ホーム   本・雑誌   キンドル   Web   音楽   DVD ウォッチ  プロフィール  メディア記録  印刷  RSSフィード
並べ替え:
カテゴリ 読書 購入 所有 お気に入り 1 - 5件目 / 5件
選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)
シーナ アイエンガー / 文藝春秋 (2014-07-10) / 983円85 users
購入:  2015年05月23日 864円 所有
読了:  2017年01月08日 星4つ
わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。 (P29)
本当の意味で選択を行うためには、すべての有効な選択肢を分析して、その中から最良のものを選ぶ必要がある。つまり選択を行うには、肉体と同じくらい、精神も活用しなくてはならないのだ。 (P30)
前頭前皮質の発達は、現在進行中の自然淘汰の、きわめつけの例と言える。前頭前皮質は人間にも動物にもあるが、それが脳に占める割合は、すべての種の中で人間が最も大きい。そのおかげでわたしたちは、競合するその他の本能を抑えて「合理的」な選択を行うという、ほかの動物にはない能力を与えられているのだ。前頭前皮質の発達は思春期以降も続くため、この能力は年齢とともに向上する。運動機能の発達が主に幼児期までに、事実をもとにした論理的な思考能力の発達が思春期までに、ほぼ完了するのに対し、前頭前皮質の成長と統合のプロセスは、二十代半ばまで続く。幼児が大人に比べて抽象概念を理解する力が弱く、また特に子どもやティーンエイジャーが衝動にかられがちなのは、このせいだ。 (P31)
動物にとって、肉体の監禁は、存在そのものの監禁だ。これに対して人間は、肉体的に自立していないときでさえ、自由を選び取ることができる。そのためには、選択が何であるかを知り、選択が当然の権利だという信念を持たなくてはならない。わたしたちは物語を分かち合うことで、想像と言語の中で選択を生かし続けることができる。そして肉体的に不可能なときでも、精神で選択を実行する力を、互いに与え合うことができるのだ。 (P50)
制約は必ずしも自己決定感を損なわず、思考と行動の自由は必ずしも自己決定感を高めるわけではない。 (P63)
イギリスの詩人ジョン・ダンは400年前に、いみじくもこう述べている。「いかなる人も孤立した島ではない。いかなる人も大陸の一片であり、全体の一部である」。わたしたちは人間社会という風景の中に、居心地の良い場所を見つけなければならない。言い換えれば、身近な人たちの中のどの位置に立ちたいのか、どこに帰属したいのかをよく考えなくてはならない。自分はどんな集団に属したいのか、どれくらいの規模の集団が望ましいのか? 自分にぴったりの場所に到達するまでに、少し旅をしなくてはいけないかもしれない。だがよく言われるように、「旅は自分を知るよい方法」なのだ。 (P140)
実際、コカ・コーラはいろいろなものを象徴しているが、その一つがクリスマスなのだ。サンタクロースを想像するとき、あなたはどんな姿を思い描くだろうか? 赤い服に帽子、黒いブーツにベルトを身に着けた、太った陽気なおじさんが、赤ら顔に満面の笑みを浮かべているイメージではないだろうか? スウェーデン人画家のハッドン・サンドブロムが、世界中ののどの渇いた子どもたちにサンタクロースがコーラを届けている広告を描くようコカ・コーラ社に依頼されて、このイメージを生み出した。「サンドブロムのイラストが登場する前は、クリスマスの聖人は、青や黄や緑や赤のさまざまな服を着ていた」とマーク・ペンダグラストが著書『コカ・コーラ帝国の興亡100年の商魂と生き残り戦略』(1993年、徳間書店)に書いている。
~中略~
サンタの服がコーラのラベルとまったく同じ色の赤だということに、あなたは気づいていただろうか? それは偶然ではない。コカ・コーラ社はこの色の特許を取得している。サンタクロースは明らかに、コカ・コーラの宣伝マンなのだ。 (P240)
