だったかがわかり、曖昧さ回避の道筋が見えてきて、問題の真因(表面的な原因のさらに奧にある真の原因)が見えてきます。そうなれば、対策を明確にすることができます。  
紙に書くことで問題を腑分けし、問題の本質と答えに迫るわけです (P481)
レトリックは言葉の魅力の一つですから、うまく使えば人間的な魅力にもつながります。レトリックは、演説などで人を惹きつけ、やる気を引き出し、気持ちを一つにする時にも力を発揮します。  
しかし、論理の正しさや構造の明確化は、そういうレトリックとはまったく無関係ではないでしょうか。  
筋をくっきりさせられるのが図のよさです。図にはレトリックはありませんから、ごまかしがききません (P507)
正しく筋を示す力を、私は「デザイン力」と呼んでいます (P512)
実際、ナポレオンは「戦闘は数学だ」と言っていました。図を描いて、「こうやって、こうやるんだ」と示して人を動かしました。戦闘を俯瞰し、構造をとらえる力がすぐれていたから、人々を指導することができたわけです。  こうした力が、デザインする力です。  
私の言う「デザインする力」とは、単に形をよくするという意味ではなく、グランドデザインとか設計図を描く力です (P515)
床にフローリングを施し、壁に壁紙を貼り、カーテンを吊るし、テーブルやソファを置いた状態がレトリックだとすれば、間取り図はレトリックなしの骨の部分だけを示した状態です。  
間取り図を描くように、議論も俯瞰して図化することが大切です。  
一切のレトリックなしで、身も蓋もないデザインだけを見せるとします。すると、「誰が言ったのか」「どんなふうに語られたのか」といった表層が取り払われ、核心となる構造だけが骨のように現われることになります。この骨格を正しく描き出すのが議論の目的なのです。  
組織で言えば、リーダーに不可欠なのが骨格を正しく選ぶ力です (P522)
「肉」に引きずられて議論や思考が散漫になってしまうのを避けるために、身も蓋もない骨格(図)を常につくることが効果的なのです。図をつくる過程で、議論や思考が明確化していくからです (P539)
むしろ、何を読んでも、ほとんど反射的に図を描いてしまうように習慣づけることのほうが大切です。そうなると、珠算の達人が、実際に算盤がなくても頭の中で珠をはじけるように、人の言葉を自分の頭の中で図にすることができるようになります。実際に図を描く、描かないにかかわらず、何でも図としてとらえ、概念の混乱を避けることができるようになるのです (P547)
図によって思考を整理する時、対比していくやり方が便利です。たとえば全ページの真ん中に線が引いてあって、左がA、右がBと分かれたノートがあったとして、そこにすべてを書き込んでいくようなイメージです。  
たとえばAに「日本国憲法」を書き、Bに「大日本帝国憲法」を書くと、違いが明らかになります。次に、日本国憲法についても、Aに「国民の権利」を書き、Bに「国民の義務」を書くというように、違いを明確にしていきます。  
こうすると、きちんと説明できる材料が増えていくことになります。これが「わかっている」ことです。違いをはっきり言うことができれば、それは「わかっている」ということなのです。  
細かい問題は細かい問題なりにA、Bが立ち、大きい問題は大きい問題なりにA、Bが立ちます。このようにしていくと、全体図にA、Bを書き込むことができます。細かな相違点と、全体の相違点をはっきりさせるという二つができれば、思考はがっしりとしてきます。  
AとBに分けて考えていたものが、実は「=」でつながることもあります (P554)
私たちのまわりには、分けて考えていたが、実はイコールで結ばれるものがたくさん存在するはずです。「今まで違うもの、遠いものと考えていたけれども、ここが共通点で結ばれる」といった思考もあるわけです。思考は結局「似ているものを分けていく」ことと「違うものをつなげていく」という二つの作業。そう考えると、頭がとてもすっきりします (P575)
著書『不動心』(新潮新書)の中で、松井選手は「コントロールできないものに気を病むのではなく、(コントロール)できることを精一杯やろう」と語っているのです (P584)
