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中村 仁一
/ 幻冬舎
(2012-01-28) /
798円
/ ISBN:9784344982482
数年前に歯科医向けの研修会で某大学の先生が言った一言がずっと頭に残っている。---「関節が緩んだり、シワができたり、動作が緩慢になったりすることは老化といわれて問題にされていますが、ほんとうは自分自身が無意識に身体を微調整しながら長寿に対応しているのかもしれません。医者がその一部分を急激に若返らせることが正しいかどうかは十分に考えなくてはなりません」--- とにかく健康がいちばん、若々しい状態をいつまでもキープすることが現代人の務めである、というのはここ数十年で広まった共同幻想のような気もしている。その背景にあるのはきっと経済なのだろう。著者も過剰な延命治療が医療機関の経営を助けている側面を指摘している。 江戸時代の人は「病を得る」と表現したそうだ(by 堀井憲一郎)。「病に伏す」とか「病に冒される」よりもなんだか前向きというか、面白がりというか、悪くないなあと思う。「あなたはガンです」と告知されることは、なんだか「医者の言うことを聞いて勝ち残りますか、それとも放置して負け組になりますか」と問われているような気がしてしまうわけだが、そうではないのかもしれない、と読み終えて思った。 大怪我や老人になる前の病気に対して医療はこれからも絶大な威力を持つと思う。だけど著者のいう「繁殖期の終わった人間」に対する延命治療(しかも本人に多大な負担をかける)に関してはちょっと考えないといけないのかなあ。 僕が70代を超えてこの本を読んでいたらまた違う読み方ができたのかも。誰も死んだ経験だけはないのだから、正解はわからない。だからこそ死の問題は若いうちからずっと意識し備えていかなければならないのだろう。
野本 陽代
/ 幻冬舎
(2011-11-29) /
819円
/ ISBN:9784344982390
この宇宙の93%はなんだか分からない物質でできている---たとえば100年前、100年後の人類がそんなに無知で居続けることなんていった誰が想像したことだろう。科学とは追求すればするほど人類の無知をさらけだしていくのだ。でも考えたらそれは科学だけの話でもなく、なんだってそうなのかもしれない。たとえば本を読めば読むほど、いかに自分が何も知らなかったか、今でも何もわかってないのかを自覚していくばかりだ。 人類はそうやってますます宇宙の奥へ奥へとその興味を広げていくのだろう。”暇と退屈”をやっつけるには最高なのだから。
岡本 卓
/ 角川マーケティング(角川グループパブリッシング)
(2011-03-10) /
840円
/ ISBN:9784047315433
血圧は低ければ良いというわけでもなく、薬などでとにかく数値を下げれば健康になれるというわけでもない。たしかによく耳にする話しだが、なぜそうなのか、を血圧のしくみから順序良く解き明かしてくれる。また高血圧が病気として認識されるまでの歴史をも追いかけ、読み終わるころには自然と「血圧はひとつのサイン」だからその要因をコントロールして自分の体を守らなくては、という気になれるのである。 塩分制限と運動、最後にクスリ。もちろんプロのサポート。それが結論だ。 だが刺激的で美味しい外食に慣れきってしまった僕にいつまでその気合が持続できることだろう。 だからまずは血圧計だ。朝はバナナか。昼はリンゴなのか(仕事はアップルだらけだが)。あとはエスカレーター使わないとか。デモまずは意識することから始めよう。 ところで読みながら「飲食業界が塩分控えめ政策に反対した」という下りはなんだか、歯科分野での糖分コントロールの話と似ているなあと思った。より売れるためには味付けを濃くする。消費者は喜んで買い続ける。その結果がムシ歯であったり、高血圧であったりしたということか。だとすれば僕らは食後に歯を磨くが如く、塩分にも対策を怠ってはいけない、ということなのだろう。 40代のうちに血圧を意識することができてよかったと思う。
エマミ・シュン・サラミ
/ 光文社
(2012-04-17) /
798円
/ ISBN:9784334036805
確かにサラミさんの指摘する通り、イランとイラクの差だとか、シーア派とスンニ派の差とか、僕ら日本人はほとんど意識すらしてないかも。面白おかしく描かれるイラン人の明るく、力強い生活は以前読んだ高野秀行氏の「イスラム飲酒紀行」と通じる。ああ、今からでも酒瓶隠し持ってイランに行きたくなるよ。 しかし一方で女性に対する法的差別など厳しい実態にも触れ、決して現状礼賛ではない著者の厳しい認識もさらりと語られる。自分が同じ立場だとしたらこんなに明るく語れるかなあと思うが、ここでもやはりイラン人特有の厳しい現実を明るく飛ばす何らかの資質があるのかもしれない。きっと歴史からくる何か。 ところで読み進めながら「この懐かしい感覚ってなんだっけ」とずーっと考えていたのだが、そうだ、70年代とか80年代に流行したお笑いタレントの書いた本の文体だ。いいなあこういうの、って思いながら最後まで一気に読んだ。 読み終えた直後、高3になる息子が「イランとかイラクとか学生の自由はどうなんだろう」とか珍しく言い始めたのでその場でこの本を手渡した。彼にとってはもうこの先イランとイラクを混同することだけはもう無いだろう。
秦 郁彦
/ 新潮社
(2012-04-17) /
777円
/ ISBN:9784106104657
第1章と第2章は戦前戦中の日本がいかに陰謀論、陰謀史観に影響されていたのかを論証する。誰かの描いた妄想が繰り返し流布されるうちに事実として敵国に認定され、戦争へのアクセルを踏んでいく過程はなんとも滑稽で恐ろしい。読みながら感じたのは、そうかあの時代にも上杉隆や武田邦彦や早川由紀夫、あるいは田母神俊雄や藤原正彦らが活躍していたんだなということだ。新聞や書物で繰り広げられた威勢の良い陰謀論はいまやネットにその場を移しているが、その本質は何も変わらないものだった。 もちろん全てが陰謀論だ、というのももう一つの陰謀論にすぎない。我々は今後「都合の良い事実ばかりを選んで自説の結論を補強していく」タイプの人間に出会ったら気をつけて近寄らない、といったシンプルな基準をしっかり身に着けて情報の海を泳いでいかねばらなんのだなあ、と感じた。
池内 了
/ 角川書店(角川グループパブリッシング)
(2012-01-10) /
760円
/ ISBN:9784041101117
実は僕も小学生のころ、将来は科学者になりたいとか漠然と考えてたりする普通の少年だった(年を取るにつれ完全に向いてないことを自覚したのだけど)。70年代初期といえば、アメリカが月にアポロを着陸させたり、その一方で公害問題が新聞を賑わせていたり、あと30年で人類は滅亡するんだぞとメディアが大騒ぎしていたりする時代だった。そしてあらゆる場面で「それを救うのは科学者だ」という意識を共有しいた時代であった。 つまり、池内氏の指摘する「科学と技術を一緒くたに論じてしまう日本の特殊性」にどっぷり浸っていた時代だったのだ。科学は人類を救う。科学者こそが希望だ。科学はみんなの役に立つ。そこでいう「科学」とはおおかた「技術」と置き換えてみてもさほど違和感のない時代だった。 しかし現実は厳しかった。経済の過熱が終わるとともに徐々に科学への熱や希望は冷め始め、最後にそんな時代に稼働させた原発が僕たち日本人の科学技術への信仰に大量の冷却水を浴びせることになるのだ。 本当に科学と技術の結合体はこれからも人類を進化させていくのだろうか。あるいはそれは幸福への道なのだろうか。わずか1年前に全身全霊を揺さぶる衝撃を受けたばかりの僕らにはまだ結論を出す資格はない。ただこれまでのお気楽なSF的世界観を追いかけるばかりの科学・技術への宗教的とも言える依存体質を改めなければならいことだけは確かだ。 だがそれでも僕はまだ科学と技術の未来を打ち棄てる気にはまだなれない。それは著者も同じなのだと思う。
