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テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る
読了:  2017年02月26日 星5つ
【書評】『テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る』 : なおきのブログ
批判するべからず~『テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る』より : なおきのブログ

<目次>
-刊行に寄せて
-序文
-謝辞
-はじめに
-第一章 思考、行為、そして感情は自ら選んでいる
-第二章 外的コントロールから選択理論心理学への移行
-第三章 頭の中のイメージ写真
-第四章 私たちの知覚カメラにある価値
-第五章 行動を駆り立てるもの
-第六章 創造性と再整理
-第七章 狂気、創造性、そして責任
-第八章 創造的過程としての心身症
-第九章 依存薬物:化学的に制御する誘惑
-第十章 よくある依存薬物(合法、非合法)
-第十一章 葛藤
-第十二章 批判
-第十三章 人生の舵を握る
-第十四章 選択理論心理学と子育て
-第十五章 苦痛や悲惨さを訴えて自分や他人を支配する
-第十六章 健康を選択する
-第十七章 選択理論の活用方法
-監訳者あとがき
-付録
-注
-参考文献
-ウィリアム・グラッサーの受けた表彰
-ウィリアム・グラッサーの著作

2017.02.06 選択理論の本を探して。予約。
2017.02.15 読書開始
2017.02.26 読了
私たちのすることはすべて選択であり、唯一変えられる行動は自分自身の行動だけである、という考えを基盤にしている。そういう理由で、本書の題名は『テイクチャージ』としている。 (P12)
選択理論を身につけるためには、長いあいだ身につけてきた常識、すなわち、周囲で起きる出来事にあなたは反応、応答をしているという考えを放棄しなければならない。
そのため、あなたが慣れ親しんできたものとは違う用語を使っていることに気づくだろう。たとえば、うつはうつ行動、罪悪感は罪悪行動。こうした静的用語(名詞)を行為用語(動詞)に代えることによって、選択をより正確に表現している。こうした行動は代えられることを知ってもらいたい。 (P21)
引用コメント つまり、行動が変われば意識が変わる、ということか。行動分析学やアドラー心理学にも通じるものがありそうだ。また、外的コントロールではなく内面に求めることから、モチベーション3.0にも通じる。
失敗を望む人は誰もいないが、誰一人として同じ成功のイメージ写真を持っていないということを念頭におかなければならない。誰のでもない「あなたの」頭の中にある成功というイメージ写真こそあなたを動機づけ、行動させるのだ。 (P62)
「美しさは見る人が決める」と言われるが、もちろん醜ささも、天分も、偉大さもこれと同様だ。私たちの価値は、良きにつけ悪しきにつけ、すべて私たち自身の内側にある。 (P64)
ヨーロッパの多くの画家は、浅黒い中東の人であるはずのキリストを描かず、彼らの頭にあるイメージ写真どおりの肌の白い北方人種として描いた。 (P67)
私たちは心痛をもたらす行動を選択している。そして、私たちが苦しみうほとんどの惨めさは、私たちの選択だと言っても間違いではなさそうだ。 (P96)
ほとんどの人は病気が創造的過程から生じるとは考えない。狂気が精神的創造性から生じるように、ほとんどの慢性病は、身体的創造過程から生じるようだ。 (P128)
人の生理つまり人体の組織は、一般に古い脳と呼ばれる古代脳の小さな組織構造の指示のもとに、よく整理され、機能しながら健康を保っている。 (P134)
わたしの新しい脳は意識の源である。新しい脳にはわたしのイメージ写真が入っていて、これを手に入れることでわたしの欲求のすべてを満たさなければならない。 (P135)
古い脳が頑固に指示に従うことを拒むと、たいていの人は一時的に落胆する。たとえば、わたしが愛や力という新しい脳の欲求を満たそうと性行為に及ぼうとする。この決断は厳密に新しい脳のものだ。わたしは頻繁にセックスをしているので、古い脳による静的解放欲求がない。しかし性行為を成功させるためには、わたしの古い脳が進んで性器の準備をしなければならない。もし身体が付かれているときに性行為をしようとすると、古い脳が身体的理由で性器の準備をしないかもしれない。こうなればわたしは性行為をすることはできない。 (P137)
