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読書をつづる〔書評と引用〕 by ぼん・ぼやーじゅ
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カテゴリ 読書 購入 所有 お気に入り 31 - 40件目 / 289件
イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
安宅和人 / 英治出版 (2010-11-24) / 1,944円1775 users
購入:  2015年08月05日 1,944円 所有
読了:  2015年10月27日 星4つ
イシューを知り、それについて考えることでプロジェクトの立ち上がりは圧倒的に速くなり、混乱の発生も予防できる。目的地の見えない活動はつらいが、行き先が見えれば力が湧く。つまり、知的な生産活動の目的地となるものがイシューなのだ。 (P3)
一般のビジネスパーソン、あるいは学生の場合でも、「この人は」という人を論文・記事・書籍、あるいはブログなどで見つけたら思い切って面会や相談を申し込むといい。また、研究所やシンクタンクのような機関にも話を聞ける専門家は多い。実際、こういう「知恵袋的な人」をもてるかどうかが、突出した人とそうでない人の顕著な差を生むものだ。 (P47)
イシューと仮説は紙や電子ファイルに言葉として表現することを徹底する。当たり前に聞こえるかもしれないが、多くの場合、これをやれと言われてもうまくできない。なぜ言葉にできないのかといえば、結局のところ、イシューの見極めと仮説の立て方が甘いからだ。言葉にすることで「最終的に何を言わんとしているのか」をどれだけ落とし込めているかがわかる。言葉にするときに詰まる部分こそイシューとしても詰まっていない部分であり、仮説をもたずに作業を進めようとしている部分なのだ。 (P51)
イシューを見極めたあとは「解の質」を十分に高めなければならない。解の質を高め、生産性を大きく向上させる作業が、「ストーリーライン」づくりとそれに基づく「絵コンテ」づくりだ。この2つを合わせて「イシュー分析(またはイシューアナリシス)」を言う。これは、イシューの構造を明らかにし、そのなかに潜むサブイシューを洗い出すとともに、それに沿った分析のイメージ作りを行う過程だ。これによって最終的に何を生み出すのか、何を伝えることがカギとなるのか、そのためにはどの分析がカギとなるのか、つまりは活動の全体像が明確になる。 (P103)
ストーリーラインづくりのなかにも2つの作業がある。ひとつは「イシューを分解すること」、もうひとつが「分解したイシューに基づいてストーリーラインを組み立てること」だ。 (P107)
人に何かを理解してもらおうとすれば、必ずストーリーが必要になる。それが研究であれば論文の流れであり、ビジネスであればプレゼンの流れだ。まだ分析も検証も完了していない時点で、「仮説がすべて正しいとすれば」という前提でストーリーをつくる。どういう順番、どういう流れで人に話をすれば納得してもらえるのか。さらには感動・共感してもらえるのか。それを、分解したイシューに基づいてきっちり組み立てていく。 (P126)
優れた分析は、タテ軸、ヨコ軸の広がり、すなわち「比較」の軸が明確だ。そして、そのそれぞれの軸がイシューに答えを出すことに直結している。つまり、分析では適切な「比較の軸」がカギとなる。どのような軸で何と何を比較するとそのイシューに答えが出るのかを考える。これが絵コンテづくりの第一歩だ。定性的な分析であろうと定量的な分析であろうと、どのような軸で何と何を比べるのか、どのように条件の仕分けを行うのか、これを考えることが分析設計の本質だ。 (P151)
基本的に、分析は「原因側」と「結果側」の掛け算で表現される。比較する条件が原因側で、それを評価する値が結果側となる。軸を考えるというのは、原因側で何を比べるのか、結果側で何を比べるのか、ということを意味している。たとえば、「ラーメンを食べる回数によって、肥満度に変化が出る」ということを検証したい場合、原因側の軸は「ラーメンを食べるかどうか」「食べるとすると頻度はどのくらいか」というものになり、結果の側は「体脂肪率」「BMI(体重を身長の2乗で割った値)」などになる。 (P157)
検討報告の最終的なアウトプットは、ビジネスではプレゼンテーション、研究では論文というかたちをとることが多いだろう。これらは第一に聞き手・読み手と自分の知識ギャップを埋めるためにある。聞き終わったとき、あるいは読み終わったときに、受け手が語り手と同じように問題意識をもち、同じように納得し、同じように興奮してくれているのが理想だ。このためには、受け手に次のようになってもらう必要があるだろう。1.意味のある課題を扱っていることを理解してもらう。2.最終的なメッセージを理解してもらう。3.メッセージに納得して、行動に移してもらう。では、そもそも、僕たちの話を聞いてくれる(あるいは読んでくれる)受け手は、どういう人たちだと想定すべきだろうか? 僕が最初に訓練を受けた分子生物学の分野では、講演・発表をするにあたっての心構えとして「デルブリュックの教え」というものがある。これは科学に限らず、知的に意味のあることを伝えようとしている人にとって、等しく価値のある教えではないかと思う。それが次のようなものだ。ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ。どんな話をする際も、受け手は専門知識はもっていないが、基本的な考えや前提、あるいはイシューの共有からはじめ、最終的な結論とその意味するところを伝える、つまりは「的確な伝え方」をすれば必ず理解してくれる存在として信頼する。「賢いが無知」というのが基本とする受け手の想定だ。その上で「イシューからはじめる」という当初から貫いてきたポリシーそのままに、「何に答えを出すのか」という意識を発表(プレゼン・論文)の全面に満たす。シンプルにムダをなくすことで受け手の問題意識は高まり、理解度は大きく向上する。 (P204)
