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論語物語 (講談社学術文庫)
下村 湖人 / 講談社 (1981-04-08) / 1,134円166 users
タグ 下村湖人 論語 古典 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 文芸作品 登録日:2013年10月28日 23時47分18秒 2013/10/28
購入:  2013年10月28日 1,050円 所有
読了:  2014年03月30日 星5つ
・剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことじゃ。すなおに天理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心をもちつづけることじゃ。(「申棖の欲」P.82)
・詩でも音楽でも、究極は無邪の一語に帰する。無邪にさえなれば、下手は下手なりで、まことの詩ができ、まことの音楽が奏でられるものじゃ。(「楽長のと孔子の目」P.114)
・音楽の世界は一如の世界じゃ。そこでは、いささかの対立意識も許されない。まず一人一人の楽手の心と手と楽器とが一如になり、楽手と楽手とが一如になり、さらに楽手と聴衆とが一如になって、翕如(きゅうじょ)として一つの機(おり)をねらう。これが未発の音楽じゃ。この翕如たる一如の世界が、機至っておのずから振動を始めると、純如として濁りのない音波が人々の耳朶(じだ)を打つ。その音はただ一つである。ただ一つであるが、その中には金音もあり、石音もあり、それらは厳に独自の音色を保って、けっしてお互いに殺し合うことがない。噭如(きょうじょ)として独自を守りつつ、しかもただ一つの流れに合するのじゃ。こうして時間の経過につれて、高低、強弱、緩急、さまざまの変化を見せるのであるが、その間、厘毫(りんごう)の隙もなく、繹如(えきじょ)として続いていく。そこに時間的な一如の世界があり、永遠と一瞬との一致が見いだされる。まことに音楽というものは、こうしたものじゃ。聞くとか聞かせるとかの世界ではない。まして自分の腕と他人の腕を比べたり、音楽の分かる者と分らぬ者とを差別したりするような世界とは、似ても似つかぬ世界なのじゃ。(「楽長と孔子の目」P.116~117)
・道にかなった忠言には正面から反対する者はいない。だがたいせつなことは過ちを改めることだ。婉曲の言葉はだれの耳にも心持ちよく響く。だがたいせつなことは、その真意のあるところを探ることだ。いい気になって真意を探ろうともせず、表面だけ従って過ちを改めようとしない者は、まったく手のつけようがない。(「犂牛の子」P.120)
・君子は物事を判断したり、自分の進退を決したりする場合に、いつも正義を標準とするが、小人はこれに反して利害を標準にする。利害を標準にしたのでは、真の強さは出てこない。(「行蔵の弁」P.258~259)
・人間、平凡がよい。しかし、その平凡な道を非凡に歩むのだ。そこに『論語物語』の教えがあり、これが『次郎物語』の真意でもある。(「人生の案内者 下村湖人」P.299)

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