古い脳が指示を受け、走り続ける能力の限界を超えたとき、過去に成功したマラソンの生理された行動はすべて使い尽くされたのだ。ちょうど、新しい脳が、行う、考える、感じることを使い尽くすとき、新しい整理された心理行動を受け入れはじめるように、古い脳がいくつかの再整理された生理行動を受け入れる。しかし新しい脳の場合と同様、古い脳が創造した生理行動が、古い脳がその誕生以来使ってきた、よく整理された行動よりもすぐれているという保証はない。また、新しい脳のように、もし古い脳が創造したものがこれまで使ってきたものよりすぐれてはいないと判断すれば、今あるものが不十分でも使えるかぎりはそれを使い続けようとする。しかし、最終的に今使っているものがまったく訳に立たなければ、生きて走り続けられることを願いながら、思い切って新しい生理行動を使わなければならない。 (P139)
引用コメント 創造は新しく造り出すこと。必ずしも造り出したものがよいとは限らない。
空想にふければふけるほど、大きな戦いに備えるためのホルモンが伝達信号として彼の古い脳に送り込まれた。古い脳は空想か現実かの区別を知らない。わかっていることは、新しい脳から送られたホルモンに従い、差し迫った戦いに身体を備えることだ。 (P142)
ほとんどの生理学者は、人の身体は何年も続く長期の生理的緊張に対処しながらも、健康を維持できるレベルにまだ至っていないと信じている。いまだに身体的いは2000、3000年前と同じだ。その当時は締め上げるというアイデアをもったら、すぐに実行した。勝つか負けるか、即座に決着がつき、終わればリラックスすることができた。何年も続く空想が、新しい脳から古い脳に伝達され、それがもたらした慢性の緊張は、複雑な文明の産物である。それはたいてい私たちの病気の原因となる。 (P142)
ほかの多くの心身症があるなかで、すべてではないが、そのほとんどが免疫系等の再整理にかかわている。(中略)新しい脳が送る長期的な推敲の難しい指示を、古い脳が実行するのを助けるために、免疫系統は無意識のうちに正常組織を攻撃する。これらの病気の場合、免疫系統の助けは不必要なだけでなく、破滅的でもある。この免疫系統による正常細胞への攻撃を、医学は「自己免疫疾患」と名づけた。(中略)免疫系統はつねに狂った方法で再整理をし、そのあげくに正常組織を異質な組織であるかのように誤解し、攻撃し破壊する。 (P145)
なぜ免疫系統の創造性がこのような形をとるのか、そしてなぜある組織を攻撃し、ほかは攻撃しないのかについては未だ解明されていない。この創造的な免疫が正常な関節を攻撃するとき、リウマチ関節炎と診断される。脊柱が攻撃される脊椎炎となり、消化管が攻撃されるとその結果、回腸炎もしくは大腸炎になる。もし神経の鞘を攻撃すると、多発性硬化症、腎臓だと糸球体腎炎、皮膚だと湿疹と診断される。ほかにもまだ多くの原因不明の自己免疫疾患があるが、これらの疾患はとりわけ一般的だ。ほぼすべての心身症に共通しているのは、アランのように人生が長期的に制御できていないことだと考えられる。 (P146)
わたしのために役立つものは、わたしの古い脳とその免疫系統だ。そしてわたしが人生の舵取りをうまくすればするほど、わたしの新しい脳と古い脳の関係がよくなることをわたしは知っている。そしてこの関係がよくなればなるほど、わたしの古い脳はわたしの人生のために、より創造的に闘ってくれる。 (P153)
1940年ドイツ陸軍がフランスとローランドに奇襲戦を仕掛けたときに、連合軍には彼らのスタミナと残忍性に匹敵するものがなかった。ドイツ軍は、憑かれたように戦い、実際憑かれていた。彼らの薬剤師たちは、メタアンフェタインを合成していた。これは安価であるが強力で、睡眠や食料がわずかでも一度に何週間も激しく戦えるエネルギーを与える薬物だ。 (P194)
正確な数はわたしにも誰にもわからないが、わたしの長い経験によると、主として化学的不均衡でうつになっている人が一人いれば、一万人から二万人もの人が人生で制御を失ってうつになっているのではないかと思われる。それにしても、莫大な量の抗うつ剤や抗精神病薬が、存在しない病を癒すのではないかとの無駄な望みを持ちながら、処方されている。 (P203)