「イシューからはじめる」世界では「何となく面白いもの」「たぶん大切だと思うもの」などは要らない。「本当にこれは面白い」「本当にこれは大切だ」というイシューだけがあればよい。複雑さは一切要らない。意識が散るようなもの、あいまいなものはすべて排除する。ムダをそぎ落とし、流れも構造も明確にする。メッセージドリブン、つまり仕上げの段階では「本質的」「シンプル」という2つの視点での磨き込みを行う。まずはストーリーラインの構造を磨き、その上でチャートを精査する。 (P207)
優れたプレゼンテーションとは、「混乱のなかからひとつの絵が浮かび上がってくる」ものではなく、「ひとつのテーマから次々とカギになるサブイシューが広がり、流れを見失うことなく思考が広がっていく」ものだ。こうしたかたちを目指す。最終的なメッセージを明確な論理の流れのなかで示していくことが理想だ。この話の流れを書き込むためには、リハーサルをやりながら手を入れていく、という方法がお薦めだ。僕は通常2つのステップでリハーサルを行っている。最初が「紙芝居形式の荒磨き」、次が「人を相手にした細かい仕上げ」だ。 (P211)
僕はこれまでの経験から、優れたチャートが満たすべき条件というのは以下の3つに収斂すると考えている。1.イシューに沿ったメッセージがある。2.(サポート部分の)タテとヨコの広がりに意味がある。3.サポートがメッセージを支えている。「何だ、これだけか」と言われるかもしれないが、この3つの条件がひとつでも外れると致命的だ。 (P218)
チャートを磨き込むためには、「優れたチャートの3条件」に対応した次の3つの作業を行う。1.1チャート・1メッセージを徹底する。2.タテとヨコの比較軸を磨く。3.ネッセージと分析表現を揃える。 (P220)
僕が米国での研究時代にお世話になったある教授に言われ、今でも大切な教えにしている言葉がある。「どんな説明もこれ以上できないほど簡単にしろ。それでも人はわからないと言うものだ。そして自分が理解できなければ、それをつくった人間のことをバカだと思うものだ。人は決して自分の頭が悪いなんて思わない」 (P222)
いま、すぐはじめる地頭力 (だいわ文庫)
細谷 功 / 大和書房 (2011-08-11) / 2,300円53 users
購入:  2015年08月05日 756円 所有
読了:  2015年09月22日 星4つ
三つの要素が地頭力のベースとなるものです。最上層が、「仮説思考力」「フレーム思考力」「抽象化思考力」の三つの思考力です。ひとことで表現すると、仮説思考とは「結論から」考える思考のこと、フレームワーク思考とは「全体から」考える思考のこと、抽象化思考とは「単純に」考える思考のことです。ベース(知的好奇心・論理思考力・直感力)と三つの思考力は、パソコンのOSとアプリケーションソフトの関係のようなものです。これらはつねにセットで機能します。 (P40)
地頭力を使った問題解決の手順をまとめると、次のようになります。①まず、解決したい課題の結論を想定して課題解決に取り組む(結論から考える=仮説思考)。②次に、課題の全体像を捉えて(全体俯瞰)、複雑な課題対象を特性別に分類した後に一つずつ取り組める程度の難易度に分解し、さらにそれらの中からいちばん重要度や難易度が高いところから着手していく(全体から考える=フレームワーク思考)。③そうやってかみ砕いた対象を一般化・抽象化・単純化して問題を解いていく(単純に考える=抽象化思考)。 (P52)
「考える」には、「考えはじめる」という高い敷居があります。では、どうすれば「はじめる」ことができるのでしょうか。それは「意識」すること、つまり「心がまえ」を持つことです。①時間に対する感度を上げる、②知的依存心を捨てる、③自分の「思考のクセ」(思いこみ)を徹底的に認識するという三項目が、「考えはじめる」だけでなく「続ける」ための要件でもあります。「はじめる」ことができても「続ける」ことができなければ、振りだしに戻ってしまいます。呼び覚ました地頭力を維持し続けるためには、これら三つのポイントをつねに「意識」しておくことが非常に重要です。 (P60)