朝日新聞特別報道部
/ 学研パブリッシング
(2012-02-28) /
1,300円
/ ISBN:9784054052345
「被災した民衆」にスタンスをおいた報道、という感触を受けた。毎日のようにどこかで繰り返されている「何が真実なのか」という議論はとりあえず棚の上に置いておいて、そんな状況に置かれた人々の戸惑いや慟哭、絶望感などを丁寧に拾っていく。読者は記者とともにそんな彼らの証言に狼狽えながら、何かがおかしい、と気づかされ続ける、という構成になっているとおもう。 冷静に振り返り、批判すべきことをきちんと提示することはメディアの重要な仕事だ。だがもっと重要なのはそんな情報に触れた後で、では自分だったらどうすべきだったのだろう、今どうすべきなのか、これは去年原子力ムラで起こった問題だが、もしかしたら自分の働く業界で同じような問題が発生する可能性について考えること・・・なのだと思う。 それこそが次のプロメテウスの罠から逃れる唯一の術に違いない。 ルサンチマンを得るための「読みもの」で終わらせてはいけないと感じた。明らかに事故は現在進行形だろうし、次の事故は未来進行形で確実にいつかやってくる(津波や原発とは限らない)。ここで描かれる世界を脳内に蓄えておくことはとても重要なのだと思った。
久田 将義
/ ミリオン出版
(2011-03-29) /
1,050円
/ ISBN:9784813021407
そういえば前の会社を経営してた頃はいろいろな出来事を経験したものだ。優しかった顧客が突然ヤクザ口調でクレーム電話してくるとか、怖かった顧客が唐突に優しげな営業トークで生命保険薦めてくるとかw 最近はあんまりないなあ。いや、鈍感になっただけなのかもしれん。あのころ僕のバイブルは中古屋で一括購入してきた漫画「ナニワ金融道」だった。今だったらこの本も加えたことだろう。
今西憲之
, 週刊朝日取材班
/ 朝日新聞出版
(2012-03-26) /
1,260円
/ ISBN:9784023310742
だが最後まで読み進めるうち、いややはり陰謀などはなかったのかもしれない、それどころか(残念なことに)陰謀をめぐらす余裕すらないグダグダな醜態が官邸でも現地でも東電本店でも続いていたのだ、ということに気づく。もっともその醜態を何とか埋め合わせようとして陰謀的な行動が始まったことはたしかにそうだろうが、だけど一時期ネット裏を賑わせたような「政府は日本人を故意に被曝させようとしている」的な、ある方面からはオイシくみえるような陰謀など、どこにも無かったことがわかる。 お国の上層部やエリートたちに過度な期待を持ちすぎるとそれが反転して陰謀論を生むのだろう。この本に描かれるグダグダな世界はその双方を打ち消してくれるに十分な迫力を持っていた。僕ら日本国民は戦前から続いている「国」(オカミと書いたほうが正確かもしれない)に対する盲目的な幻想からそろそろ脱却しなければならないのだと思う。オカミを信用したり、逆にひたすら批判したりして何かが済むような状況はもうとっくの昔に終わっていたに違いない。 1年前に3.11は起こった。だが今でも現場は「収束」などとは程遠い修羅場が続いているようでありけっして終わってはいない。それにもまして地震は続いており、原発は再稼働されようとしている。その意味でこの本は単なる「終わった出来事の裏事情」を知る書ではなく、これから起こりうることに準備を始めるための一つの貴重な情報であると思う。 もっとも現場の感覚=すべて真実、というわけでもない。自分の仕事などを振り返ってみるとそうなのだが、現実にまみれた現場ほど陰謀論を生みやすいこともまたひとつの事実だ。この最高幹部の言葉を頭から信じるということでなく、現場の人達はこういう感覚で動いていたのかという情報として受け取るべきだとも。 いろんな情報に触れて、自分の考えを鍛えて行かなければ容易に流されてしまう時代に入っている。やはり読書は他のツールに比べるとまだまだ格段に有効だなと感じた。
玉袋筋太郎
/ エンターブレイン
(2012-02-10) /
1,470円
/ ISBN:9784047276994
きっと東北の被災地にもこんなスナックがたくさんあったのだろうなあ。常連さんたちにとってはその場所こそが帰るべき故郷だったのかもしれない。でもニッポン人はきっとどこでだっていつかそんなスナックを作ってしまう、そんな強い生き物なのだ。
町山 智浩
, 柳下 毅一郎
/ 文藝春秋
(2012-03-09) /
940円
/ ISBN:9784167801700
この本は15年ほど前の連載をまとめたもの。題材にされてる映画はほとんど見てなかったりもするので、なんだかよくわからぬままにしかし、二人のボケツッコミ漫才トークにひたすら笑わされっぱなしで読んでしまった。たまたま聞いた深夜放送で交わされた爆笑トークが、いつか知らぬ間に本にされてて、それを偶然手にした時の喜びみたいな。 これくらい周辺事情に詳しくなると何が題材でも面白くできるよなあ。まあ僕も今の仕事の業界話だったら裏事情や昔話を交えて1冊くらいは爆笑トークできるくらいの自信はあります。やばすぎて表に出せるわけないけど^^;
佐伯 啓思
/ 新潮社
(2012-01-17) /
777円
/ ISBN:9784106104503
第1章から第5章までは、なるほど文芸誌の連載らしく、「幸福論」の胡散臭さに対し舌鋒鋭く切り込みました的な分かりやすさが気持ち良い。団塊の世代ジュニアあたりが微妙に持ち上げてなんだか「権威」にまでしてしまった「ポジティブ」な「自己責任論」をこれでもかとやっつけていくオヤジ、もっと頑張れ、という感じだ。 ところが第6章を前にして起きてしまった3.11の震災そして原発事故がその論調をひっくり返す。これまでの「自明である」的な言い切り口調がすっかり影を潜め、疑問形が多くなる。いや文体としてはけっしてそうではないのだが、そこらの行間じゅうに明らかな迷いが見て取れるようになるのである。 でもそれは別に批判すべきことではない。あの時期、誰だってそうだったのだ。あまりの出来事に仰天し(文字通り空を仰ぎ)、あたり構わず喋りかけ、眉を潜め、瞠目し、泣き、怒る。あの頃の日本列島は間違いなくそうだった。だから京大の教授がそうであってもおかしくはないし、いやむしろそうあって欲しいくらいなのだ。あの時期に「安心です」と言い切り口調を繰り返したヤツはろくでもない人間ばかりだったのだから。 この本に学ぶことは大いにある。細かな逸話、考え方、語り口。でもそれよりも圧倒的に興味深かったのは、学者の戸惑い、迷いぶりだ。これでいいのだ。 だから僕もこれに勇気を得てこれからも大いに迷い、戸惑うのだ。 それは、書に学び、人と語り、死ぬまでつかめないかもしれない真実を求める態度にほかならないと思うからだ。
吉本 浩二
/ 新潮社
(2012-03-09) /
580円
/ ISBN:9784107716521
大人たちが仕事に夢中になるとき、それはどんな衝動や思いがエネルギーになるのかを描いている。そんな姿が多くの子どもたちに大きなエネルギーを与えないわけがない。全国の小中学校の図書館で長く読まれるといいなと思った。