私たちはつい、コントロールできないもの(過去や不況など)に責任を転嫁して、コントロールできるもの(未来や努力)までおざなりにしてしまいます。  そういう「思考」は案外管理しにくいものですから、まずは「行動」を管理しましょう。メモを取るとか、図にするといった行動を習慣にすることで、思考も自然と変わっていきます。「分ける」「くっつける」ことを習慣化するためにも、図化することは、とてもよい方法です (P597)
今の時代のメンタリティの強さは、私は基本的に、理解力の強弱に比例すると思っています。  
かつての武士のように剣術の修行をして、身体面から精神の根幹を鍛えていく時間や習慣は、現代にはありません。私たちはそういう文化を失なっています。その半面で、私たちが有利なのは、「ものごとを構造化する」という武器があることです。  
闇を放置すると、とても不安です。かつての日本人は、精神を鍛えることで、その不安に立ち向かいました。現代の私たちは、構造化という理解力の光を当てて闇そのものをなくすことで、安心を得ようとするわけです (P604)
さて、構造化のワザとして図を描く時、手が非常に運動性を帯びてきます。  
ただ聞いているだけだと、運動性はもちろんありません。理解するためにメモを取る時、運動性が始まります。ただ文字を書くだけでも、手はかなりアクティブになりますが、図にしながらメモを取れば、運動性は飛躍的に高まります。文字よりも図のほうが手の移動距離が長いからです。  
手が図を描くという運動をしていると、頭も理解という「狩り」に、積極的に出かけていきます。  
文字のメモを取っているだけだと、話し手の下僕とまではいかずとも、忠実な秘書にでもなった受け身の気分になります。しかし、図にしながら聞いている時は、むしろ自分が積極的に攻めている感じになります (P610)
精神は、太陽のようなものです。どんなに輝いていても、ちょっとした雲によって曇らされてしまいます。雲が完全にかかってしまうと、二度と晴れの日は来ないような気にさえなるでしょう。精神のエネルギーと、抱えている問題とは別なのに、問題が雲のように精神をさえぎってしまうと、精神のエネルギーが失なわれたかのような錯覚を起こすのです。それがプチうつの正体です。  
プチうつをなくすには、かかった雲を一つひとつどけていく作業が必要となります。それが「理解」です。理解するために区分け図、構造図を描くと、気持ちがスーッと晴れてゆきます。気持ちが晴れると、状況への対応が変わってきます。同じ状況であっても、「ああ、もうダメだ」と悲観するのと、「そこまで気にする問題じゃない」と楽観するのでは、対応力はまったく違って当然です (P640)
正面で向かい合っても図を見せることはできますが、席順は意外と重要で、上座と下座が意識されてしまうと、緊張が生まれてしまいます。相談に乗る場合、どちらが上位でどちらが下位ということはもちろんありません。それだけに、向かい合うより、直角か横並びのほうが、お互い楽に話をすることができます。コミュニケーションはできるだけリラックスした状態で行なうのがベストです (P658)
図は、相手に見えやすいように描くのがポイントです。どうしても自分が見えやすいように描いてしまいますが、相手を意識して下さい。そうすることで、図がさらに共有化できます。  
相談で大事なのは、相手があらかじめ用意した言葉ではない本音を、インタビュアーのように引き出していくことです。そのためにも、相手に見えやすく図にします。話の繰り返しが確実に減り、その分、深みのある話ができます。普段は話さない問題まで話せるようになるのです。  
聞き手は、途中で「実は私も」と自分のことを話したくなります。その誘惑に負けてはいけません。相談をする側と聞き手が入れ替わってしまうからです。それでは、せっかく図にしながら理解をしようとしている効果が薄れてしまいます (P662)
図はシンプルでいいのです。紙の真ん中に線を引いて、AとBに分ける、それだけで大丈夫です。  
たとえば、Aは過去のできごと、Bは現在と未来のことにしてもいいでしょう。Aは自分で解決できること、Bは自分では解決できないことに分けるのも効果的です。そのように腑分けしたら、矢印を引いたりしてカオス状態を脱するのです (P681)
たとえば後者の場合、「上司に嫌なことを言われてうんざりだ」という気分的な問題をAとし、「これだけ働いてこの給料はやる気をなくすよ」という構造的な問題をBとして分けることができました。こうして問題を整理したうえで、不満の順位づけをしてもらったのです。  