仮説思考することのメリットは、結論をある程度想定しておくことで最終結論に至るまでの情報収集や分析の作業を最短かつ最小の労力にできることです。仮説思考というのは応用範囲が広く、「最終目的地からさかのぼって考える」という解釈をすると、「こちら側から」でなく「向こう側から」にベクトルを逆転させて考えること、あるいは最終目的地から「逆算して」考えることと定義することができます。そう考えれば、広義の仮説思考というのは、「現在から」でなく「将来から」考える、「手段から」でなく「目的から」考える、あるいは「できることから」でなく「やるべきことから」考える・・・・・といったように非常に応用が利いて、かつ思考回路を転換させるのに大きな効果が期待できる考え方であるといえます。 (P86)
仮説思考は、結果を志向する「プロのための」思考ツールといえるでしょう。 (P99)
仮説思考するために最も重要なことの一つは、「切羽詰まった状態をつねにつくる」ことなのです。これはすなわち、「時間をつねに人一倍大事に考える」ことにほかなりません。つまり、「目覚まし時計が鳴っている」状態を作っておくのです。 (P101)
いま、すぐ「単純に」考えるための七項目:①自分の仕事の内容を小学生にわかるように説明してみる。②最近出会った新しい概念やツールを「たかが△△、されど△△」の△に置いてみて、どこが「たかが」で、どこが「されど」なのかを考えてみる。③自分の環境(事情)が、他人と比べて本当に特殊なのかどうか再考してみる。④仕事の手法が恋愛に適用できないか考えてみる。逆も同様に考えてみる。⑤大好きな人の短所と、大嫌いな人の長所を探してみる。⑥一見、まったく違うように思える職種をピックアップし、自分の職種との共通点をあげてみる。⑦身近な「おやじギャグ」をピックアップし、その面白さ(つまらなさ?)を分析してみる。 (P203)
フェルミ推定では、正解に近い解答を算出することが必ずしも求められるわけではありません。重要なのは、どういう思考プロセスを経てその解答に至ったかということです。たとえばあなたが男性ならば、一般的な女性が美容室に行く頻度はあまり知らないかもしれませんが、「仮にこのくらいだったら」と仮定して算出しておけば、あとからその精度を上げていくことができます。重要なのは、限られた時間と情報で、できるだけの推論を展開するということです。「わからなくてもやってみる」「情報が足りなくてもやってみる」が、「結論から考える」仮説思考の発想です。また、フェルミ推定では、思考回路や発想の転換が求められます。細かい計算よりも思い切った発想ができるかどうかが、ポイントです。 (P210)
フェルミ推定は、考え方のパラダイムシフト(根本的な転換)の訓練ツールです。表面的な計算だけでなく、問題を解くときの手順・考え方から以下のような思考回路の転換を図れば、「世界が違って見える」瞬間は、もうすぐです。「結論から・全体から・単純に考える」というイメージトレーニングをできるのが、フェルミ推定なのです。 (P218)
さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
購入:  2014年06月15日 1,944円 所有
読了:  2015年08月13日 星3つ
わたしたちの苦しみのほとんどは、実は、自分でつくっているものなんです。厳密に言うと、思考がこしらえているということになりますが。言うなれば、わたしたちは、必要のない苦しみを自分から背負っていることになります。これは、「すでにそうであるもの」に対する「拒絶」や、無意識のうちの「抵抗」が原因です。思考は物事に対して「決めつけ」をするものですが、すると、必然的に、ネガティブな感情がわき上がってしまうのです。苦しみの度合いは、自分がどれくらい「いま、この瞬間」に、抵抗しているかに比例しています。これは同時に、どれだけ自分が思考とひとつになっているか、という度合いをも示しています。思考は「いま、この瞬間」を嫌っているので、いつもそこから逃げようとしているからです。思考を「ほんとうの自分」とみなすほど、苦しみは増すばかりです。でも、それは見方を変えると、こういうことにもなりませんか? ・・・「いま、この瞬間」をあるがままに受けいれるほど、痛みや苦しみはなくなる。 (P52)
生きることの秘訣は、「(肉体が)死ぬ前に死ぬこと」であり、しかも「『ほんとうの自分』は死なない」と、さとることだと言えるのではないでしょうか。 (P68)
現在の自分の心が、過去の重荷を背負っていると、未来にも同じようなことを、いっそう強く経験するようになります。十分に「いまに在ない」と、過去はどこまでも、わたしたちを追いかけてきます。いまの、「自分の意識」が、未来をつくっているのですから、それをしているのも、もちろん「いま」です。 (P86)
現時点での意識が未来をつくっていると言いました。では、いったいどうすれば現在の意識を高められるのでしょう? それは「いまに在ること」です。真の変化が起こり得る唯一の時は、「いま」であり、過去を溶かせる唯一の場所も「いま」しかありません。 (P86)
わたしたちは「未来に」自由になることは、できないのです。「いまに在る」ことが自由へのカギであり、わたしたちが自由になれるのは「いま」しかありません。 (P87)
「いま」に意識を集中させて、「いま、この瞬間」どんな問題があるか、挙げてみてください。
答えがありませんね。それでいいのです。「いま」に完全に意識を集中させていれば、問題を抱えることなどできません。処理すべき、受けいれるべき状況は、たしかにあるでしょう。でも、なぜ「状況」を「問題」に変えてしまうんでしょう? 生きること自体が十分チャレンジではないですか?
