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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
購入:  2015年01月04日 1,620円 所有
読了:  2015年03月15日 星5つ
孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他社、社会、共同体があり、そこから阻害されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他社を必要とします。 (P70)
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。 (P71)
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そしてわたしたちは主観的な世界の住人である。 (P77)
健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。 (P92)
われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。 (P93)
アドラー心理学では、他社から承認を求めることを否定します。 (P132)
他社からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他社の人生を生きることになります。 (P135)
もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら ~その悩みは対人関係なのですから~ まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他社の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。 (P146)
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他社がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。 (P147)
わたしの提案は、こうです。まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。 (P150)
すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。 (P162)
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。 (P162)
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。 (P163)
幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。 (P163)
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。 (P183)
そこで覚えておいてほしい行動原則があります。われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。 (P193)
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。 (P194)
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。 (P198)
そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。 (P199)
ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他社に貢献できたことを知ります。 (P205)
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。 (P222)
やはり、共同体感覚です。具体的には、事故への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 (P226)
ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。(中略)この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。 (P227)
まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。 (P236)
「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えられないのは、人生の調和を欠いた生き方なのです。 (P248)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押しつけようとします。いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと。でも、人生に線などありえません。(中略)もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。 (P264)
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするようなに生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。 (P266)
人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。 (P275)
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。 (P275)
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない、しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。 (P279)
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。自らの上空に他者貢献という星を掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにある! そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に行きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。 (P280)
ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
購入:  2013年12月27日 2,310円 所有
読了:  2014年06月04日 星5つ
・言葉やラベルを貼りつけないで世界をありのままに見れば、はるか昔に人類が思考を使うのではなく思考に縛られたときに失った奇跡のような畏敬の念が甦る。人生に深さが戻ってくる。ものごとは再び初々しさ、新鮮さを取り戻す。最大の奇跡は自己の本質を経験できることだ。その本質は言葉や思考や知的なラベルやイメージに先行する。それを経験するためには、「自分(I)」という意識、「在る(Beingness)」という意識を、自分と混同されているすべて、自分を同一化しているすべてから切り離さなくてはならない。自分をモノや事物から切り離すこと、それが本書のテーマである。【P.36】
・エゴイスティックな心は完全に過去によって条件づけられている。その条件づけは二つの面から行われる。中身と構造である。【P.43-44】
・エゴが生まれる最も基本的な精神構造の一つがアイデンティティである。【P.44】
・多くの人は、死の床に就き外部的なものがすべてはげ落ち初めて、どんなモノも自分とは何の関係もないことに気づく。死が近づくと、所有という概念そのものがまったく無意味であることが暴露される。さらに人は人生の最後の瞬間に、生涯を通じて完全な自己意識を求めてきたが、実は探し求めていた「大いなる存在としての自分」はいつも目の前にあったのに見えなかった、それはモノにアイデンティティを求めていたからで、つきつめれば思考つまり心にアイデンティティを求めていたからだ、と気づく。【P.52】
・エゴは比較のなかに生きている。私たちは、他人にどう見られているかで、自分をどう見るかを決める。~(中略)~他人にどう見られるかが、自分はどういう人間か、何者なのかを映し出す鏡になるのである。エゴの自尊心は多くの場合、他者の目に映る自分の価値と結びついている。自己意識を獲得するには他者が必要なのだ。そして何をどれくらい持っているかでほぼ自尊心が決まる社会で暮らしていると、それが集団的妄想であると見抜けない限り、自尊心を求め自己意識を充実させようとしてむなしい希望に振り回され
一生、モノを追い求めることになる。~(中略)~モノに自分を見出そうとしなければ、モノへの執着は自然に消える。~(中略)~「執着に気づいている、その気づきが私である」。それが意識の変容の第一歩だ。【P.54-55】
・自分の中のエゴに気づいたとき、それは厳密に言えばもうエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンになる。エゴとは無意識である。気づきとエゴは共存できない。【P.76】
・思考はうまくいけば真理を指し示すが、決して真理そのものではない。だから仏教では「月をさす指は月ではない」と言う。すべての宗教はどれも誤りでありどれも真実で、どちらになるかはどう活用するかで決まる。エゴの強化に役立てることも、「真理」のために役立てることも可能なのだ。自分の宗教だけが「真理」だと信じているなら、それはエゴの強化に役立てていることになる。そうなると宗教はイデオロギー化し、優越感という幻想を生み出し、人々の間に分裂や紛争を引き起こす。「心理に役立てれば、宗教の教えは目覚めた先輩たちが残した道標、地図となってスピリチュアルな目覚めを、つまり形への同一化からの解放を助けてくれるだろう。【P.82】