辻 隆太朗
/ 講談社
(2012-02-17) /
819円
/ ISBN:9784062881463
だがふとしたきっかけで「それはただの娯楽だ」と気づくようになる。そのきっかけとは簡単だ。社会人デビューし、仕事をこなしていく中で「中枢」と呼ばれる場所や人々にアクセスする機会が増えていくことである。 僕も小さな業界で長らく仕事をしていて、毎月のようにその「業界を牛耳っている連中」と呼ばれる人々と会って酒を飲んだりするようになった(もしかしたらすでに僕がその連中にカウントされてるのかもしれない)。そしてもちろんそこに大仰な陰謀みたいのは存在しないことはすっかり確認済みである。いやむしろその逆で「なーんだそんなもんか」と拍子抜けするレベルでものごとは決められ、進行していく現場を眺めていたりする。世の中で陰謀と思われているものの大半は、たまたま声の大きな人にただ流されてるだけのだらしのない議論、あるいは場の雰囲気だけで消極的に決定していく非生産的な議論、そして自己保身のためだけに失態の隠蔽を繰り返すなどの程度の悪い行為にたいそうな理屈をつけたばかりに馬鹿馬鹿しい議論であったりするのだ。 でもたまにどこかの地方都市に出かけ、一匹狼的に仕事をこなしている業界人と飲んだりすると、ふとした拍子に「やっぱりこの業界も一部の連中がすべて計画通りに・・」みたいな逸話を聞かされるケースが多かったりするのである。えらくスケールの小さな話しなのだが、事ほど左様に陰謀論は「実際に対面したことのない」関係性から拡大解釈と後付の理由によって膨れ上がるもんだ、というのが私の素直な考えである。 さて本書に戻るが、日本(オウムと東日本大震災)、ユダヤ、フリーメーソン、イルミナティ、そしてアメリカのキリスト教原理主義を題材にそれらに見られる陰謀論が実は同じルーツをもち、同じ論本で、同じ病理をもって紡がれていることを証明していく。表現は少し硬いが、ちょっとでも上記の説を見聞きしたことのある人間であれば爽快に読み進めていくことができる。客観的に読む分においてここに展開される話はいたって正常かつニュートラル、なんの違和感も持たずにするすると入ってくる話なのである。 だがしかし。去年の3.11以降の僕らはどうであったろうか。原子力ムラ、東電、民主党、菅政権といったキーワードに「陰謀」の匂いを結びつけた論に飛びついたり、「拡散」したりして来なかったろうか。いや、存分にしました^_^; それは著者も認めているとおりああいった状況では少しでも疑わしい問題を提起し、解決のために議論することは必要だったことだわけで、少し反省しつつも振り返って方向転換するほどのことはあるまい。 だがしかし。1年を経過した現実において我々はすこしその態度を変えていくべきではないか、とも思うのだ。確実な悪が存在する。邪悪な思想で善良な市民に迫ってくる。我々はそれに抵抗せねばならない。それは今だ。今を逃すと大変なことになる。・・・それってすべて本書が述べる陰謀論の要件にぴたりと当てはまるのである。原発の被害を過小評価することで県民をわざわざ汚染地にとどめ人体実験をしようとしている・・・放射性瓦礫をあえて国内に運んで燃やすことで日本人を滅亡させようと画策している連中が政府を牛耳っている・・・なんだかもうどうなってんだって気がしてくるのだが、でもネットの中ではますます勢いをもって全国の純朴な(ネット慣れしてこなかった)人たちが、シェア!拡散!と活動しているのが哀しいかな2012年の日本の現状だ。 厄介なのは自己正当化だ。過去に自分が述べたり、指示した説との誤謬を認めたくないだけで、逆に攻撃的に周囲から孤立していく例を数々見受けるのが2012年のネットシーンでもある。でも僕らは自由なのである。自分の思ったことを、その都度考えて発信していこうではないか。朝令暮改など怖くもない。それを恐れてしまうとそこに陰謀論への落とし穴がぱっくり口を開けていることを知っておきたい。 もうひとつ。陰謀論は常に「言い切る」。断言するのだ。だから僕はネットでみかけるいろんな説を評価する際、「断言調」には眉唾で読むようにしている。特に原発関連のことなんて、誰にも断言できる根拠など無いはずだ。皆がわからないなりに模索を続けている現状において、断言調で発言を続ける人間は、相当やばい。気軽に信用してはならない。これは断言できる(笑) 忙しい人は最後の6章だけでも読むと良いです。特にネットで発言する機会の多い方、たとえ陰謀論を信じていても、「いわゆる陰謀論的な語り口」をだけでも社会的信用を失ったりすることはやっぱりありますんでそのためにも手にしてみてください。
石井 光太
/ NHK出版
(2012-01-06) /
903円
/ ISBN:9784140883686
ラジオで知ったこの本を読むと、いまや日本で暮らす外国人は全国の地方都市にまで拡散し、それぞれの地域でそれぞれのコミュニティを縦横に張り巡らせながら、しっかりと根付いていってることが分かる。それはまるで高度成長期における金の卵たちが都会で必死に暮らしていた世界を思い起こさせる。たしかに目を覆うばかりの悲惨な事実も提示されているのだが、それでも一所懸命で健気でパワフルでユーモアにあふれる彼らの生きざまを読んでいけば、僕らはそこに何か懐かしいものを感じ、日本の未来へのささやかな希望を託したくなるのである。 いつも思うのだが、日本を守りたい、と主張する人々の想定する「日本」とはいつの頃からの日本を指しているのだろう。恐らくは高度成長期以降の平和で豊かで安定していた一時期の日本(3丁目から夕陽が見えてたころだ)、せいぜい明治維新以降の活力あふれた時代か、あるいは江戸中期にあったとされる平和な鎖国時代か、そんなところではないかと思う。 だが、もう少し歴史を遡ってみれば「日本」のイメージだってずいぶんと変わってくるはずだ。「日本人」の定義すら変わることだろう。そもそも明治維新までは日本国内はそれぞれのクニに分かれ競ったり争ったりしていたわけで、「日本国」という認識すら希薄だったにちがいない。 何を言いたいのかというと、「日本」なんてのはまだ過渡期なのであり、これからもどんどん変容していくはずだ、ということだ。だから本書あとがきに書かれた「日本文化はもう日本人だけのものではない」というメッセージには深く共鳴した。DNAや言語や肌の色なんていう現代文明から派生したカスみたいな指標を超えた「日本」がこれから世界に拡がっていくにちがいない。なんて楽しいことだろう。 この本を抱えて深夜のアメ横のファストフード店まで出かけていって、窓際の椅子に腰掛けコーヒー啜りながら読んだが、なんかそんな空間も含めて読書体験ってのは面白いもんだとあらためて感じたドキュメンタリーでした。
松井 孝典
/ 集英社
(2012-02-17) /
777円
/ ISBN:9784087206319