すると、給料などの構造的な問題Bについては、一般に「わかっていて入社したのだから、まあ、しょうがないでしょう」となります。構造的な問題の多くは、自分の力だけではどうにもなりませんから、仕事をがんばって出世するか、条件のいい会社に転職するしか解決法はないからです。  
上司などの気分的な問題Aについては、「じゃあ、上司が嫌で会社を辞めますか」となると、「それだけで辞めるのもなあ」となり、「大声でカラオケでも歌って気晴らしをするか」くらいのことで解決することがよくあります (P686)
「辞める」と即断する前に、悩みや問題を図にして、「分ける」「つなぐ」ことが大切です。こうした冷静な理解と判断が図の上でなされれば、もう少し精神的にタフになることができます (P696)
いきなり責任を負わされると、プチうつになってしまいますが、話を聞いて図にするだけなら、責任を負うことなく精神を鍛えることができます。  
精神をタフにすることは、将来への備えであると同時に、フェア(公正)なものの見方、心の習慣を養ううえでも、非常に大きな土台になります。  
フェアであることは、リーダーに必須の資質だと私は思っています。実際に、いろんな会社のトップたちに聞いても、多くの人が「誰に対しても公正であることです」と言っています (P707)
フェアであることは、「全体が見える人だ」と言い換えられると思います。自分や自部署だけからの狭い見方ではなく、全体の視点で広く見て、ほかのものとの関係を視野に入れて見ているということです。「ものごとを動かしている根源的な力を見ている」とか、「広いスパンで見ている」「遠くを見ている」などとも言えます。  
そういう人は、普通の人に比べると、構造主義的な考え方に近い思考のワザがあるということです。  
フェアで広い見方ができることは、人間として大切な武器です。そうした姿勢を貫くことができれば、仕事の成果も上げられますし、人間的にも愛され、頼られるようになるでしょう (P716)
図には短い文章も添えることが多いものです。文章と文章を「これとこれがつながる」と矢印で結べば、それも図になります。そのうえで「こことここを分ける」「こことここはつながる」と、「分ける」「つながる」をしていけば、文章のよさと図のよさが相まった上質のメモができます。  
ムリに図だけでメモしようとすると不自然になります (P728)
文章と図が混在するようにメモを取ると、理解も進むし、ほかの人にも説明ができます。記憶を定着させるにはアウトプットが効果的ですから、そのように人に説明すると、聞いた話が完全に定着します。  
図だけのメモだと、細部を説明する言葉を忘れることがよくあるのです。図には空白が多いので、その空白を埋める言葉が書いてあると、理解しやすくなります (P735)
NHKのテレビ番組『ためしてガッテン』で、それを証明するような特集を見たことがあります。それによると、脳前方の内側深部の前部帯状回(ACC)と呼ばれる場所に、何かを覚える時「どれが大事な情報か」を選択し、後で思い出しやすくする働きがあるそうです。この働きが落ちてくると、忘れっぽくなると考えられています。たとえば料理をしている最中に電話に出ると、火にかけた鍋のことをすっかり忘れてしまうといった現象が起きたりするのです。  
つまり、物忘れは「情報自体は頭に入っているけれども、それをうまく引き出せない、思い出せない」ということなのです。ですから、物忘れを防ぐには、ACCが活性化することを行なうといいわけです。それは、何かを覚えるときに、言葉だけではなく、映像をイメージしながら覚えることです。それだけでACCの働きが活発になり、物忘れが格段に減るとのことでした。 (P767)
つまり、物忘れは「情報自体は頭に入っているけれども、それをうまく引き出せない、思い出せない」ということなのです。ですから、物忘れを防ぐには、ACCが活性化することを行なうといいわけです。それは、何かを覚えるときに、言葉だけではなく、映像をイメージしながら覚えることです。それだけでACCの働きが活発になり、物忘れが格段に減るとのことでした。 (P772)
映像をイメージするというのは、たとえば次のようなことです。  
買い物に行く前に、「ニンジンを買おう」と言葉で覚えるのではなく、行きつけのスーパーの野菜売り場でニンジンを買っている自分の姿をイメージします。あるいは、朝起きた時に、一日の予定を言葉で立てるだけではなく、それを実際にやっている自分の姿をイメージするのです。  