・絶対的な「真理」はただ一つで、その他の真理はそこから派生している。その「真理」を見出したとき、あなたの行動はすべて真理に沿ったものになる。人間の行動は「真理」を反映することもあれば、幻想を反映することもある。「真理」は言葉で表せるか? 表せる。だが、もちろんその言葉は真理そのものではなく、真理を指し示すにすぎない。その「真理」はあなた自身と切り離せない。そう、あなたが「真理」なのだ。よそに真理を探していたら、きっとだまされ続ける。あなたという「存在」、それが「真理」だ。【P.82-83】
・エゴから解放されるために必要なのは、エゴに気づくことだけだ。気づきとエゴは共存できないからである。気づきとは、いまこの瞬間に秘められた力だ。だから、「いまに在る」ことと表現できる。人間という存在の究極の目的は(それはあなたの目的でもある)、この「いまに在る」力を世界に広めることだ。それはまた、エゴからの解放が将来達成すべき目標ではないのはなぜかという理由でもある。「いま、この瞬間」だけがあなたをエゴから解放できるし、あなたは昨日でも明日でもなく「いま、この瞬間」にしか存在できない。「いまに在る」ことだけがあなたのなかの過去を解体し、あなたの意識の状態を変容させる。【P.89-90】
・真の人間関係とはエゴのイメージづくりや自分探しの支配を受けないものだ。真の人間関係には相手への開かれた明晰な関心の流れがあり、そこでは相手に何も求めてはいない。この明晰な関心が「いまに在る」ことで、すべての本物の人間関係に必須の要件である。【P.96】
・気づきは変化の最大の触媒なのだ。【P.113】
・あなたのなかに気づきがあれば、頭の中の声の正体は過去に条件づけられた古い思考であると認識することができる。あなたのなかに気づきがあれば、浮かぶ思考をいちいち信じる必要はなくなる。それは古い思考。それだけのものだ。気づきとは「いまに在る」ことを意味する。「いまに在る」ことだけが、あなたのなかの無意識の過去を解体する。【P.114】
・苦しみは深みのある人間をつくる。苦しみの原因は形への自分の同一化だが、逆にその苦しみが形との同一化を突き崩す。苦しみの多くはエゴに起因するが、結局は苦しみがエゴを破壊する - ただし苦しみに意識的でなければならない。【P.115】
・どんな状況でも、その役割に自分を同一化せずに、しなければならないことをする。これがこの世に生まれ出た私たちが学ぶべき人生の基本的なレッスンである。何をするにしても、役割というアイデンティティを守ったり強化したりするために、あるいは役割にはめ込むために行動するのではなく、ただ目的を達成するために行うとき、人はとても力強くなる。【P.120-121】
・人々とつきあうときには、機能や役割であるよりも、意識的に「いまに在る」場としhて向き合おう。【P123】
・形のうえでは、あなたは誰かより劣り、誰かより優れているだろう。だがあなたの本質は誰にも劣っていないし、優れてもいない。それを認識したときに、真の自尊心と真の慎み深さが生まれる。エゴの目から見ると、自尊心と慎み深さは矛盾している。ほんとうは両者は同じものなのだ。【P.123】
・自分のなかにネガティブな状態があると気づいても、それは失敗ではない。それどころか成功である。そこに気づかない限り、内面の状態と同一化したままであり、それがエゴとの同一化なのだから。だが気づけば、思考や感情や自動的な反応と自分が切り離される。これを否認と混同してはいけない。否認ではなく思考や感情や自動的な反応の認識で、認識の瞬間にそれらとの同一化が解消する。あなたは自己を、自分が何者かを意識し、そこで変化が起こる。そこまでのあなたは思考であり感情であり自動的な反応であった。だがいまのあなたは気づきであり、「いまに在る」意識として内面状態を観察している。【P.130-131】
・頭のなかの声は勝手な生き物だ。ほとんどの人はその声に引きずり回されている。思考に、心に、取りつかれている。心は過去によって条件づけられているから、あなたは何度も繰り返して過去に反応し続けるしかない。東洋ではこれをカルマと呼ぶ。この頭のなかの声に自分を同一化しているときうには、もちろんそれがわからない。わかればもう取りつかれてはいないわけだ。自分に取りついた相手を自分だと誤解し、それになりきっているのが取りつかれているということだから。【P.145】
・あなたが「いまに在る」ことを妨げる過去の出来事など何もない。そして現在に在ることを妨げる力がないとしたら、過去にいったいどんな力があるというのか?【P.156】
・この地上での悪行の犯人はたった一人しかいない。人類の無意識だ。そこに気づくことこそが真のゆるしである。ゆるしによって被害者というアイデンティティは消え、真の力が生まれる。「いまに在る」という力だ。闇を非難するよりも、光をもたらすべきなのである。【P.174】
・ペインボディからの開放は、まず自分がペインボディを「もっている」と認識することから始まる。それからもっと重要なのは、しっかりと「いまに在る」能力と観察力だ。【P.177】
・ペインボディが目覚めたとき、あなたが「いまに在る」なら、そのたびにペインボディのネガティブな感情的エネルギーの一部が焼失し、「いまに在る」力へと変容する。【P.195】
・すでにある自分の人生の豊かさを認めること、それがすべての豊かさの基本だ。【P.208】
・エゴを乗り越えるとは、中身から脱することである。自分自身を知るとは自分自身であることで、自分自身であるとは心の中身と自分の同一化をやめることだ。【P.211】