「人間圏」という言葉が僕の頭に真っ先に思い浮かべさせたのは、クラークが「幼年期の終わり」で描いた惑星を覆う発光する進化した人類の集合体だ。あるいはエヴァンゲリオンAirのラストシーンで融合する人間たち、そして小松左京が描いたタイトルは忘れたけど拡大した人間の意識が月の裏側にまで達する描写。 そして宇宙がビッグバンから冷えること、地球がだんだんと冷えていくことは「分化」でありそこに「情報」が生まれる、という説明を聞けば、「だからクールっていうのか」なんて意味なく納得してみたり。 しかしネットを得た僕らは「均質化」し「拡大」に限界を感じている。なんてことだ、つい数日前に読み終えたばかりの「銃・病原菌・鉄」が提起した問題と見事にシンクロしているではないか。 「資源・エネルギー問題にしろ地球環境共問題にしろ、別の言い方をすれば、急激に拡大した人間圏に対して地球システムからの負のフィードバックがかかり始めたことにより生じた問題と言えます。いずれにしても共通しているのは、人間圏のあり方の変化なくしては解決できないということです」という著者の言葉はとても東洋的だと感じた。「人間よ、空気嫁」という地球の言葉を聞いた気がした。 原発事故によってすっかり科学に対する夢や希望を失いかけてしまっていたのだが、また明るい未来を信じてみようかなって気になった。それは科学とは宇宙の歴史を読み解くことであり、それは人間の認識を拡げること、すなわち日々の生活がより豊かになることだという認識(内部システム)を得ることができたからだ。
ジャレド・ダイアモンド
/ 草思社
(2012-02-02) /
945円
/ ISBN:9784794218797
だがそうしない道を歩んだ民族もいた。その差はいったいどこから生まれたのだろう。著者のいきついた答えの一つは「大陸が東西に長いか、南北に長いか」だった。なんてエキサイティングな答えだろう。もう僕はそこから始まる妄想だけでいくつものSF大作や小説のアイディアが浮かんでしまいそうだ(実際にはそんなことないけど)。 人間はその根本からしてグローバルな存在だった。地球上の生物の中で際立って繁殖力旺盛、かつ世界中に拡散しようとする人間のライバルはウィルスくらいしかいないのでは、とさえ思わせる。しかしここ数十年の変化を見るにつけ、人間はすこしずつ変わり始めているように思うのだが、どうなんだろうか。 一人ひとりの人間が個に目覚め、民族がその意識を自覚し、種としての本能から少しずつ距離を起き始めた現代。これまで他を圧倒するために使っていたさまざまなテクノロジーを、いまやインターネットという内向きの枠組みに投入し、コトバの世界に埋入していこうとするのが現代の人間の新しい行動のように思える。 それはこの壮大な人類史の中でどう捉えるとよいのだろう。 いっぽうで大きな災害を体験し、二度とふるさとに戻れない人々に思いを馳せると、しかし人類史の中では幾度と無く繰り返され、土地を改良し、あるいは土地をいったん放棄したが数千年の後に新たなテクノロジーで再武装して再びそこへ進出してきた人類のことを思えば、けっして希望を捨てることもないのだな、と不思議な安心感も与えてくれた。 やはり僕らはコトバによって救われたり変化したりしていく生き物なのだ。
宮崎 学
/ 祥伝社
(2012-02-02) /
798円
/ ISBN:9784396112639
「スキルアップ」「夢」「成功」「世界に一つだけの花」みたいな幻想を振りまきながら進んできたこの20年ほどの世相を振り返りながらその裏側を読み解く。スマイルズの「自助論」は読んだことが無いのでわからないのだが、それ以外のエピソードについてはほとんど同じ気持ちを共有しながら読むことができた。 ただ僕はこれらが「日本人」だけに見られる特殊な状況とは思えないのだ。むしろ昔のSF小説に繰り返し描かれてきたユートピア(悪い意味で)を真っ先に実現しようとしているのが我が国だったのではないか、という気がしてる。地球の状況は悪化する一方で、もはや改善の見込みはないのだけど、庶民には夢が与えられ、それを信じたものだけが幸せな気分のまま滅んでいくことができるというユートピアSF。僕らはいよいよそんな未来に足を踏み込もうしとしていたのかもしれない。 だが宮崎学も言及している通り、去年の震災と原発事故が起きた。そこで日本人はカラクリに気づいてしまったのだと思う。僕らはもう、家を建て家具を揃え電化製品を買い込み車を所有してエネルギーを使いまくると誰でも幸せになれるという幻想を二度と信じることができない(それでも信じてる人がいたら病気だろう)。そしてそんな幻滅または解放はこれから日本以外の世界中に拡がっていくのではないかとさえ思えてくる。 そんな意味で、もう時代は変わったのだ。競争に勝って自分だけ幸せになろうなんてのはもう終わったのだ。古いのだ。これからは新しいシャツに着替えて歩き出そう。まずは「困ったときはお互いさま」からだっていいじゃないか。
大島 堅一
/ 岩波書店
(2011-12-21) /
798円
/ ISBN:9784004313427
アメリカの軍産複合体になぞらえて「原子力複合体」と名付けられた日本のエリートたちの存在はこの1年であらゆるメディアが暴いてきた。だが彼らとて日本列島を破壊しようとして原発推進に勤しんできたわけでもない。彼らなりにさまざまなコスト計算をこねくり回し、日本の国力や経済力を発展させていくため、という大義名分を代々積み重ねてきただけに過ぎないのであろう。 問題は無競争による慣れ合いや慢心、無関心に誘導されてしまった国民感情など、時代が変わろうとも無謬主義を押し通してそれが良しとされてきた腐敗したエリートのあり方だったのだと思う。 この本に描かれる原子力発電の非効率の実態や、現実的に十分可能とされる脱原発、恒久的な節電や再生エネルギーシフトのヴィジョンは1年前の事故直後に僕らが目を覚まし、確信し、そして十分に決断したあの頃の気持ちを思い出させてくれる。その後に流された大量の「情報」を元とした日本経済を立ち直らせるための原発再稼働みたいな論調をもう一度踏んづけてしまうためには、ちょっと難しいこの本を読んでみることはとても有効だ。
ジャレド・ダイアモンド
/ 草思社
(2012-02-02) /
945円
/ ISBN:9784794218780
スケール感がまるで違う。しかし一方ではまるでここ数年の歴史を読み返すようなリアル感を感じさせる。たとえば人類はずいぶん古くから地球上に展開し、いわゆるグローバリゼーション戦略のもとに展開してきたのだなあ、なんて。 ページをめくりながらつい感じるのは、僕ら現代人ときたら、という思いだ。 ご先祖様に比べるとほんと情けない。きっと失いたくないものをたくさん抱えすぎているからなのだろうな。特に食料生産や病原菌との戦いを描いた章を読んでいると、けっきょく僕らはそのお陰で平和と長寿を得たわけだが、もしかしたらいまやその2つの成果に押しつぶされそうになっているのかもしれない、などと感じる。生物としての人類はもう裸でこの地球上を生きていくことのできない存在になってしまっている。だからさまざまなテクノロジーで武装していくんだろうけど、まあそれも人類誕生の時から仕組まれたことなのかなあ。 という感じで下巻に移り、それを持ち歩く3月に突入。僕のいろんな疑問を解いてくれる快楽を期待しつつ。
ツノダ姉妹
/ 新潮社
(2011-05) /
735円
/ ISBN:9784106104206
妻が「これってまさにあたしら」とか言うので借りて読んでみた。夕食時に1時間で読めた。ほぼ僕と同世代で、マーケティング会社を経営するという美人姉妹が書いた本、という前提から容易に想像できる通り、まさにマーケティング会議のプレゼン前説を取り出してきて一冊の本として拡げた、という感じである。 そのテイストはあの懐かしきバブル時期に流行していたレッテル遊び風味に包まれる。「レッテル貼り」と書くほど悪意のあるものではなく、80年代後半に流行したとんねるずの番組みたいに住む街や乗ってる電車や車、通ってる学校など、いま思えばどうでも良いことをことさら取り上げて持ち上げたり差別したりして無駄に遊んでたあのテイスト。僕らにはなんだか懐かしいのであった。 内容はといえば最初の章でほとんど語られる「女の時代が終わってまた男の時代が来たがそれは内向きなカンジ」というある種のレッテルを、後半いろんな例を引いてきて面白く解説すると見せかけて軽くDisるというコラム的な新書であって、社会科学や哲学みたいな考察が展開されるわけでもないので気軽にお読みいただけます。 そして特筆すべきは2011年ならではのFacebookに代表されるSNSによって強化育成されたと思われる「自らをわりと卑下しつつ敵を作らない感じで嫌味にならない程度にDisる」トーンの文体がどことなくイマ風でありながら、やっぱり底通するバブルなテイストが滲み出してしまう面白可笑しさなのでありました。 なんて無理してそんなテイストを再現しようと思ったのですが、やっぱ無理ですw