私たちが葛藤を抱えているときに、何をしても、私たちの欲しているものと得ているものとの間にいつも違いがある。この違いを小さくしようとして、行動のシステムは満足できる行動を産み出そうとする。しかし、この試みは不可能であることを認める能力は持ち合わせていない。こういう理由で、私たちが葛藤を抱えているときに、できることは何もないとわかっていても、何かをしなければならないという感じを持ち続ける。満足の行く行動を必死に探していると、行動のシステムはより一層創造的になる。 (P210)
葛藤は長期にわたる深刻な苦しみのもっともよくある原因の一つだ。なぜなら私たちが真の葛藤を抱えているとき以上に制御を失う場所はないからだ。 (P211)
真の葛藤はよくあることではない。私たちは真の葛藤に見えてもそうではない状況によく身を置く傾向がある。
こうしたよくある状況は、見かけの葛藤と呼べて、一つの行動をとればいつでも葛藤が解決するのであるが、この行動は葛藤について苦情を言う人が滅多にとらないものだ。 (P211)
引用コメント 例:ダイエット
忘れてならないことは、人はよく葛藤について愚痴をこぼし、私たちを支配しようとすることだ。 (P213)
真の葛藤と見せかけの葛藤の違いを私たちのほとんどが理解していないので、こうした状況にまずい対応をする傾向がある。私たちのすることは、まさに効果のあるやり方の正反対だ。私達はまるで熱心に取り組めば解決するかのように葛藤に対処するが、そうはならない。そして、見せかけの葛藤に対しては、まるで私たちにできることがないかのように取り組むが、つねにできることがある。 (P214)
真の葛藤が惨事になるのは、解決策がないというだけでなく、解決策を見出そうとする試みに小休止がないからだ。 (P214)
自らを惨めさ、そしてすでに選択している自己破壊から救い出す唯一最善の行動は、真の葛藤の場合、意識的にそして完全な気づきをもちながら受身になって、葛藤を解決しようとしないことだ。 (P215)
どんな状況でも時間と共に変わるものなので、あなたが忍耐深く待っているうちに状況が変わり、選択できる状況になるかもしれない。待てば一つの選択が浮き上がってきて、疲れも遥かに少なく、選んだものに対処することが容易になる。 (P216)
すべての生き物のなかで、私たちだけが大きな葛藤を抱えて苦しむので、この葛藤を解決する方法の一部として、道徳の仕組みをつくり出した。 (P222)
もし私たちが自分の人生の舵を取りたいなら、<真の葛藤の渦中にいる人を導くようなありきたりの道徳規範は存在しない>という事実を受け入れなければならない。 (P223)
自分の人生を制御するためには、近くにいる人々との間に良好な人間関係が必要であることを、読者はこれまでに気づいていると思う。 (P232)
夫婦、親子、教師と生徒、雇用主と従業者のような人間関係で、うまくいっているものをよく注意してみると、人間関係をよいものにしているのは、気遣い、尊敬、そして共通の目標があることがわかる。 (P232)
批判的な言葉は、皮肉、からかい、誇張表現の形をとる。長い年月をかけて私たちは、お互いを蔑む無数の策を考えてきた。 (P232)
批判は私たちが口にする以上のものだ。お互いに不快感、侮辱、あるいは憎悪すらもってみることだ。 (P233)
私たちはお互いをあまりにも批判するだけでなく、多くの人はこの批判という行動を讃えて、建設的な批判と呼ぶ。わたしが建設的な批判と思うことも、人はほとんどつねにこき下ろされたと取る。 (P233)
人々は、自分の知っている人から教えられるよりも、そのとき招かれて来た外部の専門家が教えるほうが受け入れやすい。「預言者は自分の故郷では敬われない」という理由は、同じ組織に所属するセミナー講師は教師とみられないで、競争相手と見られるからだ。 (P234)
自分の求めている結婚と、手にしている結婚との間に大きな違いがあることに気づいたとき、この差を縮めようとする以外に選択の余地はない、これをするためにほとんどの既婚者が知っている唯一の行動を選択する。それが批判することだ。相手が自分のイメージ写真に達していないと批判する。私たちは力の欲求に駆られて、批判することを選択し、人間関係についての自分の見方を相手に強制しようとする。 (P236)
批判が破壊的になるのは、批判された人があまりにも突然に苦痛をおぼえ、二人の間に大きな違いがあることに気づくからだ。 (P237)