つまり、あらかじめ頭の中でシミュレーションするということです。 (P775)
これは誰かに説明をする時にもかなり使えるやり方です。説明する前に、頭の中で図や絵にして説明している様子をイメージします。そのうえで、自分の中にできている図や絵を相手に説明していけば、話が混乱しにくいし、スムーズに話を引き出すことができるのではないでしょうか。 (P779)
イメージが理解や記憶にとって非常に重要だということは、普段から人の話を聞いている時に、そのイメージを描くのが効果的だということです。簡単な絵でも、簡単な構造図でもいいのです。相手が話していることを常にイメージ図にする習慣をつけることによって、理解度と定着度は格段に高まっていきます。 (P782)
図化作業に慣れると、ほかの人に図を用いて発信することに習熟してきます。「図にしながら」発信することがポイントです。その場で描くことは、わかっていることとわかっていないことを区別し、「わかっていなければどうするか」を考えていく作業でもあるからです。 (P788)
図にしながら発信する人は、その点、安心です。ライブで発信しているからです。突っ込まれてくることは想定内です。自分がしっかり理解できている範囲を示し、理解できていないことは「今まで考えていませんでした」と言えばいいのです。  
それは、受け流すことではありません。「ここは今、空白です」ということを明確化することは、ともに考えるスタートです。 (P793)
それは、受け流すことではありません。「ここは今、空白です」ということを明確化することは、ともに考えるスタートです。
「ここは今まで考えていません」と空白をはっきり示すのは、なかなか難しく、高度なことです。しかし、古代ギリシアの哲学者プラトンが「無知の知」から出発したように、空白がわかれば「やるべきことは何か」が見えてくるのです。  
これは考えを共有する形のプレゼンテーションだと言えます。 (P796)
「ここは今まで考えていません」と空白をはっきり示すのは、なかなか難しく、高度なことです。しかし、古代ギリシアの哲学者プラトンが「無知の知」から出発したように、空白がわかれば「やるべきことは何か」が見えてくるのです。 (P797)
私は、プレゼンテーションを、パワーポイント・プレゼンテーションと、ホワイトボード・プレゼンテーションの二つに分けることがあります。 「パワポ・プレゼン」は、すでに自分の中に固まっているものを説明し、理解、納得してもらう一般的なプレゼンテーションです。 「ボード・プレゼン」は、思考のプロセスを共有しながら、ともに創造していくプレゼンテーションです。これが「図にしながら」発信するプレゼンテーションであり、ディスカッションに近い形だと言えます。 (P800)
プレゼンテーションが「ボード・プレゼン」「パワポ・プレゼン」に分かれるのと同じようなことは、あらゆる分野に当てはまります。  
本を読むのは受動的な行為とされますが、分けて考えれば、そこにも能動的な読書と受動的な読書があります。話を聞く場合も、能動的な「アクティブ・リスニング」と、受動的な「パッシブ・リスニング」が存在します。 (P812)
これは、図の基本でもあるのです。図は、二つの似ているものをAとBに腑分けすることから始まります。「これとあれは種類が違いますよ」と分け、ホワイトボードや紙の上に線を引いて、その左右に、「これがAで、あれはB」と書き込むだけで、立派な図ができます。  
線を真ん中に引いて、AとBに分けたシートが一枚あれば、すべての思考を図にしていくことができます。理科系に比べて図にしにくいと思われがちな文科系も、時間的な経緯や因果関係などを一枚のシートに落とし込んでいけばいいのです。 (P815)
たとえば日本史なら、「鎌倉幕府と江戸幕府の違い」でもいいですし、「摂関政治と院政の違い」でもいいのです。似て非なるものを「ここは違う、でもここは共通する」と書き込んでいきます。さらに「では、次はどう展開するのか」という時間的な経緯なども書き込んでいけば、図ができていきます。 (P820)
似て非なるものを「ここは違う、でもここは共通する」と書き込んでいきます。さらに「では、次はどう展開するのか」という時間的な経緯なども書き込んでいけば、図ができていきます。 (P821)