久田 将義
/ ミリオン出版
(2012-02-20) /
1,050円
/ ISBN:9784813021766
読みながらなぜか頭をよぎったのはこないだ読んだ太平洋戦争末期、与論島の記録だ。絶望的に厳しい環境、圧倒的に不利な戦況においても全国各地から集められた兵隊たちは、休むことなく敵に立ち向かっていた。あまりに官僚的で現実離れし現場を顧みない大本営に翻弄されながらも驚異的な闘いを続けた彼らを殲滅した敵国アメリカは、しかし深い尊敬と賞賛の記憶を持ち続ける。しかし復興した日本は彼らのことをすっかり忘れている・・・といった物語だった。 もちろん今度の戦争で日本が負けると決まったわけではない。まだ戦争は終わっていないからだ。まだかつての大本営や大本営発表の二の舞はまだ避けることができる「真っ最中」に僕らは生きているのだ、さて、どうすべきなのか。 中学からアウトローを続けてきた彼らが国の未来をどうにかしようと奮闘している。エリートたちは阻害にさえなっている。そんな現実を感じた後に、僕らは何をどう考え、どう動くべきか深く考えてしまうレポートだった。
平川克美
/ ミシマ社
(2012-01-20) /
1,680円
/ ISBN:9784903908328
2009年にインドを旅した際、僕はそこに生活とか商売の原点をみた気がした。金がない者は金を持っていそうな客にまとわりついて勝手にガイドしたり何やら売りつけたり船を漕いだり自転車に乗せたりして、小銭を稼ぐという自由。もちろん観光客には想像もつかぬ厳しさや差別や因習があるのだろうけど、日本だって規制でがんじがらめだ。貧乏人が道端で合法的にお金を稼ぐことなんてもはや想像もつかない。僕が書店でこのタイトルを見つけた時に抱いた「小商い」のイメージはそんなところだった。 身体性を失わない、手の届く範囲から始める小さな商いにこそ労働の実感と喜びが伴う。それを手探りから始めると毎日の変化が生きる糧にすらなる。だけど今の日本ではそんな喜びは徐々に自由でなくなりつつある。列島全体に蓄積された富や自らに施された高度教育の結果として、自由が許される機会を減少させているのではないか。 日本という国の平均年齢は既に45歳だ。しかも人口が減少し始めている。これは国としてもはや若くないことを意味するのだとずっと考えていた。著者の書く「成長均衡が無理であるならば縮小均衡も」という表現はだから納得のいくものだった。国と人格とを比べるのは正確ではないかもしれない。だけどやっぱり日本のイメージはすでに中年なのだと思う。いい歳になって「まだまだ成長しなくては」というのも確かにどうかしてる。 そのような状況において、311の震災と原発事故によって大きな傷をおった日本。もしかしたらもう一度力を振り絞って、若い感性を蘇らせるチャンスなのかもしれない。不謹慎極まりないことを自覚した上で書くと、実際に平均年齢が若返ってしまう可能性すらある。人類の長大な歴史の中で、国家や民族が繰り返してきた栄枯盛衰を思えば、それも受け入れるべき事実なのかもしれない。 しかし一方で、僕らは日本という集団のもつイメージにいつまでこだわって生きていくのだろうか、という一抹の疑念も残った。著者の想う日本は50年前の貧しく若かりし戦後復興期の日本だ。しかし2012年の東北被災地の高校生や就活に疲れた大学生やリストラの恐怖にあえぐ30代のもつイメージはまた違うものだろう。江戸時代の日本、室町の日本、平安の日本、弥生の日本、縄文の日本、それらは似ているようで実はまったく違うものなのかもしれない。つまり僕ら個人はそんなに国のイメージなんて気にする必要ないんじゃないかなって。 僕らはもっと自由になって良いのだ。 そして現状や過去にとらわれることなく、まずは小商いから身を立てるのだ。 その延長線上に民族やら国家やらもイメージされることだろう。 以上は著者の言葉ではないのだけど、うんうんと読みながら僕は勝手にそんなメッセージを受け取った。
瀧本 哲史
/ 講談社
(2011-09-22) /
1,890円
/ ISBN:9784062170666
日本のエリートたちは本当にこんな底の浅い話に夢中になっているのだろうか。そうでないことを願いたい。 「本物の資本主義」などといった軽率な言葉が繰り返されるまでには、いったいどれだけの論考があったことだろう。重たい原書を読み漁ったり、著名な経営者にインタビューしたり、数々のデータを並べて比較検討する作業から結論づけられて良いはずがない。「本物の」などといった言葉を使う以上、それは自らの体験に即した身体感覚から得られたものでなければならないのだと思う。もちろん僕だってそんなことは分からない。だから、断定調で世の中のことを教えてあげる、あるいはこれだけ知っておけば武器となるからさあ頑張りたまえ、だなんて口調で語るなんてことは、僕にはできないしやりたくもない。 筆者はきっとそれなりの戦略を持ち、若者を啓発するための道具としてこのような書物を書き、戦略的な考えで世にに出したのであろう。そう願いたい。まさか本人がこの本を読んだり彼の話を聞いたりした若者が本当にそれで成功するだなどは信じていないに違いない。もしそうだとしたら、とんだ投機家だ。
佐野 眞一
/ 小学館
(2012-01-10) /
1,680円
/ ISBN:9784093882316
とにかく面白すぎて途中で止めることができない。それはなぜなのだろう。うまく言い表せないのだが、「はっとする」瞬間の連続だからなのかもしれない。子供の頃から体に染み付いてきたありとあらゆる「常識」や「タブー」がページをめくるたびにベリベリと剥がされていく快感とでもいうのか。いや快感だけではない、ある種の痛みも伴うヒリヒリする感触が、いいようのない快楽とともに読み手を仕上げていくのである。 佐野氏の芸風なのかもしれないけど、取材対象との距離が不安定なのがいい。突き放した書き方をしながらどんどん愛情を増していくかと思えば、丸め込まれてみたり、やっぱりそうだったか、と強がってみたり。それも僕らにははっとするヒリヒリ感を増す大きな要素になっている。 孫正義氏は僕の8歳年上である。僕の生まれた大牟田市は彼の生まれた鳥栖からそう遠くなく、三池炭鉱も抱えていた。先日100歳の誕生日を迎えた祖母は満州からの引揚者である。その前は京都に嫁いでいたらしい。つい1ヶ月ほど前、僕は孫の一人として主に孫同士のメール交換を通じてそんなルーツを取材していたのだから、なおのことこのドキュメンタリーを興味深く読むことができた。自分のルーツだとかこれまでまったく興味もなかったのにおかしなものだ。僕は神童でもなく留学体験もなくたぶん差別とかと無縁な楽チン人生を送ってきたはずなのに、なんかこうグイグイとあの昭和40年代、50年代の九州の空気に妙な懐かしさと共感を咥え込んでしまうのである。 それにしてもこの本を読んだ多くの人が強烈なインパクトを受け、恐らくはファンになってしまったのは、何をおいても安本三憲氏その人なんだろうなあ、と思う。いや、いますよ今でもこういうタイプの男は。特に九州にごろんごろんおりますよ。まあここまで凄い人はいないかもしれないけど、でもこういう感じの男ってほんと、いるいる。なんだかもうそれだけで楽しめてしまった。 いわゆる偉人伝みたいな感動話でなく、まだ今に生きる人たちのリアルでいてありえないドキュメントかつ娯楽性を十分すぎるほど発揮した怪作、一晩くらい寝るのを惜しんで読んでおくと、ちょっと人生観変わるかも。