推奨も分類も、難しい決断を下そうとするときに役立つ機能だ。なぜなら次の二つの点で、賢明な選択を下す助けになるからだ。第一に、専門家や群衆の知識を借りることで、判断を下しやすくする。そして第二に、かれらの知識に学ぶことで、助けをかりない場合よりもずっと早く、自分の専門知識を構築できるのだ。ほかの人がどんなものを高く評価し、どんなものを重視しているかを学ぶことで、分野の全体像を俯瞰してとらえることができる。万事に精通することはもちろんできないが、専門家の知識を借りて懸命に選択する方法を学ぶとともに、選択がどういうものであるかを深く理解することで、選択を行うプロセスに精通することはできるのだ。 (P305)
ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』は、社会の秩序を乱すいたずら者として描かれる英雄、オデュッセウスの物語だ。オデュッセウスは、10年におよぶトロイ戦争で激戦の末にギリシャを勝利に導き、故郷に向けて針路を取る。だがさまざまな試練に襲われ、故郷にたどり着いたのは、さらに10年後のことだった。このようにして「オデッセイ」という言葉に、長い冒険旅行という意味が与えられた。 (P363)
さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
購入:  2014年06月15日 1,944円 所有
読了:  2015年08月13日 星3つ
わたしたちの苦しみのほとんどは、実は、自分でつくっているものなんです。厳密に言うと、思考がこしらえているということになりますが。言うなれば、わたしたちは、必要のない苦しみを自分から背負っていることになります。これは、「すでにそうであるもの」に対する「拒絶」や、無意識のうちの「抵抗」が原因です。思考は物事に対して「決めつけ」をするものですが、すると、必然的に、ネガティブな感情がわき上がってしまうのです。苦しみの度合いは、自分がどれくらい「いま、この瞬間」に、抵抗しているかに比例しています。これは同時に、どれだけ自分が思考とひとつになっているか、という度合いをも示しています。思考は「いま、この瞬間」を嫌っているので、いつもそこから逃げようとしているからです。思考を「ほんとうの自分」とみなすほど、苦しみは増すばかりです。でも、それは見方を変えると、こういうことにもなりませんか? ・・・「いま、この瞬間」をあるがままに受けいれるほど、痛みや苦しみはなくなる。 (P52)
生きることの秘訣は、「(肉体が)死ぬ前に死ぬこと」であり、しかも「『ほんとうの自分』は死なない」と、さとることだと言えるのではないでしょうか。 (P68)
現在の自分の心が、過去の重荷を背負っていると、未来にも同じようなことを、いっそう強く経験するようになります。十分に「いまに在ない」と、過去はどこまでも、わたしたちを追いかけてきます。いまの、「自分の意識」が、未来をつくっているのですから、それをしているのも、もちろん「いま」です。 (P86)
現時点での意識が未来をつくっていると言いました。では、いったいどうすれば現在の意識を高められるのでしょう? それは「いまに在ること」です。真の変化が起こり得る唯一の時は、「いま」であり、過去を溶かせる唯一の場所も「いま」しかありません。 (P86)
わたしたちは「未来に」自由になることは、できないのです。「いまに在る」ことが自由へのカギであり、わたしたちが自由になれるのは「いま」しかありません。 (P87)
「いま」に意識を集中させて、「いま、この瞬間」どんな問題があるか、挙げてみてください。
答えがありませんね。それでいいのです。「いま」に完全に意識を集中させていれば、問題を抱えることなどできません。処理すべき、受けいれるべき状況は、たしかにあるでしょう。でも、なぜ「状況」を「問題」に変えてしまうんでしょう? 生きること自体が十分チャレンジではないですか?