あらゆることを、AとBに枠組みを分ける習慣が必要です。 (P826)
分ける枠組みをワザ化してしまうと、言葉がすべてAとBに分かれて聞こえ始めます。概念が混乱することなく、スッと思考に入れるようになるのです。 (P828)
言葉は多くの概念が雑多に入る袋ですから、問題を考える時、まずは一本の線を引いて、AとBに分かれた図にすることが有効なのです。 (P831)
二分化から始まり、Yes/Noシートに至る (P836)
そうすると、「AとBのうちAを取ろう」となった時、AがA1とB1に分かれることが多々あります。次に、「ではA1を取ろう」となったら、今度はA1がA2とB2に分かれます。  
それを繰り返すうちに思考は明確になり、行動がはっきりしてきます。この作業が完全に整理されると、「イエス・ノー・シート」のような全体図になります。こうなると俯瞰もできますし、全体の流れが一目瞭然で理解できます。 (P843)
一本の線を引くところから図にする作業は始まり、分けて考えることで問題をはっきりさせられます。  
この時に大切なのは「わからないことは何か」というブランクを示すことです。図で空欄で示すことができれば、そこを埋めるのは比較的、簡単なことなのです。 (P849)
この「見える化」も、要は、何が問題なのかがみんなに見えれば、みんなが知恵を出しやすくなるということなのです。問題が隠されて誰にも見えなければ、誰も知恵の出しようがありません。  
人は、とかく問題や悪い情報、自分の知らないことがらを隠したがるものなので、それを戒めるためにも「見える化」が言われるのです。  
図にする場合も、「ここがわかりません」をブランクとして見える化します。そうすれば、誰かがそこを埋めるアイデアを出します。 (P852)
じゃあ、これでいきましょう」とさし示しながら意思確認と機運の盛り上げをするのがベストです。  
さし示さず、言葉だけでは、どうしても盛り上がりに欠けてしまいます。なぜなら、数分前に言った言葉を「これだ!」とさし示すことはできないからです。何とか口で繰り返すことができても、ホワイトボードを手で叩いて、「ここなんですよね」と言う強さには及びません。  
ホワイトボードの図のある部分を、マジックペンでぐるぐる巻きにして、「これでいいですね」とさし示すのは、いわば言葉を「もの化」することです。それは、思考を一つにする強さがあります。 (P898)
サッカーの中村俊輔選手の『夢をかなえるサッカーノート』(文藝春秋)という本が、「十六歳の時から十五年にわたってつけているノートを初公開」だと話題になったことがあります。これも図を描いて、自分がこう行ったら相手がこう動くということを描いて、自分で戦術デザインを考える力を養うこととつながっています。  
その図は、俯瞰的でなければいけません。平面的な図では、単なる「絵」になってしまいます。デザインをつかむ時の図は、サッカーで言うと、ピッチを上から見下ろした形になるものです。それは、いわば神の視点です。人間が本来は持ち得ない視点なのですが、図を描くことで当たり前のように持つことができます。 (P946)
第1章でも少しふれた弁証法は、中心になるテーゼ(主題)があり、それに反対するアンチテーゼ(反定立)があって、それをもう一つ高次のものにまとめあげていくアウフヘーベン(止揚)という思考方法です。つまり、AとBという二分化で止まってしまうのではなく、高い次元で矛盾を解決しようとします。  
弁証法は通常、対話によって進められますが、線を引いてA、Bに分けたノートをつくり、「今回のテーマはこの違って見えるものの真ん中をつなぐことだ」と相手に見せれば、弁証法をワザ化していなくとも、弁証法的に考えることができます。 (P1023)
A、Bというのは、単に分けるとか、比較するだけでなく、「共通のものは何なのか」の発見にも使えます。矢印を使って時間的な経緯も示せます。「最初はこっちからこっちだけど、またやがてこっちに来て」と、線をまたぎ越して運動性を見える化することも可能です。  その図をはさんで議論を進めていくと、「Bの中で一緒にしているから悪いんで、B1とB2に分けたらいい」とか、「A1とB1は違っているように見えるけど、こうすればイコールで結べるんじゃないか」といった意見が出やすくなってきます。 (P1028)