・「私は現在という瞬間とどんな関係にあるだろう?」と、終始自分に問いかけることが大切だ。そしてしっかり観察して、答えを見つけなくてはいけない。私は「いま」を目的のための手段にしているのか? それとも障害として見ているのか? 敵にしてはいないか? 現在という瞬間、それは唯一あなたが手にしているもので、人生は「いま」と不可分だから、これは人生とどんな関係にあるかという問いかけなのだ。この問は、エゴの仮面をはいで「いまに在る」状態を取り戻すのにとても役に立つ。この問には絶対的な真実はないが(つきつめれば、私と現在の瞬間とはひとつなのだから)、正しい方向を指し示してはくれる。必要がなくなるまで、何度でも問いかけてみてほしい。現在という瞬間との機能不全の関係は、どうすれば克服できるか? いちばん大事なのは、自分に、自分の思考や行動に機能不全があると見極めることだ。それを見抜くことができ、自分と「いま」との関係が機能不全だと気づけば、そのときあなたは「いまに在る」。事実を見極めることで、「いまに在る」状態が立ち上がる。機能不全を見抜いた瞬間、その機能不全は解体し始める。【P.221-222】
・抵抗しない、判断しない、そして執着しない。この三つは真の自由の、そして悟りを開いた生き方の三つの側面なのだ。【P.244】
・ほとんどの人の現実はこうだ。何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪や善悪を決める。この人たちは思考の形に、モノの意識に閉じ込められている。この無意識の脅迫的なラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気がついて観察できるようにならない限り、スピリチュアルな目覚めはない。この休みないラベル貼りによって、エゴは観察されない心としての場所を維持している。ラベル貼りをやめるか、その行為に気づけば、内なる空間ができ、もう心に完全に占領されることはなくなる。【P.258-259】
・呼吸には形がないという事実も、呼吸の観察が人生(生命)に空間を創り出す、つまり意識を生み出すきわめて効果的な方法である理由の一つだ。呼吸はモノでなく形がないからこそ、瞑想のすばらしい対象となる。もう一つ、呼吸の観察が効果的な理由は、呼吸がごくささいなあたりまえに見える現象であることで、ニーチェが言う「最高の幸せ」をもたらす「小さなもの」だからだ。正式な瞑想法として呼吸観察を実行するかどうかはあなたが決めればいい。しかし正式な瞑想法も、日常生活のなかに空間の意識を取り入れる代わりにはならない。呼吸を観察すると、いやおうなしにいまこの瞬間に「在る」ことになる - これがすべての内なる変容の鍵なのだ。呼吸を観察するとき、あなたは絶対的に「いまに在る」。それに、考えながら呼吸を観察することはできないことにも気づくだろう。意識的に呼吸すると心が停止する。それは茫然自失とか半睡状態とは大違いで、完全に目覚め、意識が研ぎ澄まされている。思考より下に落ちるのではなく、思考の上に上るのである。そしてさらによく観察すると、この二つは - 完全にいまこの瞬間に在ることと、意識を失わずに思考を停止することは - 実は同じことだと気づくだろう。空間の意識の現れである。【P.264-265】
・あなたの人生には内なる目的と外部的な目的とがある。内なる目的は、あなたがどんな存在であるかに関わる。こちらが第一義的な目的。外部的な目的は、あなたの行動に関わる。こちらは二義的な目的。【P.277】
・あなたの内なる目的はまことにシンプルだ。目覚めること。あなたはこの目的を地上のすべての人と分かち合っている。これは人類の目的だからだ。あなたの内なる目的は全体の、宇宙の、現出しつつある知性の目的の一環で、それと不可分だ。外部的な目的は時とともに変わり得る。人によっても大きく違う。うちなる目的を見出してそれと調和した生き方をすること、それが外部的な目的達成の土台だ。真の成功の基盤である。【P.278】
・目覚めとは意識の変化であり、その変化した意識のなかで思考と気づきが分離する。~(中略)~目覚めると、思考に呑み込まれて自分を失うことがなくなる。思考の背後にある気づきが自分だとわかる。すると思考はあなたを振り回して指図をする利己的で自律的な活動ではなくなる。思考の代わりに気づきが主導権を握る。思考はあなたの人生の主役ではなくなり、気づきに仕えるようになる。目覚めとは普遍的な知性と意識的につながることだ。言い換えれば「いまに在る」こと、思考なしの意識である。【P.278-279】
・目覚めた行動の三つのモードとは、受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす、の三種である。【P.317】
「自分のために生きていける」ということ (だいわ文庫)
斎藤  学 / 大和書房 (2010-10-08) / 756円28 users
購入:  2013年06月11日 735円 所有
読了:  2013年09月01日 星4つ