どうしてわたしたちは、なんでもかんでも問題にしてしまうんでしょう? その理由は、思考が無意識のうちに、問題を愛しているからです。なぜでしょう? それは思考に存在価値を与えるからです。これは人間にとってごくあたりまえのことであると同時に、「苦しみと不幸」の根源なのです。「問題を抱えている」ということ自体、意識が「人生の状況」にどっぷりとつかり、気づかないうちに、それが自分の一部になってしまっていることを意味します。人生で遭遇する「状況」に圧倒されるあまり、ほんとうの意味の「人生」を失ってしまっているのです。または、「いま」できる、ひとつのことに集中するかわりに、自分がこれからやるべき百のこと、という「重荷」を背負って、自分の心を押しつぶしているのです。
問題をこしらえるということは、すなわち、痛みをこしらえることです。わたしたちがとるべきステップは、とても簡単な決断をすることだけです。「どんなことが起きようと、わたしはもう二度と『状況』を『問題』に変えて、自分に痛みを与えない!」こう決断することです。とても簡単に聞こえますが、天地がひっくり返るくらいドラスティックな改革です。 (P92)
なんであれ、文句を言うということは、必ず「すでにそうであるもの」を拒否していることを意味します。それはひとつの例外もなく、ネガティブエネルギーを発しています。文句を言う時、あなたは自分を被害者にしたてあげています。わたしたちが言葉を発する時には、自身に備わるパワーを行使しているのです。ですから、文句を言うかわりに、なんらかの行動をとるか、はっきりと発言するか(それが必要であり、かつ可能であるなら)、もしくはその場を去るか、受けいれることで状況を変えるのです。これ以外の行動はすべて非生産的です。 (P113)
肝心なのは、意識して「いまに在る」こと。それだけです。これが、過去を溶かせるからです。これが変化を起こす唯一の触媒です。ですから、過去を知ろうと、答えを探してはなりません。そのかわり、できるかぎり「いまに在る」のです。過去は「いまに在る」人の中では、姿を消すほかに道がありません。わたしたちの「不在時」のみ、それは生存できるのです。 (P126)
「大いなる存在」は、「名前やかたちを超えた『わたし』は、永久に存在する」、という感覚で、認識できます。「大いなる存在」を認識し、その状態にしっかりとどまることが、「さとりをひらくこと」なのです。イエスの言った、「あなたを完全に自由にする真実」とは、このことです。 (P147)
言葉にしばられないでください。言葉はあくまでも、目的に到達するまでの手段なのです。言葉は抽象概念です。道しるべとなんら変わりなく、言葉はそれ自身を超えたものを指しているのです。「はちみつ」という言葉は、「はちみつ」そのものではありません。はちみつについて研究したり、論じたりすることはできても、肝心のはちみつを味わうことをしていなければ、それを、ほんとうに知ったことにはなりません。はちみつをいったん味わってしまえば、言葉には、こだわらなくなります。これとまったく同じ理屈で、神について生涯にわたり、思惟をめぐらしたり、語り合ったりしても、それで神を知っていることにはならないのです。そんなことをしても、神の実体を、一瞬でも、かいま見たことにはなりません。「道しるべ」や「偶像」へのこだわりで終わってしまいます。 (P148)
心が思考に占領されているかぎり、わたしたちは「大いなる存在」と断絶しています。大半の人が、持続的にこの状態にあるわけですが、この人たちは、意識をすべて思考活動につぎこんで、自分のからだを「留守」にしているのです。思考は暴走し、歯止めがきかなくなります。「自分の思考をとめられない」という症状は、大規模で蔓延している「病」であると言っても、言いすぎではないでしょう。これに「発病」すると、思考活動をよりどころにして、自分のアイデンティティをつくってしまいます。「大いなる存在」に根ざしていないアイデンティティはもろく、こわれやすいために、いつもなにかを求めるようになり、心の底に「恐れ」をこしらえます。そうなると、人生から一番大切なものが、欠落してしまいます。それは自分の内奥にある「大いなる存在」への認識です。
「大いなる存在」を認識できるようになるには、思考から意識を解放しなければなりません。これが、わたしたちの「魂の旅」の中で、もっとも大切な仕事のひとつです。無益で強迫的な思考活動に消費されている、ばく大な量の意識を解放するのです。意識を解放するのに効果的な方法は、思考活動を止め、インナーボディに意識を向けることです。インナーボディは、肉体に生命を与える、見えざるエネルギー場であり、「大いなる存在」が感じられる場所なのです。 (P151)
意識をすべて、思考と外界に消費しないことです。自分がおこなっていることには、集中すべきですが、それと同時に、できるかぎり自分のインナーボディを感じるのです。インナーボディにしっかりと根をおろしましょう。このようにこころがけることで、意識がどんな風に変化していくか、活動のクオリティに、どんな変化が見られるか、観察してみてください。
たとえどこにいても、待っている時には、インナーボディを感じる時間に充てましょう。そうすれば、車の渋滞や、順番待ちも、楽しいひと時に変わります。頭の中で、「過去」や「未来」を映し出すかわりに、インナーボディに根をおろして、さらに、「いま」に深くはいりこみましょう。
インナーボディへ意識を向けていると、生き方がガラリと一新します。「大いなる存在」につながっている時間も増え、人生に奥行が加わります。
インナーボディに根をおろしていると、「いまに在る」ことが容易になります。外界でどんな出来事が起ころうと、わたしたちはびくともしないのです。「からだに住まう」ことは、「いまに在る」ためには、欠かせません。 (P159)