瀬名 秀明
/ 朝日新聞出版
(2011-12-13) /
861円
/ ISBN:9784022734303
そして2012年、いまの少年少女たちはまだ科学を信じることができているのだろうか。特に東日本から各地に避難を続けている子たちにとって、科学とはいったい何を意味しているのだろう。 著者の瀬名秀明の書評は希望に満ち溢れている。若い世代への理解と会いに満ち満ちている。そこから僕が学べることは、いまや傷つき夢を失った少年少女たちに、いまいちど科学への美しい接点を準備する素敵な書に巡り会える機会を、なんとか保証しつづけることなのだろう。いつの日か科学を武器とした彼らの中から本物のドラえもんが生まれくることを夢見たい。 多数の書評の中から僕がページの端を折り込んだのは15冊。まずは我が家の少年に読ませてみたいのだが、まあすんなり言うことを聞いてくれる年齢でもないし、まずは永遠の少年が目を輝かせてアマゾンに発注だな。あとしばらくは読む本がないと困ることはないだろう。
武光 誠
/ 河出書房新社
(1999-01) /
700円
/ ISBN:9784309501659
でもふとした気かっけでこういう本を手にとることで、そんな退屈な日常に歴史の深みが加わったりするのだから、考えてみればお得な話なのである。 日本の地名と姓とは切れない深い関係を持っているのだなと知らされた。 僕の姓である「粟津」もまた漢字や読みの間違い連発で、何かと苦労の耐えない名前だったりするのだが、このほんによれば、琵琶湖の南方に広がっていた粟の原っぱがそのルーツだったようだ。津とはもともと、荷物を積む、という音から派生した「港」を意味する言葉だったそうだ。そして現代ではそこは「大津」と呼ばれる街になっていると。たしかに京都に住んでる頃は「粟津」姓だけで電話帳の1ページあったくらいだから、まああの辺りのでなんだろうな、なんて想像しながら楽しめた本だった。
中川 恵一
/ ベストセラーズ
(2012-01-07) /
800円
/ ISBN:9784584123584
年間100mmシーベルト以下のグレーゾーンについて、それは「直線閾値なし仮説」という放射線防護のポリシーであって科学的データに基づいているものではない、という説明は確かにわかりやすかった。そのグレーゾーンで長らく暮らすことになる僕ら日本人がいたずらに放射線ばかりを避け続けることで他のリスクを増やしてしまっては元も子もない、という主張には頷かざるをえない。ましてゼロリスクは逆にリスクを生むことは自明の理だろう。 だがしかし一方で、長崎広島の原爆における入市被爆者の多くが無料の医療を受け続けたことによって逆に日本一の長寿を手にしたという記述はどうなんだろう。しかも市民が「避難せずにそこに住み続けたこと」が逆に長寿を助けた、とさえ書かれている。無料で医療を受けることの効果は絶大、と言い添えられて。 著者は医者である。医者の目標は何であろうか。一口では答えられることではないだろうが、彼はおそらく「長生きさせること」と考えているのではないのか。だとすれば東京大学医学部で教えられていることは、僕の考える医療の本質からは程遠いものと言わざるを得ない。たとえ無料であろうと(いや無料であるからこそ)、若い頃から死ぬまで検査と投薬を受け続けながら不安に怯えながら長生きする人生なんてまっぴらごめんだからだ。しかもそれが禁煙や飲酒、暴飲暴食といった自分の責任ではなく、ある日空から降ってきた原爆や原発由来の物質のせいであればなおさらだ。 著者がある種の陰謀論的に政府の手先となり、国民を被曝させるためにこの本を書いた、とまでいえばそれこそ陰謀論だ。有り得ないと思う。おそらくは非常に真面目に自分の信じるところを広く知ってもらい、国民を落ち着かせるために一所懸命に著したに違いないのだ。だがその生真面目さにこそ僕らは漠然とした気味の悪さを感じ、なんだか居心地の悪い読後感を抱えてしまうこともまた事実だ。なにを浅学者がひねくれて、と非難されるかもしれないけど。 だが、知れば知るほど真実はわからなくなるものだ、ということこそが科学の本質の一つであることを知った人間ならば、著書のタイトルに気やすく「真実」などうたうことへの違和感は持って当然だろう。だから僕はこの本は科学の書ではないと感じた。科学的知識やデータを纏いながらもその実、著者の信じたい、著者にとっての「真実」を優しく語りかける「エッセイ」なのかもしれない。 それは長く放射線に関わりその根本に近づいたもののみが感じた「真実への遠大な距離感・絶望感」を自らなぐさめるために紡がれた夢物語のようでさえ。
谷川 健一
/ 岩波書店
(1997-04-21) /
798円
/ ISBN:9784004304951
僕の育った八代市はちょうど中央構造線の終わりに位置する。だから第二章「地名と風土-中央構造線に沿って」は楽しく読むことができた。なるほど山民と鉱物か。まるで宮崎アニメの世界。 検索したら著者はまだご存命だ。1921年生まれだからもう91歳か。全国に地名を研修する会ができてたりして、総会とかもやってるんだなあ。きっと地域の物知りとかが集まっていて、定年退職したばかりのおじさんが「若造」としてデビューしたりしてるんだろうなあ、なんて考えてたら日本もいい国じゃないか、と思えてきた。
成毛眞
/ メディアファクトリー
(2011-12-27) /
777円
/ ISBN:9784840143455
でも本当は(僕もそうだったけど)親の会社の後を継がねばならぬ息子娘たちにも読んでほしいのだなあ。 つい「良い人」を目指してしまう育ちの良い(?)僕らは気がつけばリーダー失格などと陰口を叩かれるボンボン扱いに甘んじてしまっていたりする。そんな時、ちょっとマッチョな古典にあたって自らを正当化しつつ暴君を演じてみたりするのもいいんじゃなかろうか、とか。 あるいはそんな立場をかなぐり捨てる時の言い訳にも使えるし。 そんな古典の世界を分かりやすく解説した読み物として、とても面白かった。 巻末に紹介されている「まんがで読破 君主論」もいちど手にとってみようかな。
内田 樹
/ 新潮社
(2011-11) /
1,470円
/ ISBN:9784103300113
庇護された小学生から中学校に上がり、二年生になる頃には後輩もできた頃には、急激に社会に関する知識や関心も増え、なんだか世の中すべてがわかったような気になってしまっていたものだ。それはまるで僕らがtwitterやfacebookを得て、今までにない情報の洪水、それも政府やマスメディア発でないオルタナティブな「ほんとうの真実」に大量に触れつづけた結果、なり果てた姿とよく似ている。 そこへきて311の震災、そして原発事故である。政府の対応が悲惨だったこともあり、多くのネットユーザーは自らのコネクションを辿って全力で「ほんとうの真実」を探し求めた。そしてネット世論は分裂し、「呪いの言葉」に満ちてしまった。 特にテキスト世界での過ごし方に慣れない僕らは「ペルソナ」のストックが十分でなかった。あの日を境に温厚だった彼は陰謀論の急先鋒となり、子供の夢をつぶやいていた彼女は放射脳ママと呼ばれる存在に変わった。 いつまでこんなことが続くんだろう。もうあのまったりとした2010年のツイッター世界は戻ってこないのだろうか。 だが僕らにはまだ手が残っている。先祖代々、我々が深めてきたテクノロジーが、その手に残っている。 それは「荒ぶる神を鎮める」ことである。 行き場所をなくし、その熱を自らコントロールできない4基の神。 あの微笑ましい少年少女の顔を失い、ガラガラ声で呪いの言葉を掛けてばかりの中学校二年の神々たち。 日本人のもつ伝統の技を起動せねばなるまい。 それは「本来性」という自らを苦しめるジレンマを放棄し、他人の知性に対する敬意をもって荒ぶる神を鎮める祈りの言葉だ。身体性を手放さない、言葉だ。 きっと呪いの時代はそこで終わる。