・私たちは、この社会の中で、「誰かのために生きる」「社会の要請にそって生きる」ように強いられてます。現在の社会システムの中で生きて行こうと思えば、「こうするべき」「こうあるべき」という厳しい「べき」に従って、落ちこぼれないように生きていかなければなりません。「これからは○○はできなくてはならない」「○○を知らないなんて遅れている」「いまどき○○ブランドの服を着ているなんて恥ずかしい」など、暗黙のうちに強制されている規範がたくさんあります。そこからはずれることは差別される恐怖であり、社会で評価を受けられない負け犬になることです。窓際に追いやられるように、情報に遅れないようにと、みんな必死になっています。本人はサッカーが好きなわけでもないのに、ワールドカップの結果を知らないと会社で話題についていけないので、一応チェックしているという人もいます。常識として「しらなければならない」ことが多過ぎて、それにかまけているうちに、本当に自分の好きなことをするヒマもなくなってしまいます。これでは、いくら忙しくても退屈を感じて当たり前です。好きでもないことを義務感でやるわけですから。個人の欲望はもっと多彩なはずです。けれども、そんなオリジナルな欲望を持って行動し、実現している人はめったにいないでしょう。その前に「やるべき」ことをこなすのに精一杯で、疲れ果ててしまうのです。社会に適応し、周囲から差別されず、「人並み」にうけいれられることに全エネルギーを注いでいるのです。こういう社会のありさまを、シェフは「嗜癖システム」と呼びました。
・セルフアファメーション(自己肯定)の能力は、訓練によってたかめるものです。→※西尾和美の本「今日一日のアファーメーション〜自分を愛する365日」(株式会社IFF出版部ヘルスワーク協会)
・喜びが神の恵みであるのなら、苦しみもまた神の授かりもの
・「自己肯定」とは、自分のすることをなんでもかんでも正しいと判断することではないのです。人間は、ときには間違ったこともするし、失敗もします。けれども、失敗を糧にすることはできるし、間違ったことは直していけばいいのです。自分の能力には限界があるのだから、限界の中でできることをやっていけばいいし、万能である必要はありません。つまり、自分の不完全さを含めて肯定的にとらえることを「自己肯定」というのです。
・人間の精神は、最初は「取り入れる」段階から始まります。赤ん坊は親の愛と関心を取り込み、栄養、言語、生活技術を取り入れて成長していきます。そして、徐々に他人への共感性を発達させ、「分かち合う」段階へと発展していきます。これが大人への成長です。本当の大人とは、他人と共感し合い、分かち合い、感情を共有する能力をたっぷり備えています。けれども、決して他人の感情をあいまいにいっしょくたにして、区別がつかなくなっているわけではありません。
・誰のためでもない、誰のせいにもしない、自分自身をハッピーな状態にすることが、あなたの第一にするべき仕事です。全員がそのことに力を傾けていれば、個人と個人がきちんとぶつかり合えます。どちらかが支配したり、食いつぶす関係にはなりません。個人個人がそれぞれ自分の欲望をまっとうに追求できる社会にしていくためには、まず、あなた自身が自分の欲望を見つけ、自分のために生き始めてください。
3つの真実 人生を変える“愛と幸せと豊かさの秘密”
野口嘉則 / ビジネス社 (2008-05-13) / 1,200円305 users
購入:  2013年06月11日 1,300円 所有
読了:  2013年07月28日 星4つ
・怖れは誰にでもある。大切なのは、怖れに支配されないことじゃ。怖れがあっても、愛による行動を選択できるようになればよいのじゃ。そして、その鍵を握るのが自尊心なんじゃよ。自尊心を自分で満たすことができるようになれば、人から認められなくなることへの怖れや、相手にされなくなることへの怖れに支配されなくなる。
・われわれの最大の価値は、取った行動や出した結果にあるのではなく、存在することにあるのじゃ。これに本当に気付くとき、自尊心は満たされていく。
・多くの人間は自分の感情に気づいていないために、感情に振り回されておる。逆に、自分の感情に気づくと、その感情に支配されにくくなるのじゃ。また、ネガティブな感情も、話して外に出すと楽になる。
・さて、君に二つの法則を教えた。一つは、心の底で認めたものが現実化するということ。もう一つは、心の波長と同類の出来事が引き寄せられるということ。この二つを鏡の法則と呼ぶわけじゃ。
・そこでもっと明るい人生にしたいと望むなら、感情はそのまま感じ、思考を変えていくようにすればいいのじゃ。
・人は、自分のことを変えられたくはない。わかってほしいのじゃ。尊重してほしいのじゃ。
・大切なのは、相手が自分と違う感じ方や考え方をすることを尊重することじゃ。『君はそう感じるんだね、そう考えるんだね』と尊重できればいいのじゃ。
・人は皆、未熟だからこそ成長する余地があるのじゃ。宇宙が君のすべてをゆるしているように、君も君自身をゆるしなさい。
・生物の絶滅の話を聞いて、君の胸が痛んだのは、君の中に愛があるからじゃ。人間の本質は愛なのじゃからな。つまり、愛は君自身と一体のものなのじゃ。一方、怖れとは君がつくり出したもの。君の創造物にすぎん。君がつくったのだから、君は捨てることもできる。まるで、服を一枚一枚脱ぎ捨てていくようにな。
・自分と家族に対して愛を実践することは、怖れを手放していく最適な訓練にもなる。

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