わたしがあなたに何かをお願いしたとする。拒否されればわたしは不幸であることを選択するかもしれない。しかし、それを頼むわたしは間抜けで、元萌えているものも馬鹿げていると指摘されれば、おそらくわたしはすべての制御を失ってしまう。制御を取り戻そうとして必死にわたしがすることは、ほとんどつねに怒ることだ。(中略)
批判ほど大きく、早く制御の喪失感に至るものはほかにない。批判されたときに制御を取り戻すことはどんな状態よりも困難だ。 (P240)
不幸なことに親しくなればなるほど、自分に親しい人々に、もちろん建設的にではあるが、<彼らのしていることはよくない>、そして<自分たちの言うとおりにするほうが遥かによい>と告げることは、自分たちの権利であるだけでなく義務でもあると私たちは信じている。 (P243)
おそらく批判の中でも、もっとも油断のならないものは、自己批判だろう。あなたがわたしを批判すれば、わたしはあなたからたいてい逃げられる。しかし、わたしが自分を批判すれば、どこにわたしは逃げることができるだろう。
(中略)
私たちが残酷な自己批判で自らを鞭打つことをすればするほど、自分たちが得たいと思っているものと、自分が得ているものとの差が一層増大する。この差の増大に対処するために、私たちは通常落ち込みか、アルコールを飲むことを選択するようになり、さらには創造的行動を選択する方向に向かえば自殺することすら考える。 (P244)
もし私たちが自分の人生を制御したいと願うなら、他の人を批判しない生き方を学ぶだけではなく、自分自身を批判することを同様に避けなければならない。わたしは有益なモットーによって生きている。「わたしは自分自身を批判しない。なぜなら、わたしのために批判してくれる人が十分すぎるほどいるからだ」 (P244)
批判の基本的欠陥は、善意でなかったということではなく、善意がほとんど通じないことにある。批判は人がより効果的に機能する支援にならず、ほとんどつねに両者の間に楔を打ち込むことになる。 (P245)
批判と同じように、褒美と罰は外的コントロール心理学の産物で、選択理論に従っている世界では使い道がないだろう。選択理論の世界では、私たちの唯一の動機付けは上質世界のイメージ写真で、<私たちの外側で起きるものが、私たちの行動の原因ではない>、としっかり気づいている。 (P249)
一方、称賛は、私たちの所属の欲求を満たし、状況に適していれば、よい動機付けになり得るものであるが、もし、自発的要素に欠け、成果によって違いがなければ、褒美に当たるもので、価値は低くなる。 (P250)
外的コントロール心理学は、報酬を与える人、あるいは罰を与える人が、応答する人の求めがどれほど強いかを知っているという前提に立っている。しかし、人の頭の中にあるイメージ写真を十分に知って、それらを一貫して正しく推測できる人はいない。 (P251)
生産性を高めようとして使われる、刺激ー反応手法のアメリカのマネジメントは、大きく日本に差をつけられている。日本人あ、従業員との話し合いをたくさんしながら、できるだけ欲求充足できるようにつねに仕事をアップグレードし、選択理論的マネジメントを使っている。彼らは硬直した報酬も、解雇という脅しも使わずに、現代技術が求める複雑な仕事をするよう人々を動機づけている。 (P252)
日本人は仕事のマネジメントでは選択理論をかなり実践していても、学校では米国以上に刺激ー反応心理学が大変に幅をきかせている。学校では成功するための激しい競争があり、成功していないことに対して懲罰的に辱めることがあまりにも多いので、生徒が頭に描く高い基準を達成できなくて、自殺が若者に蔓延することを日本人は皆、心配している。 (P253)
選択理論は、私たちが行動を選択し、しかもよくない選択をしていることを意識させる能力を付与するだけではなく、相手に変わって欲しいとどれほど願っても、私たちにできることは自分の人生をよりよく制御することだけだ、と述べている。欲求を満たさないことを他の人にさせ、考えやらせ、感じさせる力を私たちは持ち合わせていない。 (P257)
何に悩まされているかに十分気づくまでは、私たちは行動を変えることができないからだ。 (P267)
長い結婚生活をしてきた人々のほとんどが剝ぎ取らなければならないイメージ写真は、何もかも一緒にしている夫婦という写真だ。上質世界のすべてのイメージ写真が、結婚をしたら突然一致するということはない。私たは多くのイメージ写真を共有したまま結婚をする。賢いことだ。しかし、結婚が成熟するにつれ、共有されない重要なイメージ写真が出てくる。こうしたものは別々に満たされなければならない。そうしなければ結婚はおかしくなる。 (P269)