「いまに在ること」は「まったき意識」になることです。思考から解放された意識になることです。インナーボディは、わたしたちと「目に見えない世界」をつなぐ接点です。「目に見えない世界」は、インナーボディのさらに奥にあります。「目に見えない世界」と意識の関係は、太陽と光の関係におきかえることができます。太陽が光を放っているように、意識は「目に見えない世界」という太陽から発せられている光のようなものとみなしていいでしょう。 (P163)
これからは、外界と思考だけに意識を注がないことを、人生の目標にしましょう。どんな時でも、いくらかは、自分の内面を意識しているのです。人と交流している時や自然に接している時には特にインナーボディを感じましょう。インナーボディの奥にある「沈黙」を感じてください。「目に見えない世界」の入口を、いつでも開けておくのです。一生をつうじて、「目に見えない世界」を意識していることも、決して不可能ではありません。外界でなにが起こっても、「目に見えない世界」を感じていれば、ゆるぎない心の平安、沈黙を得られます。こうすることで、「目に見えない世界」と「目に見える世界」をつなぐ、パイプ役をしているのです。「神」と「この世」をつなぐパイプ役とも言えます。これこそが「さとりをひらくこと」であり、「大いなる存在」とひとつになることなのです。 (P177)
思考は、時間が、さとりをひらくための条件だと言っているのですが、皮肉なことに、時間こそが、さとりをひらくうえで、「最大の障壁」なのです。
わたしたちは、自分がまだ完璧でないから、十分でないから、という理由で、いまこの時点の自分では、「そこ」に到達できないと考えるものです。しかし、真実は逆なんです。「いま」「ここ」だけが、わたしたちが「そこ」に到達できる唯一の地点なのです。自分はすでに「そこにいる」、と気づくことで、「そこに到達できる」のです。神を探し求める必要などない、と気づいた瞬間、わたしたちは神を見つけるのです。
結局、さとりをひらく唯一の方法などというものは、存在しません。どんな状況にいても、さとりをひらくことができますが、特定の状況が必要だということではないのです。しかし、さとりをひらける地点はただひとつです。それは「いま」です。「いま」からはなれた地点でさとりをひらくことなど、絶対にないのです。 (P198)
人間関係は、わたしたちを幸福にするのではなく、わたしたちを「目覚めさせる」ためにあるのだと知っていれば、さとりをひらくチャンスにできます。 (P213)
ペインボディは、一時的に内面に居座ってしまった、自由に流れず、滞留してしまった生命エネルギーです。ペインボディは、過去のなんらかの経験によるものであり、その人の中で生き続けている過去なのです。
つまり、ペインボディをアイデンティティにすることは、過去をアイデンティティにすることを意味します。「わたしは、被害者です」というアイデンティティは、「『いま』よりも、過去のほうがパワーを持っている」という信念に基づいています。ということは、他者や、他者のしたことが、現在の自分の、感情的痛みの原因であり、「ほんとうの自分」でいられないことに責任を負っていると信じていることになります。しかし、これは真実ではありません。「唯一のパワーは『いま、この瞬間』以外には存在しない」というのが、事実なのです。唯一のパワーは、「いまに在る」ことで生まれるパワーです。いったんこの事実をのみこめたら、現在の自分の心のあり方に責任があるのは、自分自身であり、ほかの誰でもないということがわかるはずです。さらに、過去は「いまのパワー」に歯が立たないということもわかるでしょう。 (P225)
かたちの面では、この世のものはみんな、不安定な性質と、滅びゆく運命を分かち合っています。しかし、「大いなる存在」の次元では、光り輝く永遠の生命を分かち合っているのです。これらが、憐れみのふたつの面なのです。 (P262)
「手放すこと」は、人生の流れに逆らうよりは、それに身を任せるという、シンプルでありながらとても奥の深い「知恵」なのです。人生の流れを実感できる場所は、「いま、この瞬間」しかありません。「手放すこと」は、「いま、この瞬間」を、なんの不安も抱かずに、無条件に受けいれることです。「すでにそうであるもの」に対する心の抵抗を、捨て去ることです。
心の抵抗とは、思考の決めつけやネガティブな感情によって、「すでにそうであるもの」を拒絶することです。物事が思いどおりにいかない時、「こうでなければならない」、という自分の要求や期待と、事実との間にギャップがある時、この傾向は特に顕著になります。これが「痛みをこしらえるギャップ」です。長年生きていれば、「思いどおりにならないこと」にちょくちょく出くわすことは、もうご存知でしょう。痛みや悲しみをこしらえたくなかったら、そういう時こそ、、「手放すこと」を実践するのです。「すでにそうであるもの」を受けいれたとたん、思考から解放され、「大いなる存在」につながることができます。物事に抵抗するのは、思考のさがなのです。 (P272)
思考は常に、既知のものにくっつこうとします。思考にとって、未知のものはコントロールがきかないため、危険なのです。これが、思考が「いま、この瞬間」を嫌がり、無視しようとする理由です。「いま」に在ると、思考の活動にすきまをつくるだけでなく、「過去 → 未来」という一本につながった時間軸にも、すきまをつくります。そのすきま、「無限の可能性を秘めた、クリアーな空間」以外からは、ほんとうの意味で新しく、創造的なものは、誕生できません。 (P301)
「すでにそうであるもの」を受けいれ、完全に「いま」に在れば、過去はパワーを失ってしまいます。過去など必要なくなるのです。「いまに在ること」、これがなによりも肝心です。 (P304)
PRESIDENT (プレジデント) 2015年 8/17 号
プレジデント社 (2015-07-27) / 750円16 users
購入:  2015年08月05日 750円 所有
読了:  2015年08月05日 星4つ
伝わっているか?