どうしてわたしたちは、なんでもかんでも問題にしてしまうんでしょう? その理由は、思考が無意識のうちに、問題を愛しているからです。なぜでしょう? それは思考に存在価値を与えるからです。これは人間にとってごくあたりまえのことであると同時に、「苦しみと不幸」の根源なのです。「問題を抱えている」ということ自体、意識が「人生の状況」にどっぷりとつかり、気づかないうちに、それが自分の一部になってしまっていることを意味します。人生で遭遇する「状況」に圧倒されるあまり、ほんとうの意味の「人生」を失ってしまっているのです。または、「いま」できる、ひとつのことに集中するかわりに、自分がこれからやるべき百のこと、という「重荷」を背負って、自分の心を押しつぶしているのです。
問題をこしらえるということは、すなわち、痛みをこしらえることです。わたしたちがとるべきステップは、とても簡単な決断をすることだけです。「どんなことが起きようと、わたしはもう二度と『状況』を『問題』に変えて、自分に痛みを与えない!」こう決断することです。とても簡単に聞こえますが、天地がひっくり返るくらいドラスティックな改革です。 (P92)
なんであれ、文句を言うということは、必ず「すでにそうであるもの」を拒否していることを意味します。それはひとつの例外もなく、ネガティブエネルギーを発しています。文句を言う時、あなたは自分を被害者にしたてあげています。わたしたちが言葉を発する時には、自身に備わるパワーを行使しているのです。ですから、文句を言うかわりに、なんらかの行動をとるか、はっきりと発言するか(それが必要であり、かつ可能であるなら)、もしくはその場を去るか、受けいれることで状況を変えるのです。これ以外の行動はすべて非生産的です。 (P113)
肝心なのは、意識して「いまに在る」こと。それだけです。これが、過去を溶かせるからです。これが変化を起こす唯一の触媒です。ですから、過去を知ろうと、答えを探してはなりません。そのかわり、できるかぎり「いまに在る」のです。過去は「いまに在る」人の中では、姿を消すほかに道がありません。わたしたちの「不在時」のみ、それは生存できるのです。 (P126)
「大いなる存在」は、「名前やかたちを超えた『わたし』は、永久に存在する」、という感覚で、認識できます。「大いなる存在」を認識し、その状態にしっかりとどまることが、「さとりをひらくこと」なのです。イエスの言った、「あなたを完全に自由にする真実」とは、このことです。 (P147)
言葉にしばられないでください。言葉はあくまでも、目的に到達するまでの手段なのです。言葉は抽象概念です。道しるべとなんら変わりなく、言葉はそれ自身を超えたものを指しているのです。「はちみつ」という言葉は、「はちみつ」そのものではありません。はちみつについて研究したり、論じたりすることはできても、肝心のはちみつを味わうことをしていなければ、それを、ほんとうに知ったことにはなりません。はちみつをいったん味わってしまえば、言葉には、こだわらなくなります。これとまったく同じ理屈で、神について生涯にわたり、思惟をめぐらしたり、語り合ったりしても、それで神を知っていることにはならないのです。そんなことをしても、神の実体を、一瞬でも、かいま見たことにはなりません。「道しるべ」や「偶像」へのこだわりで終わってしまいます。 (P148)
心が思考に占領されているかぎり、わたしたちは「大いなる存在」と断絶しています。大半の人が、持続的にこの状態にあるわけですが、この人たちは、意識をすべて思考活動につぎこんで、自分のからだを「留守」にしているのです。思考は暴走し、歯止めがきかなくなります。「自分の思考をとめられない」という症状は、大規模で蔓延している「病」であると言っても、言いすぎではないでしょう。これに「発病」すると、思考活動をよりどころにして、自分のアイデンティティをつくってしまいます。「大いなる存在」に根ざしていないアイデンティティはもろく、こわれやすいために、いつもなにかを求めるようになり、心の底に「恐れ」をこしらえます。そうなると、人生から一番大切なものが、欠落してしまいます。それは自分の内奥にある「大いなる存在」への認識です。
「大いなる存在」を認識できるようになるには、思考から意識を解放しなければなりません。これが、わたしたちの「魂の旅」の中で、もっとも大切な仕事のひとつです。無益で強迫的な思考活動に消費されている、ばく大な量の意識を解放するのです。意識を解放するのに効果的な方法は、思考活動を止め、インナーボディに意識を向けることです。インナーボディは、肉体に生命を与える、見えざるエネルギー場であり、「大いなる存在」が感じられる場所なのです。 (P151)
意識をすべて、思考と外界に消費しないことです。自分がおこなっていることには、集中すべきですが、それと同時に、できるかぎり自分のインナーボディを感じるのです。インナーボディにしっかりと根をおろしましょう。このようにこころがけることで、意識がどんな風に変化していくか、活動のクオリティに、どんな変化が見られるか、観察してみてください。
たとえどこにいても、待っている時には、インナーボディを感じる時間に充てましょう。そうすれば、車の渋滞や、順番待ちも、楽しいひと時に変わります。頭の中で、「過去」や「未来」を映し出すかわりに、インナーボディに根をおろして、さらに、「いま」に深くはいりこみましょう。
インナーボディへ意識を向けていると、生き方がガラリと一新します。「大いなる存在」につながっている時間も増え、人生に奥行が加わります。
インナーボディに根をおろしていると、「いまに在る」ことが容易になります。外界でどんな出来事が起ころうと、わたしたちはびくともしないのです。「からだに住まう」ことは、「いまに在る」ためには、欠かせません。 (P159)