真理の前にはみんなが平等であるべきです。言い方の問題と、意思決定の問題は別物です。にもかかわらず、たとえば学部内で権力を持っている人と、そうでない人が言い争った時は、空気が違います。真理とは無関係な力学で動くことになります。建設的な議論をするためには、そうした権力関係の力学を排除することが大切です。図を前にした議論は、そうした権力関係を脱することができます。 (P1038)
構造を考えてわかりにくくなった場合、私は「スタイル」という考え方も便利だと思っています。構造をゆるくとらえてスタイルと考えれば、言葉の固さから逃れることができます。  スタイルは、一貫した変形の仕方でもあります。ですから、「だんだんスタイルができてきたね」「何か全体に変わってきたね」と言えばいいのです。互いに直感的に「そうだ」と受け取ることができます。「構造ができてきたね」「何か構造が変わってきたね」とは言葉として使わないので、「スタイル」と言い換えるのは便利です。 (P1045)
つまり、私たちの中には日本人としての立ち居振る舞いの一貫した変換が文化として体に染み込んでいるのです。  
私は、それがスタイルだと思います。そして、それは構造とつながっています。 (P1059)
これは習慣とつながっています。要するに、日々の積み重ねがその人のスタイルになるわけです。  
もう少し言えば、スタイルは個人のものではなく、ある種の流派のようなものです。日本人という流派があって、その流派で習ったということです。日本という流派の言葉癖、動きの癖が出るということです。  
武道でも流派が違うと基本技が違い、動きが違います。スタイルも国や時代で違いがあり、同じスタイル間のコミュニケーションより、違うスタイル同士のコミュニケーションのほうが面白いと感じるのです。 (P1073)
ある人がトヨタとホンダの違いを聞かれ、「トヨタマンは何が問題かを語り、ホンダマンは夢を語ろうとする」と評していました。それも組織のスタイルが身についていくということです。 (P1081)
私たちは、スタイルの違いを楽しむことができるのです。  
勝負ですから勝つことが大事なのですが、スタイルとスタイルの間のコミュニケーションを楽しむ面があるのです。 (P1091)
たとえばルノワールの絵が何十枚も並んでいる展覧会に行くと、ルノワールは何を描いてもルノワールになってしまうことがわかります。彼が描くと、すべてが息づいた命あるものに見えてくるのです。  
代表作の一つ『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』も、見ているだけで幸せな気分になれる絵です。みんなが食事をしているパーティのような風景ですが、描かれている人物も、グラスも、椅子も、すべてのものの息づかいが聞こえるようです。この世に生きていることが楽しくなってきます。  
でも、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが人物や風景を描くと、「この世ってどうなの?」という絵になります。また、抽象絵画の創始者と言われるロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキーや、スイス出身の画家パウル・クレーらの手にかかると、世の中はシンプルな線と色に落とされていきます。 (P1121)
こうした画家特有の世界が出てくるのは、いわば「ルノワール変換」とか「ムンク変換」というスタイルによる変形だと思うのです。  
絵を見る楽しみは、こうした変換を楽しむことでもあります。 (P1128)
練習でサッと描いたものでも、「これはルノワールだ」とわかるのです。絵のどこを切り取ってもその画家の作品だとすぐにわかるのが、本物の画家のすごさです。何を描いてもルノワールになる一貫した変換を、私は「スタイルを持つ」と呼びます。 (P1133)
写真以上、実物以上に大事なものを伝えられるのは、ゴッホは世界を変換し、凝縮した形で見せてくれる構造を持っているからだと言えます。  
ゴッホ自身、自分の生涯をかけて自分を構造化していったのでしょう。 (P1151)
画家とは、そういう一つの完全に変換する目となり、世界を自分流に変換するスタイルを持ち、それを表現しきる手とならなければ、まだ本物ではないと思います。 (P1159)