たくき よしみつ
/ 講談社
(2011-10-14) /
1,680円
/ ISBN:9784062173193
メディアやネットを通してしか知ることのできなかった311以降の現地でいったい何が進行していたのか。そしてそれはその後どのような方向に動いているのか。本書の刊行は昨年9月なのでそれ以降については書かれていないが、村をめぐる状況が改善しているとは思えない。なぜならそこに打倒すべき「悪役」の姿が容易に特定できないからだ。 「善意と正義」から出発した意識がいつのまにか欺瞞の色に染まっていっても、それを止めることができなかった社会が原発を推進し、そして破滅させた。その意識が日本政府や東電、経済界のみならず受け入れた現地の自治体や住民をも巻き込んでいたことは開沼博氏の「フクシマ論」に描かれたことを裏付る。本書の直前に読んだ鈴木智彦著「ヤクザと原発」にて告発されていた多くの事柄がここにも登場し、それらが単なるうわさ話ではないことを僕に訴える。 原発のすぐ近くでありながら奇跡的に東京並みの線量という川内村での生活をつづけ、そこから情報を発信していこうという覚悟を決めた著者を誰も非難することはできないはずだ。 傍観者の僕らは出来事の中心から離れれば離れるほど、つい「味噌も糞も一緒」的な論理に囚われてしまう。声高に「フクシマは終わった」「東日本からすぐに避難すべき」「浜通りに最終処分場を置くべき」と叫ぶことの滑稽さに気づかせてくれるのも彼の決断あってのことだろう。 これだけの災害に直面しながら、まだオカミが何とかしてくれると信じ続けることってやっぱり異常なのだ。 いま僕らがはじめないといけないこと、それは「自らの判断のもと、自らの言葉で話をし、そんな人の話を聞く」ということなのだとつくづく思った。所属している組織の都合や、自分の仕事のメリット・デメリットだけで安易に自分の考えをねじ曲げ、平気で心にもないことを発言する世の中は、もうこりごりだ。そんなことやってたらいつまでたっても同じことの繰り返しだ。でももう次やったらおしまいだ。自分の言葉を持とう。個人に戻ろう。 そう明記してあったわけではないが、著者のそんなメッセージを僕はしっかりと受け取ったつもりだ。
鈴木 智彦
/ 文藝春秋
(2011-12-15) /
1,575円
/ ISBN:9784163747705
FUKUSHIMA50と呼ばれ、世界中からの賞賛を浴びた男たちがけっして表に出てこない理由、それは彼らの中にいてはならないヤクザものが入っていたからだ、という記述にはなるほどそうかもしれないと思わせられる。 「ヤクザと原発」の関係はなにも特殊なものではなく、昭和ならあたりまえだった「公共工事と町の顔役」の関係がいまでもずっと続いているだけなのだという。それは日本政府にとっても、地方自治体にとっても、地域の(一部の)人にとっても、彼らは「必要悪」として存在を許されてきたことだというわけだ。 なるほどこれはまるで「日本国民と原発」という関係と同じではないか。 ある種のタブーを抱えた汚れ仕事。しかし無くてはならない仕事。 そうやって世間に半ば諦められながら続いてきた関係性こそ、それが「ヤクザ」でありそして「原発」なのだと著者は訴える。 一方でそこで働く地元の若者たちは、当初、多くの情報を持たぬが故に純粋であり、郷土や愛する者のために自らの命を顧みず放射能や熱中症の現場に突入していく役回りだった。しかし時間が経つにつれ、東電や政府の危機感のなさや曖昧な方針にいつしか興醒めし、「昭和的な日常」が、この世の終わりのような原発事故の現場にさえ帰ってくる。あの悲惨な地獄絵図の大事故でさえ、日常を打ち負かすことができないとは。 そんなことを考えながらページをめくっていくのだが、著者の文体はあくまで明るく、軽妙ですらあり、ついちょっとした爽快感すら覚えながらあっという間に呼んでしまうのである。 だがしかし最終章。 そこに提示される事故現場における人間軽視のカラクリやあまりに杜撰な状況描写を前にすると、あっというまに暗鬱とした気分に陥る。福島第二原発でさえ実は水素爆発していたのではないのかという現場の噂を聞くにいたっては、おいおいニッポンは本当に大丈夫なのかよっていう、そうあの4月ころに皆が感じていた、まるで未来の見えない、目の前まっくらの気分に再び襲われながらそしてこの本は終わる。 なんとも冴えない気分で本を閉じることになった。 だがこれもひとつの現実であることには違いない。
岡田 尊司
/ 幻冬舎
(2009-09-30) /
840円
/ ISBN:9784344981423
これ自分に当てはまるなあとか、ああこれはあいつ、ここはヤツ、みたいにフムフム読んでしまえるあたりもある意味占い本的である。レッテルを貼ったりすると楽になること多いです。コーチングとかで見かける人間を4つに分類しちゃったりするやつ。でもまあそこまで軽くはないです。 何が正常で何が病的なのか。そんなこと言い始めたらナチスの優生学になってしまう。基本はなんでもありで良いのだと思う。ただそれでは集団が維持できない。私企業は勝手にすればいい。でも国家や自治体や教育現場だとそうはいかない。だから矯正や治療といった考え方に傾いてしまう。 だが著者の岡田氏が繰り返し主張するのは、ある種の傾向を持った人々は社会の財産かもしれない、排除するよりも彼らに向き合い、良い面を伸ばす環境をみんなで用意してあげればいいじゃないという考え方である。 僕も基本的に賛成だ。ただ忘れてはならぬこと、それは医者も科学者も政治家も教師も、神ではないということだ。もしかしたら外れているのは自分のほうかもしれない。 いろんな特徴を持った妙竹林な奴がぐしゃぐしゃに混ざり合って、それでもなんか楽しげに続いていく場が理想なんだなあ。
森 健
/ 文藝春秋
(2011-12-07) /
1,470円
/ ISBN:9784163746807
この手のルポはどうしても情緒的な感動物語になってしまうものだが、作者は最後に感情ばかりでは解決し得ない減災という現実も平行して提示する。合理的に考えれば津波の被災地に以前と同じように住み始めることは将来また同じ悲劇を繰り返す一歩となる。だからといって被災者たちの思いを無視して移転を進めるべきでもない。 人間が災害という体験を乗り越えるリアルなさまをミクロな現実を追いながら、ではどうする、と読書に投げかける構成は見事だ。
桑原 晃弥
/ PHP研究所
(2010-08-02) /
580円
/ ISBN:9784569675206
書かれている内容はほとんど11月に読んだジョブズ伝記で紹介されているエピソードである。 だからあの上下巻の分厚いテキストを「使える表現だけ抜粋して索引化したレファレンス本」だと認識すれば、有用な本だと思う。 たとえば、FBとかで会話してる際、「それってJobsはこう表現してたよね」みたいなことをコメントしたくなったときに、こういった本が手近にあるとちょっと自慢気でいいじゃない、そんな感じ。