小西利行 / 宣伝会議 (2014-06-09) / 1,512円164 users
購入:  2015年07月17日 1,512円 所有
読了:  2015年08月02日 星3つ
文章を書く時に「いらない言葉」をなくそうと思うだけで、メキメキと文章が上達する。「いらない言葉」が多いと、面倒に感じて文章を読みたくなくなるし、読んでも、混乱させるだけだからな。 (P25)
「だけしか」は、伝わるメソッドの基本だ。 (P28)
普段知ってるモノでも、人・場所・時間を限定すると「特別なモノ」になる。そして、それなら見てみたい、それなら食べてみたいという気持ちが生まれるんだ。特に「旬」は、日本人には良く効く限定だな。 (P34)
人は、みんなと違うと心配になる。だから、みんなが行ってる、みんなが持ってるという情報は、「そうしてれば大丈夫」という「安心」と、「そうしなきゃヤバい」という「焦り」を生む。その2つは強く心を動かすんだ。 (P42)
答えは、いつも、相手の中にある。 (P53)
「伝える」のと「伝わる」のじゃ、結果が全然違う。好きになった女のコに、突然「好きです」ってコクるのが「伝える」ってこと。好きだというこちらの気持ちに相手が共感して、こちらに好意を持ってくれるようになるのが「伝わる」ってこと。 (P54)
そう。実はその「嬉しい」ってのが「伝わる」ためのキーワードだ。できるだけ相手の嬉しいことを言う。そうすれば、気持ちが伝わりやすい。「嬉しい」は「伝わる」の始まりなんだ。 (P55)
大切なのは、相手のことを考えるんじゃなく、相手の立場で考えることなんだ。 (P61)
この時代、何かを話題にするためには、人から人へとシェアされる方がいい。だから、面白さがカンタンに人に伝わるように、13文字ぐらいの短い文章で「ネタ化」することが必要なんだ。 (P122)
コンセプトってのは、目的と方法が書かれている設計図のようなものだ。聞いただけで、その仕事に関わる全員が、何が目的で、自分が何をすればいいかがわかる。それがコンセプト。 (P132)
これからは「社内価値」よりも「市場価値」が大切だ。社内にゴマをすって褒められるより、世の中で認められる仕事をした方が未来がある。 (P133)
これがアイデアをつくる公式だ・・・
[新しい+テーマ]×[ターゲットが好きそうな言葉]=[アイデア] (P138)
世の中にある新しいビジネスのほとんどが、ムズカシイことをカンタンにすることで生まれてるんだ。 (P170)
本当の課題を見つけたら、問題の8割は解決してると思っていい。解決力も大切だけど、課題を見つける「課題力」も大切なんだ。 (P226)
エコノミスト 2015年 7/21 号 [雑誌]
毎日新聞社 (2015-07-13) / 670円4 users
購入:  2015年07月17日 670円 所有
読了:  2015年07月18日 星4つ
ブッダの瞑想法: ヴィパッサナー瞑想の理論と実践
地橋 秀雄 / 春秋社 (2006-05-22) / 2,268円85 users
購入:  2013年12月27日 2,205円 所有
読了:  2015年05月03日 星4つ
もし名前を一切つけずに、たくさんの重要ファイルをパソコンに保存してしまったら、どのように呼び出せばよいのか途方にくれるでしょう。記憶データがいくら豊富でも、自在に読み出せる装置がなければ、知的活動を営むことはできないのです。優れた言語野が搭載され、豊かな言葉と文法の力を獲得したことによって、人類は、蓄えた情報を自在にコントロールする知性の基盤を確立し、記憶の想起も、未来の想像や予測も、考察も、哲学的思索も、その他諸々の精神活動を深化させていったと考えられます。 (P49)
サマーディの合一感覚に加えて、今の状態を超えようとする「超越」の要素が働かないかぎり、本物の「瞑想」とはいえません。二つのものが融合し主体と客体が合一する実感と、超越を志向する左脳の働きが協働し始めた時こそ、瞑想の起源であったと言ってよいでしょう。 (P53)
事実の世界と概念の世界を厳密に識別し、事実の世界の本質を洞察していくのがヴィパッサナー瞑想です。 (P65)
ヴィパッサナー瞑想の最重要ポイントは、「心をきれいにすること(清浄道)」と「事実をありのままに観ること(如実智見)」、そして「法と概念を明確に識別すること」です。これらはヴィパッサナー瞑想の原点であるばかりではなく、原始仏教の根本的な教理に直結しています。この三点が明らかになれば、ヴィパッサナー瞑想と原始仏教の本質を捉えることができるでしょう。 (P69)
ヴィパッサナー瞑想を正しく修行するためには、まずこの「法(実在・真実の状態)」と「概念(イメージ・思考・妄想)」とを明確に識別する仕事から始めます。 (P70)
ヴィパッサナー瞑想は、思考を止めて、事実をありのままに観ることができれば、一切のドゥッカ(苦)から解放されるだろう、という理論に基づいています。苦の原因は妄想にあり、その妄想は一瞬一瞬の事実に基づく「サティ」の技術によって止められます。思考が始まった瞬間、「妄想」「イメージ」とラベリング(言語認識)されると、連鎖しようとする思考の流れが断たれてしまうのです。こうして思考が止まれば、心に入った情報が編集されたり歪められたりすることなく、ありのままに認知されるでしょう。ありのままに観られた事象は夢でも妄想でもない「真実の状態」なので「ダンマ」と呼ばれます。 (P72)
私たちの見るもの、聞くもの、感じるもの、知覚するものは常に誤解と錯覚だらけです。先入観や思い込み、早とちり、思考の編集、エゴの検閲など、諸々の心のフィルターがかかって情報が歪むのです。しかるに、ダイレクトに、直接知覚されたものは情報に歪みがありません。「法」とは情報に歪みがないことです。そしてその「法(ダンマ)」として存在するもの」の本質を見極めていくことがヴィパッサナー瞑想の仕事なのです。真実が洞察されると、間違ったものの見方で生きていた「無明」に愕然として、苦の原因を手放すことができるだろうということです。知識を身につけるのも知恵ですが、仏教では、真実の姿を目の当たりにする意識状態こそが苦を乗り越える智慧であり、「如実智見」と呼ばれます。 (P73)
在家の私たちが直面している多くの苦しみを解放するためには、何よりもまずサティの瞑想が修行されるべきでしょう。マハーシ・システム(ミャンマーのマハーシ長老が世界中に広めたシステム)では、まずサティの瞑想から着手して、並行してサマーディの力を養っていく指導方法です。 (P100)
「サマーディ」とは極度の集中です。集中が極まって対象に没入し、主体と客体の未分化状態にまで達した集中力と理解してよいでしょう。心を一つの対象に釘づけにし、その主体と客体の合一状態を目指す瞑想が「サマタ(止)」です。サマーディの完成はサマタ瞑想のゴールでもあります。例えば、「永遠なもの」「無限なもの」「全知全能なもの」など、至高概念や究極のイメージと合一してしまえば、それ以上はありえないからです。サマーディに入定している間は、「超越」の感覚が内的に体験されます。 (P101)
一方、「ヴィパッサナー(観)」では、サマーディは必要条件ですが、到達点ではありません。決定的な違いは、「観察」のファクターです。概念への集中でなく、「法(ダンマ)」として現れてくる現実の事象を観察していくのです。極度の集中力でその観察がなされていく時に、ヴィパッサナー瞑想のサマーディが完成します。前章で定義した「法」を対象にしたものがヴィパッサナー瞑想であり、「概念」を対象にしたもんのがサマタ瞑想と考えてよいでしょう。 (P101)
いま経験している出来事を一瞬一瞬気づいて確認するのがヴィパッサナー瞑想です。気づきがあればサティがあるのですが、気づきを言語化して認識確定をする仕事を「ラベリング」と言います。ラベルをペタペタ貼っていく要領で、現在の瞬間の出来事を「言葉確認」していくのです。 (P127)
