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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
購入:  2015年01月04日 1,620円 所有
読了:  2015年03月15日 星5つ
孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他社、社会、共同体があり、そこから阻害されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他社を必要とします。 (P70)
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。 (P71)
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そしてわたしたちは主観的な世界の住人である。 (P77)
健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。 (P92)
われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。 (P93)
アドラー心理学では、他社から承認を求めることを否定します。 (P132)
他社からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他社の人生を生きることになります。 (P135)
もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら ~その悩みは対人関係なのですから~ まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他社の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。 (P146)
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他社がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。 (P147)
わたしの提案は、こうです。まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。 (P150)
すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。 (P162)
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。 (P162)
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。 (P163)
幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。 (P163)
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。 (P183)
そこで覚えておいてほしい行動原則があります。われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。 (P193)
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。 (P194)
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。 (P198)
そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。 (P199)
ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他社に貢献できたことを知ります。 (P205)
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。 (P222)
やはり、共同体感覚です。具体的には、事故への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 (P226)
ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。(中略)この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。 (P227)
まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。 (P236)
「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えられないのは、人生の調和を欠いた生き方なのです。 (P248)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押しつけようとします。いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと。でも、人生に線などありえません。(中略)もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。 (P264)
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするようなに生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。 (P266)
人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。 (P275)
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。 (P275)
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない、しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。 (P279)
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。自らの上空に他者貢献という星を掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにある! そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に行きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。 (P280)

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©2007-2017 読書をつづる〔書評と引用〕 by ぼん・ぼやーじゅ