自分たちの子どもにどうなってほしいかについて、先に描写したようにできるだけ大まかなイメージ写真を思い描くべきだ。私たいの頭に描くイメージ写真が具体的になれば、私たちは親として効果的な関わりができなくなってしまう。たとえば子どもに、医師、弁護士、エンジニア、軍将校、牧師になって欲しいとか、結婚して欲しいとか、子どもを産んで欲しい、裕福、有名になって欲しい等々と具体的になればなるほど、私たちは子どもに大きな圧力をかけることになる。これは子どものためではなく、親のためである。 (P280)
子どもたちが自分の人生を効果的に制御できるように、熱心に教え、示し、支援することだ。
こえは、子どもが制御を失ったと思うようなことを、子どもに対して、あるいは子どものために代わってしてはならないという意味である。 (P291)
子どもたちが人生を制御できるように支援するには、子育てにあたっては、四つの容易な方法で対処していることに注目するべきであろう。
(中略)
子どものために代わってする。たとえば、子どもが小さいときは食べさせる。あるいは、成長いsたら子どもを親の仕事に就かせる。
子どもに対してする。たとえば、私たちが望まないことを子どもがしたとき、子どもが小さいときは罰を与え、成長したら子どもを勘当する。
子どもと一緒にする。たとえば、子どもが小さいときは一緒に遊び、成長したらお互いに興味のあるスポーツや音楽などについて一緒に話し合う。
子どもをそのままにする。たとえば、子どもが二歳のときに癇癪を起して泣き叫べば、そのまま泣かせておき、何も言わずに祝福を祈り、18歳になって自分で新しいことに挑戦すると話したときに、よい関係を維持する計画を立てる。 (P292)
人々が痛みや悲惨であることを選択して、あなたを支配しようとしても、決してそうさせてはならない。
(中略)
ほんとうに意味することは、最初はどれほど難しくても、長期間苦しんでいる人に対して、あたかも惨めでない人に接するかのように接するということだ。 (P319)
健康を自己管理するためには、「病気は医師が治すもの」とい従来の考え方を捨てなければならない。確かに、医師が非感染性疾患を治すケースも多くはないが、ないわけではない。(中略)
病気になったとき、「責任は医師ではなく、自分にある」という大前提を私たちは忘れてはならない。 (P348)
現代医療は「ヘルス・ケア」ではなく「シック・ケア」と言い表したほうがより正確である。なぜなら、今日の医療は、病気に対して治療を施すことによって理恵駅を生み出し成り立っているのであり、健康を維持したり改善したりすることではまったくと言っていいほど利益を生み出さないからだ。 (P349)
現在の医療機関は、治療に関するすべての責任を患者から取り去っており、病気の治療に一番大切な「自分の人生を自分自身で制御する能力」すらも奪い取ってしまっているのだ。 (P350)
忙しい人にとって、完全にリラックスする時間を一日五分もつことを習慣化するだけでも驚くほどの結果につながるだろう。 (P360)
「コントロールタイム」は、ただの息抜きやゲーム、ましてや働いていない時間を指すのではない。「コントロールタイム」とは、自分がしたいと願っていることを、誰からもその権利を奪われずにする時間であり、日々の欲求充足の時間である。 (P363)
偉人と凡人の大きな違いの一つは、自分の生れもった創造力にしっかりと注意を払い、その示すところを熟慮するかどうかにある。 (P367)
1998年グラッサーは、『グラッサー博士の選択理論』を著した。グラッサーはこれをマザーブックと呼び、ここからそれぞれの分野でのこの理論が活用されることを期待した。犯罪矯正、カウンセリング、学校教育、リードマネジメント、夫婦関係、親子関係、メンタルヘルスと、選択理論の適用分野は広い。 (P390)
致命的な七つの習慣(批判する、責める、文句を言う、がみがみいう、脅す、罰する、褒美で釣る)のどれかを使わないだけで、親子関係も夫婦関係も劇的に変化する。上司が部下にこれらの習慣を使わない対応をすることで、上司と部下の関係が改善して、成果にも直結している。 (P391)

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