「現象が先、確認(ラベリング)が後」という原則を覚えてください。たとえ千分の一秒であれ、経験する心と確認する心は時系列であって、同一の瞬間に生起することはありません。感じながら同時にラベリングをしているというのは偽りの印象です。センセーションを感じることにすべての注意を没入させる。感じられ、認識されたものを確認する。この連鎖が良い修行です。足の動きにダブらせて機械的にラベリングをしていると、自己暗示をかけているようにトロリとしてきたり、別のことを妄想しながら「右」「左」・・・・・とうわの空のラベリングになっていたりします。しっかりセンセーションを感じることが、ダンマを捉えることにつながります。 (P131)
ヴィパッサナー瞑想は、他人ではなく自分の心と体の現象に気づき、その変化過程を観察していくものです。理想形を追求する発送ではなく、ありのままの現状の確認です。 (P132)
中心対象以外でも、心がはっきり経験した優勢な現象にはサティを入れるのが原則です。ヴィパッサナーは現在の瞬間に気づいていく瞑想です。今この瞬間に、自分の心と体に何が起きているか。常に自覚的に、現在の瞬間を間断なく捉え続けることが、妄想、ひいては煩悩を離れていく修行になるのです。中心対象に集中することを至上の義務のように考える必要はありません。集中のよい時もあれば、散漫な時もあります。どちらも必然の力が働いた結果であり、散漫な時には、中心外の音や妄想に入れるサティが多くなるだけの話です。ヴィパッサナー瞑想では、中心対象だけに集中することよりも現在の瞬間を捉え続けること、つまり気づきの持続のほうが大事です。 (P138)
ラベリングは認識を確定するための装置です。簡潔な短い言葉がよいのです。実感に90パーセント、ラベリングに10パーセントの法則を思い出してください。 (P169)
今、自分の心と体に何が起きているのか。経験している事象を正確に、歪めずに、あるがままに観て、その本質まで洞察するのがヴィパッサナー瞑想の仕事です。そのためには、左脳の言葉の仕事をできるだけ少なくして、経験すること、実感すること、観察することそのものに専念すべきなのです。腕が動く一瞬一瞬、そのセンセーションがどのように変化し、推移していくのかをできるだけ明晰に、よく観察し、最後のほうで「動いた」「下ろした」と一回ラベリングするだけでよいのです。 (P169)
自己を客観視する方向からサティを入れるのが、正しいヴィパッサナー瞑想です。 (P175)
心随観は「心の便所掃除」なのだ、と覚悟しておきましょう。ヴィパッサナー瞑想は、汚れた心をきれいにすることによって、苦から解放されていくシステムなのです。 (P196)
原始仏教では、サティの訓練と並行して必ず「慈悲の瞑想」を行います。ヴィパッサナー瞑想の真の目的は、心をきれいにしていくことです。サティの訓練で妄想を止め、あるがままの自分を正確に捉えることができても、最終的に私たちの心の反応パターンが変わらなければ、今までと同じような貪・瞋・痴の振る舞いで反応してしまうでしょう。慈悲の瞑想は、この世で最も崇高な「慈悲」の心を私たちの反応系の心に組み込んでいく訓練です。 (P212)
このヴィパッサナー瞑想という基本精神で、自分の人生全体を生きていくことができれば、たとえ次々とドゥッカ(苦)の現象に見舞われることがあろうとも、最速の乗り超え方で苦境を脱することができるでしょう。そのように、ドゥッカ(苦)から解放されることを願って、提示されたのがヴィパッサナー瞑想です。 (P263)
心をきれいにしてくれる力のある法友に会う、瞑想会など、そうした目的の場所に行く、ダンマ系の本やCDなどを読んだり、聞いたりして、心を転換させてくれる情報に接する、等々の対策を講じておくとよいでしょう。最も強力なのは、法友です。自分よりも優れた、半ば師であるような友、
師友、ダンマフレンドです。心のきれいな徳のある人にまみえることは、強力にこちらの心が聖なる方向に引き上げられます。「自分と同じか、自分よりも勝れた友に親しみ近づくべきである。しかしそのような法友が得られなければ、犀の角のように独り歩め」というのがブッダの教えです。心を清らかに保つためには、悪い者と群れるくらいなら孤独を選べ、という厳しいアドバイスです。そうした真の法友に出会えるように、心から強く祈るとよいでしょう。不思議に、そうなっていきます。 (P264)
仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法
内田 和成 / 東洋経済新報社 (2006-03-31) / 1,728円777 users
購入:  2013年10月28日 1,728円 所有
読了:  2015年03月28日 星4つ
仕事の進め方で大事なことは答えから発想することだ。課題を分析して答えを出すのではなく、まず答えを出し、それを分析して証明するのである。 (P22)
分析は本来、意思決定を早めるために利用すべきものだ。課題に直面したとき、最初に分析を行い、新しい情報を次々に拾い上げると情報洪水に溺れる危険性がある。そうではなく、先に仮説を構築して強い問題意識をもち、問題解決に必要な分析選択して、その情報だけを拾い上げていくことが重要だ。 (P52)
プレゼンテーション用のパッケージは、シンプルでわかりやすいことが大切だ。組織では企画提案や提言の内容が簡単でわかりやすいほど行動に移しやすく、変化が起こりやすい。したがって、提案・提言の前段となるパッケージも、簡単でわかりやすいものでなくてはならない。 (P93)
名刺の裏一枚に書ききれないアイデアは、大したアイデアではない。 (P94)
問題解決のためには仮説が重要で、しかも深く掘り下げたよい仮説でなくてはならない。よい仮説をつくるには、いったん立てた仮説をそれでおしまいにせず、深堀して進化させる必要がある。 (P146)
ちなみにテストマーケティングの対象地としては、静岡、札幌、広島などが選択されるケースが多く、これには、所得分布、嗜好などの面で、全国市場をコンパクトにした平均的な市場と見なし得ること、生きないで完結した広告媒体が存在すること、などの理由がある。 (P162)
なぜ問題の答えが直感的にわかるかといえば、それは仮説と検証の経験によるものだ。よい仮説は、経験に裏打ちされた直感から生まれる。仮説を立てるには経験を積むことが大切だ。少ない情報でよい仮説を立てられるようになるには、経験を重ねるしかない。どんどん仮説を立て、間違っていたら別の仮説を立てる。間違った仮説を立ててしまった場合には、次からは違う要素も加えて仮説を立てることを試みて、仮説を進化させていく。よければその仮説をさらに進化させる。これを繰り返しトレーニングすることだ。 (P196)
トヨタ生産方式の生みの親といわれる大野耐一は、「なぜと五回問え。そうすれば原因ではなく真因が見えてくる」といいながら現場をまわり、トヨタ生産方式を定着させた。 (P200)
仮説思考のよい点は、他人の脳みそを刺激するところにもある。まだ証拠不十分でものを述べるわけだから、一緒に仕事をしている人間でさえ、「えっ」と思うかもしれないし、あるいは、「どうしてそんなことをいえるのか」と反発する人もいるかもしれない。もちろん中には「なるほどね」と感心する人もいるだろう。こうした、反発、共感、賛成、驚きにより新たな創造が生まれるのである。 (P224)
コツはとにかく少ない情報で考えることだ。くどいようだが、情報は多ければ多いほどよい意思決定ができると信じているうちは、仮説思考は身につかない。少ない情報で、情報をたくさん集めた人と同じ質の推論なり課題発見なりができる人が、結局は勝つ。なぜならば、他人が情報を集めている段階で、より深堀した課題に進める、あるいは課題の解決策構築にとりかかれるからである。 (P225)