「いまに在ること」は「まったき意識」になることです。思考から解放された意識になることです。インナーボディは、わたしたちと「目に見えない世界」をつなぐ接点です。「目に見えない世界」は、インナーボディのさらに奥にあります。「目に見えない世界」と意識の関係は、太陽と光の関係におきかえることができます。太陽が光を放っているように、意識は「目に見えない世界」という太陽から発せられている光のようなものとみなしていいでしょう。 (P163)
これからは、外界と思考だけに意識を注がないことを、人生の目標にしましょう。どんな時でも、いくらかは、自分の内面を意識しているのです。人と交流している時や自然に接している時には特にインナーボディを感じましょう。インナーボディの奥にある「沈黙」を感じてください。「目に見えない世界」の入口を、いつでも開けておくのです。一生をつうじて、「目に見えない世界」を意識していることも、決して不可能ではありません。外界でなにが起こっても、「目に見えない世界」を感じていれば、ゆるぎない心の平安、沈黙を得られます。こうすることで、「目に見えない世界」と「目に見える世界」をつなぐ、パイプ役をしているのです。「神」と「この世」をつなぐパイプ役とも言えます。これこそが「さとりをひらくこと」であり、「大いなる存在」とひとつになることなのです。 (P177)
思考は、時間が、さとりをひらくための条件だと言っているのですが、皮肉なことに、時間こそが、さとりをひらくうえで、「最大の障壁」なのです。
わたしたちは、自分がまだ完璧でないから、十分でないから、という理由で、いまこの時点の自分では、「そこ」に到達できないと考えるものです。しかし、真実は逆なんです。「いま」「ここ」だけが、わたしたちが「そこ」に到達できる唯一の地点なのです。自分はすでに「そこにいる」、と気づくことで、「そこに到達できる」のです。神を探し求める必要などない、と気づいた瞬間、わたしたちは神を見つけるのです。
結局、さとりをひらく唯一の方法などというものは、存在しません。どんな状況にいても、さとりをひらくことができますが、特定の状況が必要だということではないのです。しかし、さとりをひらける地点はただひとつです。それは「いま」です。「いま」からはなれた地点でさとりをひらくことなど、絶対にないのです。 (P198)
人間関係は、わたしたちを幸福にするのではなく、わたしたちを「目覚めさせる」ためにあるのだと知っていれば、さとりをひらくチャンスにできます。 (P213)
ペインボディは、一時的に内面に居座ってしまった、自由に流れず、滞留してしまった生命エネルギーです。ペインボディは、過去のなんらかの経験によるものであり、その人の中で生き続けている過去なのです。
つまり、ペインボディをアイデンティティにすることは、過去をアイデンティティにすることを意味します。「わたしは、被害者です」というアイデンティティは、「『いま』よりも、過去のほうがパワーを持っている」という信念に基づいています。ということは、他者や、他者のしたことが、現在の自分の、感情的痛みの原因であり、「ほんとうの自分」でいられないことに責任を負っていると信じていることになります。しかし、これは真実ではありません。「唯一のパワーは『いま、この瞬間』以外には存在しない」というのが、事実なのです。唯一のパワーは、「いまに在る」ことで生まれるパワーです。いったんこの事実をのみこめたら、現在の自分の心のあり方に責任があるのは、自分自身であり、ほかの誰でもないということがわかるはずです。さらに、過去は「いまのパワー」に歯が立たないということもわかるでしょう。 (P225)
かたちの面では、この世のものはみんな、不安定な性質と、滅びゆく運命を分かち合っています。しかし、「大いなる存在」の次元では、光り輝く永遠の生命を分かち合っているのです。これらが、憐れみのふたつの面なのです。 (P262)
「手放すこと」は、人生の流れに逆らうよりは、それに身を任せるという、シンプルでありながらとても奥の深い「知恵」なのです。人生の流れを実感できる場所は、「いま、この瞬間」しかありません。「手放すこと」は、「いま、この瞬間」を、なんの不安も抱かずに、無条件に受けいれることです。「すでにそうであるもの」に対する心の抵抗を、捨て去ることです。
心の抵抗とは、思考の決めつけやネガティブな感情によって、「すでにそうであるもの」を拒絶することです。物事が思いどおりにいかない時、「こうでなければならない」、という自分の要求や期待と、事実との間にギャップがある時、この傾向は特に顕著になります。これが「痛みをこしらえるギャップ」です。長年生きていれば、「思いどおりにならないこと」にちょくちょく出くわすことは、もうご存知でしょう。痛みや悲しみをこしらえたくなかったら、そういう時こそ、、「手放すこと」を実践するのです。「すでにそうであるもの」を受けいれたとたん、思考から解放され、「大いなる存在」につながることができます。物事に抵抗するのは、思考のさがなのです。 (P272)
思考は常に、既知のものにくっつこうとします。思考にとって、未知のものはコントロールがきかないため、危険なのです。これが、思考が「いま、この瞬間」を嫌がり、無視しようとする理由です。「いま」に在ると、思考の活動にすきまをつくるだけでなく、「過去 → 未来」という一本につながった時間軸にも、すきまをつくります。そのすきま、「無限の可能性を秘めた、クリアーな空間」以外からは、ほんとうの意味で新しく、創造的なものは、誕生できません。 (P301)
「すでにそうであるもの」を受けいれ、完全に「いま」に在れば、過去はパワーを失ってしまいます。過去など必要なくなるのです。「いまに在ること」、これがなによりも肝心です。 (P304)
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
購入:  2015年01月04日 1,620円 所有
読了:  2015年03月15日 星5つ
孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他社、社会、共同体があり、そこから阻害されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他社を必要とします。 (P70)