構造主義の源流の一つとなったソシュールの言語学によると、言葉は、シニフィアン(記号表現。猫ならnekoという記号を成り立たせる音のイメージ)と、シニフィエ(記号内容。猫という記号が言わんとする内容)とが結びついた記号です。そして、猫という実体は必ずしも重要ではなく、すべては記号だとされます。 (P1172)
「記号学」とは、簡略化して言うと、すべてを実体から切り離して、記号と記号の差異を見ていこうという学問です。そこに何かしらのパターンを見ていこうとします。  
広告業界で言えば、バッグについたシャネルのマークが記号です。それがつくだけで、値段は格段に高くなります。まったく同じ素材、同じ技術でつくっても、シャネルのマークの有無で価値が段違いになるのです。  
これを展開して考えると、多くの場面で、私たちは記号を買っていることになります。実体はまったく同じでも、ブランドをつけていい場合と、つけてはいけない場合があり、つけた場合には高い値段になり、私たちはそれを買うのです。実体や機能をではなく、記号を買っているのと同じことです。 (P1178)
本来は、実体につけられた名前とか意味を切り離して見る必要があります。また、一つのものだけを見ていてもわからないのです。一つのものを見るのなら、二つ、三つ見ないと、価値とか意味はわからないのです。  
ですから、「もうこれしかない」と視野が狭くなっている人は、構造主義を学習するといいのです。「それは記号にすぎないから、ほかのものとの関係性の中で全体を見てごらん」「なるほど、こういうふうになっているのか」とわかるはずです。 (P1218)
文化人類学者の川喜多二郎氏が考案された「KJ法」もそうです。カードにキーワードを思いつくままに書き出すと、最初は雑多でバラバラに見えたものも、「これとこれはこういう意味でつながる」といくつかのグループ(集団)ができあがります。こうして、カオスの中に関係性のようなものが見えてきます。  
そうやって集団が見えてくると、ある集団と別の集団の差異や、影響関係が見えやすくなって、矢印で結べるようになってきます。 (P1280)
発想はいろんな角度から考えを動かしていくことです。動かすきっかけとか、テコのようなものが必要なのです。そこに「江戸変換はできないか」といったものを入れることで、考えをかきまぜ、動かしていくことができます。  
常にかきまぜて動かし続けることが思考習慣になれば、非常に発想に強くなります。また、変換に目を向けると、自分と違う業界、自分と違うことをやっている人たちのすべてが思考ヒントになってきます。  
すると、参考になるグループが圧倒的に増えてきます。それは異業種交流会という形で仲よくなるレベルではなく、全然違うところでやっている新たな発見のようなものがヒントになり、新たなものを生み出す力となるのです。 (P1329)
構造主義を日常生活に生かすために「スタイル変換」「○○変換」と考えると、いろんな領域でヒットしたものを変換レベルで見て、「実はこっちも同じだな」と見抜けるようになります。 (P1348)
そういうものは横断的に見ないとわかりません。歴史的変遷をたどって、通時的に見るだけでなく、共時的にというか、時間を一回止めるようにして、ダーッと横並びに見ていくことで、つながっていない、何の関係もないように見えたものがつながって見えてくることがあります。  
そうやって、実体にとらわれるのではなく、一つの作用のほうのパターンに注目するのがいいなということがわかってくると、思考がうんと柔らかくなってきます。日々いろんな情報に接するたびに、自分に何か関係あるものとして入ってくるようになります。 (P1402)
その特徴は「恣意性」にあります。レヴィ・ストロースは、ソシュール言語学の恣意性の原理などをヒントに、人類学が抱えていた難問を次々と解決したのです。  
恣意性とは、「この理由でこれが決まるという絶対性はない」ということです。  
たとえば、私たちは犬を「イヌ」という音で表わしますが、最初は、いろんな呼び方があったに違いありません。その中で「イヌ」に行き着いたのでしょう。つまり、成立の過程においては、「絶対にイヌ」ではなく、「とりあえずイヌ」「適当にイヌ」にすぎなかったと言えます。それが、いったん定着してしまうと必然に見えるわけです。実体と言葉の音との関係は絶対的ではなく、恣意的なのです。  
つまり、実体と言葉は完全に切り離すことが可能です。 (P1482)

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