玄侑 宗久
/ 新潮社
(2011-11) /
1,155円
/ ISBN:9784104456079
数年前に福岡伸一氏が動的平衡を語るために鴨長明を例に使った文章を読んだ時に、ああもう一度読みたいなあと思っていたのだった。今回訳文だけどあらためて読んでみて、鴨長明っておっちゃんのファンキーさというか、パンクというか、なんだか妙に現代的な感触に気が付き、ああこれは確かに頭デッカチで何をどうしてよいのか分からない中学生には魅力に思えたのかもしれんなあと。 面倒くさい社会から距離をおいていつでも動ける小さな仮の住まいで自然とともに、何にも追われない生活が幸せだなと言える老人になりたいものだ。土地財産とか年金とかシルバーシートとか生前贈与とか投資とかそういう面倒くさいものはある日やってきた天災ですべて消えてしまうのからさ、と悔し紛れに書いていく鴨長明は格好良い。 強い信念を持つことなんて格好良くない。人間はいつだって弱く、昨日はこっち、明日はあっちの言説に惑わされ、惑ってばかり生きていくもんなんだ、それでいいんだ、それを昔の人は風流と呼んだのだ、という下りを読んでいたら何だか楽になれる。 分裂ばかりの世相だからこそ、古い世捨て人のエッセイもまた、面白い。特に方丈記の最後のオチについていままで無自覚だった。なるほどこんなメタ構造の相対化というクールな技を使っていたのか。
安斎 育郎
/ 同時代社
(2011-04-26) /
1,260円
/ ISBN:9784886836960
とはいえ、この本もTwitterで薦められて購入したわけだが、非常に分かりやすい説明でいままで混同しがちであった用語や考え方について整理することができた(かと言ってすべてに賛同し信じたわけではない、著者もそういうことはやめろと言っているわけだし)。 タイトルから受ける印象と実際の内容とは多少乖離があるようで、「これから生活する上で必要となる放射能の知識」くらいの表現のほうが当たっていると思う。悲しい事だが、来年から中学高校の家庭科あたりで必須項目として学習してもらいたいくらいだ。 今年発刊された本ではなく、チェルノブイリ後に書かれ、今回増補されているわけだから、数十年の検証に耐えた古典的存在である意味で、なおさら貴重である。 内容とは関連しないが、専門家の言説に信頼をよせるかどうかの僕なりの見極めは、「断言しているかどうか」である。ブログやツイッターはもちろんのこと、紙の本であっても何かについて「断言」し、「言い切る」表現を多用する専門家(自称含め)の言説には眉に唾を数層敷き詰めて当たることにしている。 科学であれ文芸であれ、深く突き詰め、最先端を覗いたことのある者はけっして自説を頭から信じ、決めつけたり、ましてや誰かに押し付けたりはしないものだ。この本の著者のように。これだけは断言できる^^; 安斎先生は僕が通っていた立命館大学経済学部の教授であったということだが、恥ずかしながらそのお名前にはなんとなく記憶があるような気が、という程度でして、いま思えばあの頃もっと勉強しておけばよかったなあと、これも併せて今の学生にむけて断言させていただきます。
東 浩紀
/ 講談社
(2011-11-22) /
1,890円
/ ISBN:9784062173988
だから東氏のこの提案には、なるほどそうきたか、と思わせるちょっとした痛快さを感じてしまった。 エッセイにしては歴史的で精緻な論考から導きだされる一般意志2.0の姿が、現在のtwitterやニコ生を応用したものかも、という展開にはちょっと拍子抜けするようなでもそうかもなと思わせるような、不思議な感慨を受けたのも事実である。 ところで民主主義という本題からは大きくズレてしまうのだが、読中なぜか「釣りバカ日誌」を思い出してしまった。平サラリーマンと仕事を忘れて接する社長が、社員の日常の会話の中から意外な経営のヒントを得てしまう、みたいな。 あるいは、先日読んだ伝記「スティーブ・ジョブズ」は真逆の意味で熟議を否定し、世界一熱心なユーザーたる自身の感性だけを信じて未来の一般意志(?)を実現していく様子など。 文を追いながら余計なことを想起させるエッセイはそれだけで素敵だ。 これが本当に実現性がある提案なのかといわれても、僕にはよく分からない。 それはこの文章が連載されたのは2010年、つまり僕らみんながtwitterやUstreamに明るい未来や希望を感じていた季節だったからだ。しかし著者の東氏自信がみずから体験したように、それは3.11震災や原発事故をきっかけにガラリと暗転し、なんとも鬱蒼としてヤサグレた世界に突入してしまった。もちろんこれから徐々にあの頃の輝きを取り戻すかもしれないし、もっと他に僕らの心を惹きつけるサービスが生まれてくるかもしれない。 でももはやあの日を境にしたSNSの変容というある種の挫折感を味わってしまった僕には、新生twitterも、新しいサービスも、おそらくはいつか風化し、沈滞し、忘却され、一部の人間たちの巣窟みたいな存在になってしまうのではないか、という漠然とした不安を拭い去ることができないのだ。 でもそれでも希望は忘れずに生きていきたいとも思う。 twitter経由でこの本に接し、新しい民主主義を探そうとする機運に触れてしまった僕らは、きっとこれまでとは違う目でニュースや友達の感想に接してしまうことになるのだろう。 --------「これがそうなのか?これは違うのか?」--------- どんなに挫折しようと、どんなに冷めてしまおうとも、やっぱりちょっとした夢は見ていたいよね、きっと著者はそんな思いで震災後のいま、この本を出したのではないかなあと感じた。 他人の思考実験テクストに触れることで自分が揺さぶられる、というのはつねに良質な読書体験だ。 P.S.國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」と同時期に読んだことも面白かった。視座の異なるルソー論として。 ところどころ、1年ほど前読んだ岡田斗司夫の「評価経済社会」に通ずる部分も感じた。いやむしろ「ぼくたちの洗脳社会」という旧題のほうが適切かもしれない。
有馬 哲夫
/ 新潮社
(2010-12) /
777円
/ ISBN:9784106104008
僕らの受けてきた教育では昭和20年8月をもって日本は180度その姿を変えたことになっているのだが、現実はそう単純でなく、地下政府からクーデター予告、海外に展開する日本のインテリジェンス活動など戦前・戦中を引きずったもう一つの世界が民主化されていく世相と平行して存在していたというノンフィクション。 もし本書を手にしたのが去年だったら「CIAファイルを元にした陰謀論かな」くらいの読後感だったかもしれない。 だが僕らは311以降の政治や世論の迷走を知ってしまっている。理屈でどんなにわかっていても、組織を貫く大きなマグマはそう簡単に止めたり曲げたりすることはできないのだ、やっぱり。 つまるところ世の中の流れなんていうのは、その世の中を生きた世代の退場、つまり死をもってでしか変えられないものかもしれない、となんとなく思った。 まあそういう意味では現代日本が達成した長寿ってのがますます世の中を硬直化させているのかもしれません。本書とは関係ないけどそんな感想を持った。 |
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