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。 (P71)
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そしてわたしたちは主観的な世界の住人である。 (P77)
健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。 (P92)
われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。 (P93)
アドラー心理学では、他社から承認を求めることを否定します。 (P132)
他社からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他社の人生を生きることになります。 (P135)
もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら ~その悩みは対人関係なのですから~ まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他社の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。 (P146)
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他社がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。 (P147)
わたしの提案は、こうです。まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。 (P150)
すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。 (P162)
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。 (P162)
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。 (P163)
幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。 (P163)
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。 (P183)
そこで覚えておいてほしい行動原則があります。われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。 (P193)
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。 (P194)
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。 (P198)
そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。 (P199)
ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他社に貢献できたことを知ります。 (P205)
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。 (P222)
やはり、共同体感覚です。具体的には、事故への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 (P226)
ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。(中略)この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。 (P227)
まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。 (P236)
「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えられないのは、人生の調和を欠いた生き方なのです。 (P248)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押しつけようとします。いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと。でも、人生に線などありえません。(中略)もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。 (P264)
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするようなに生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。 (P266)
人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。 (P275)
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。 (P275)
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない、しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。 (P279)
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。自らの上空に他者貢献という星を掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにある! そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に行きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。 (P280)
シロクマのことだけは考えるな!―人生が急にオモシロくなる心理術 (新潮文庫)
植木 理恵 / 新潮社 (2011-06-26) / 464円102 users
タグ 植木理恵 心理学 心理術 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 心理学 登録日:2013年01月02日 20時30分32秒 2013/01/02
購入:  2013年01月02日 380円 所有
読了:  2013年01月14日 星4つ
・集団になると無意識に手抜きする(人は大集団になればなるほど、発揮できる個の力が落ちることが証明されている。※拍手の例:一人の拍手と大勢での拍手)
・会議をテキパキ進める、二つの秘訣:①あらかじめそれぞれが考えた意見を持ち寄って会議すべし! ②その会議は進行役に仕切らせるべし! これをしないと集団的手抜き現象が起こってしまう。
・断言:人は自分のことを言い当てられたい生き物である。人間は、あなたはこういう人です、と「外から断言される」ことを、実は待ち望んでいる。
・二面性提示:「あなたはこんな人ですね」と言った後で、「あなたはこんな面があるけれど、反面、こんな面も持ち合わせてますね。」と言う。←自らの性格については誰にでも当てはまるような曖昧な指摘ほど当たっていると思ってしまう、という現象を利用。一面的な提示ではなく、相反する二面的な提示にして、当てはまる範囲を広げ、より曖昧にすることが効果的。これができれば相手を感激させるほど、その相手のことを言い当てられる。
二面性提示+断言→当たる占い師効果
・最強の人間関係を作る「ほめる」テクニック・・・「ジョハリの窓」の叩き方:①本人も他人も知っている自己=すでに開いた窓 ②本人だけが知っている自己=隠した窓 ③他人だけが知っている自己=開くかもしれない窓 ④誰も知らない自己=閉じた窓 →→→ ①は本人も自覚しているので褒めても効果なし:マリリンモンローに「セクシーですね」「美人ですね」と強調するようなもの。②④は他人がアプローチするのは容易ではないので、ここを褒めるのは難しい ③ここを褒めることは、相手が自分では思いもよらなかったところを指摘されると「え? そうなの? 私ってそんなところがあるの?」という意外性を感じる。この意外性こそが「ほめ」に含めるべき重要ポイント。→マリリンモンローの例で言えば「君には知性を感じる」「寂しげな表情がたまらないね」など。
影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか
タグ 心理学 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会・政治 登録日:2009年10月18日 09時21分17秒 2009/10/18
購入:  2009年10月17日 2,940円 所有
読了:  2010年05月05日 星4つ
・盲目的な服従においてこのような賛美と呪いが同時に存在することこそ、盲目的服従の機械的な性質を表しているのです。考える必要がないので、考えることをしないのです。盲目的な服従は多くの場合、私たちに適切な行動を取るように導いてくれますが、明らかな例外も存在します --- なぜなら、私たちは考えているのではなく、単に反応しているだけだからです。(P.344)
・人は、同じくらいの価値のあるものなら、それを獲得することを考えるよりも、それを失うことを考えるときに強く刺激されるようです。例えば、大学生は、自分の恋愛関係や平均学業成績に関して、その損失を想像するようん求められたときの方が、獲得を想像するように求められたときよりもはるかに強い感情を経験しました。とりわけ危険性や不確実性の高い状況では、何かを失うかもしれないという脅威は人間の意思決定において強力な役割を演じます。(P.381)
・文明化された生活をいくつかの単語で表現するとすれば、新奇性、一過性、多様性、加速性ということになるでしょう。(P.439)
・問題は、何かの原因で、普通は信頼性の高い手掛かりが、誤った行為や愚かな決定を行うよう私たちを導いてしまう場合です。これまで見てきたように、その原因の一つが承諾誘導の実践家が使うトリックです。彼らは、相手がよく考えずに機械的で手っとり早い反応をするように仕向け、それによって利益を得ようとしているのです。(P.441)
・私たちの手っとり早い反応の信頼性を脅かすようなやり方で利益を得ようとするあらゆる試み、これこそが本当の裏切り行為であり、最も私たちの耐え難いものなのです。( P.443)

プロフィール

<<2017年11月>>
登録数0 件
購入金額- 円
読了数0 冊
購入金額 (月別)
  • 3500
  • 3000
  • 2500
  • 2000
  • 1500
  • 1000
  • 500
  • 12
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
読了数 (月別)
  • 2
  • 12
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
タグ (15)
2 自己啓発
1 心理
1 文庫
1 ビジネス
1 コミュニケーション
1 科学
1 社会
1 思考法
1 アドラー
1 心理術
1 植木理恵
1 スピリチュアル
1 瞑想
1 岸見一郎
1 生き方
リンク
ソーシャル
物々交換
アイデア
ユーザー検索
ランキング
ランキング ウォッチ
バインダー読者(0)
-

©2007-2017 読書をつづる〔書評と引用〕 by ぼん・ぼやーじゅ