先見力というと、特定の人だけが先天的に身につけている能力のように思われがちだが、実は仮説と検証を繰り返すことによって身につけていくものなのだ。 (P226)
ビジネスで大事なことは、どれだけたくさん働いたかではないが、どれだけ正確に調べて分析したかでもない。どれだけよい答えを短時間に出して、それを速やかに実行に移せるかである。常に時間とのプレッシャーの中で答えを出すという状況におかれ続けることで、より少ない情報でたしかな答えを出していく度胸がつくことは間違いない。 (P232)
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
購入:  2015年01月04日 1,620円 所有
読了:  2015年03月15日 星5つ
孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他社、社会、共同体があり、そこから阻害されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他社を必要とします。 (P70)
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。 (P71)
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そしてわたしたちは主観的な世界の住人である。 (P77)
健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。 (P92)
われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。 (P93)
アドラー心理学では、他社から承認を求めることを否定します。 (P132)
他社からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他社の人生を生きることになります。 (P135)
もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら ~その悩みは対人関係なのですから~ まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他社の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。 (P146)
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他社がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。 (P147)
わたしの提案は、こうです。まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。 (P150)
すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。 (P162)
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。 (P162)
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。 (P163)
幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。 (P163)
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。 (P183)
そこで覚えておいてほしい行動原則があります。われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。 (P193)
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。 (P194)
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。 (P198)
そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。 (P199)
ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他社に貢献できたことを知ります。 (P205)
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。 (P222)
やはり、共同体感覚です。具体的には、事故への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。 (P226)
ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。(中略)この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。 (P227)
まず、交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。 (P236)
「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えられないのは、人生の調和を欠いた生き方なのです。 (P248)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押しつけようとします。いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと。でも、人生に線などありえません。(中略)もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。 (P264)
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするようなに生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。 (P266)
人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。 (P275)
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。 (P275)
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない、しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。 (P279)
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。自らの上空に他者貢献という星を掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにある! そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に行きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。 (P280)
PRESIDENT (プレジデント) 2015年 1/12号
プレジデント社 (2014-12-22) / 750円19 users
購入:  2015年01月02日 749円 所有
読了:  2015年01月11日

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